海外派遣スタッフ体験談

業務も住環境も過酷......良き仲間との出会いが救いに

吉野 美幸

ポジション
外科医
派遣国
イラク
活動地域
ニネワ県カイヤラ
派遣期間
2017年4月~2017年6月

QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今年も日本の勤務先病院との契約で4月から半年間MSFの派遣に参加する許可を得られたので、1月頃から、この時期の活動参加のオファーをもらっていました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

MSFの活動に参加するのはもう13回目となるため、特に新しい準備はなかったですが、緊急援助だったので現地の最新情報を出来るだけ仕入れておくようにしました。

またイスラム教の地域なので、猛暑でも長袖長ズボンでの活動となるため、風通しが良く暑くなりにくい服を探して準備しました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

数年前にパレスチナのガザ地区での緊急援助活動に参加した時の経験が生かされました。緊急援助では現地のセキュリティが不安定で、プロジェクトの状況が日々刻々と変化します。その変化に臨機応変に対応することが求められますが、今回はこれまでの経験をもとに柔軟に対応できたと感じました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
退院する患者さんと 退院する患者さんと

イラク北部で過激派組織「イスラム国」からのモスル奪還作戦が続いていた時期で、チグリス川を挟んで東側はほぼイラク軍に制圧されていましたが、西側ではまだ、多くの負傷者が出ていました。

私の勤務したMSFのカイヤラ病院はモスル市内から南に約70kmに位置しており、モスル市内での戦闘の負傷者や巻き込まれた一般市民、カイヤラからさらに南方のイスラム国戦闘員が残っている地域からの負傷者を受け入れていました。

モスル市内ではすでにいくつかのNGOが負傷者の容体を安定させる初期治療の施設を運営していたため、MSFは少し離れた地域で後方支援病院として活動していました。

2017年2月頃まではモスル市内の負傷者が多すぎて、容体の不安定な患者も送られてきていたようですが、私が派遣された2017年4月頃には負傷者数は減少しており、主に初期治療が終わった患者のフォローと四肢外傷や創傷についての治療を行っていました。症例としては空爆の被害者が多く、その他に銃創や交通事故の患者もいました。

また、周囲に小児を受け入れる病院がないため小児患者はほぼすべて受け入れており、栄養失調の治療プログラムも開始されました。また難民キャンプや、家庭や作業場で熱傷(やけど)を負う人が多く、ほかに搬送できる病院が無かったため、かなり重症で広範囲な熱傷も受け入れていました。

外国人派遣スタッフは、一般外科医1人、麻酔科医と麻酔看護師1人ずつ、手術室看護師1人、救急専門医1人、救急看護師1人、小児科医1人、栄養失調プログラム担当の医師1人、看護師長1人、プロジェクト・コーディネーター1人、医療チームリーダー1人、医療マネジャー1人、薬剤師1人、精神科医1人、心理療法士1人、アラビア語通訳1人、ロジスティシャン数人、アドミニストレーター数人が常に入れ替わりながら働いていました。

またモスル市内西部に病院を開設する予定であったため、その準備チームも一緒に活動していました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

毎朝8時15分から救急救命室と病棟回診を行い、9時頃から予定手術を1日10件前後行いました。毎週金曜日は予定手術を減らして、少しでも休息をとるようにしました。

毎日チームのほとんど全員が遅くまで仕事をしていましたが、少し早めに終わった日には皆でゲームをしたり映画を見たりしてリラックスするようにしていました。

Q現地での住居環境についておしえてください。
宿舎の部屋は満員! 宿舎の部屋は満員!

病院から徒歩約3分の場所にある一軒家を宿舎として使用していました。緊急援助活動なので仕方がないのですが、この家に約30人の海外派遣スタッフ全員が暮らしており、1部屋に3~4人が寝ていました(もちろん数人は床にマットレスを敷いて寝ることに)。

トイレは3つ、シャワーは2つしかなく、毎朝行列ができていました。人数が多すぎて貯水タンクの水が無くなり、トイレを流す水や手を洗う水にも困ることもしばしばありました。業務の忙しさもあって体調を崩すスタッフも多く、かなり過酷な環境でしたが、チーム全体がとても仲が良く宿舎での雰囲気も良かったのが救いでした。皆で部屋を分け合い、水や食料を分け合っただけでなく、喜びも悲しみも分け合える仲間に出会えました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
宿舎の隣にも、空爆された建物がある 宿舎の隣にも、空爆された建物がある

今回の活動中で最も忘れられないのが、モスル市内で空爆に遭い、倒壊した家屋の下敷きになって3日後に発見された女性が搬送されて来た時でした。妊娠中でもうすぐ出産という時期だったのに、子宮が破裂し胎児は死亡しており、子宮は摘出せざるを得ない状態だったそうです。

空爆で夫も胎児も、子宮さえも失った彼女は、MSFの病院にたどり着いた時には何も知らされておらず、心理カウンセラーと一緒に治療にあたりましたが、体だけでなく心の傷が癒えるのには長い年月がかかることは明らかでした。

また、過激派武装組織「イスラム国」の関係者であると疑われ、拘留されている人びとが、十分な医療を受けられずに傷が化膿した状態で連れてこられることがしばしばありました。中には拷問や虐待を疑わせるような症例もあり、このまま治療が終わってまた拘留所に戻ると同じ目に遭うのでは、と心が痛むこともありました。

戦線の状況が日々変化しており、MSFの病院に運ばれてくる患者の数や症例も変化していくため、どこまでの患者を受け入れるかなど、病院のルールもその都度話し合って変更している状態でした。そのためスタッフ間での理解の相違があったり、フラストレーションがたまったりすることも多くあり、一筋縄ではいかない難しい活動でした。

Q今後の展望は?

約3週間は日本で休暇を取り、MSFフランスの総会に参加した後、次の活動(コンゴ民主共和国)に行く予定です。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

いろいろな国の活動に参加していますが、毎回新しい発見や驚きがあります。

文化は違っても、「この患者さんを助けたい」という同じ気持ちが通じ合った時は、最高の仲間に出会えたと感じます。あなたの仲間入りを各国の皆が待っています。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2016年8月~2016年9月
  • 派遣国:中央アフリカ共和国
  • 活動地域:バンギ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2016年6月~2016年7月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国
  • 活動地域:ルチュル
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2015年8月~2015年9月
  • 派遣国:中央アフリカ共和国
  • 活動地域:バンギ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2015年6月~2015年7月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国
  • 活動地域:ルチュル
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2014年4月~2014年6月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2013年6月~2013年10月
  • 派遣国:アフガニスタン
  • 活動地域:クンドゥーズ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2013年4月~2013年6月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年8月~2012年9月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年6月~2012年7月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年4月~2012年5月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • 活動地域:ポートハーコート
  • ポジション:外科医

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