海外派遣スタッフ体験談

自分を信じてMSFへ初参加

吉野美幸

ポジション
外科医
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ポートハーコート
派遣期間
2012年4月~2012年5月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
チームメートとのパーティーで"三線"の演奏を披露

中学生くらいの頃から途上国でのボランティア活動に興味を持っており、何らかの形で人の役に立つような仕事がしたいと考えていました。

以前は教師になることも考えていました。教育ももちろん大切ですが、健康に生活ができ食事がとれるということが何より重要で、最もエッセンシャルなことであると考えるようになり、高校3年の夏に医師になることを決めました。その頃にはMSFの活動に参加することが自分の夢であり、目標となっていました。

外科専門医を取得した後、MSFの試験にチャレンジしようと決め、説明会に行きました。そこで産婦人科の技術を学ぶ必要性を感じたため、次の1年は産婦人科で帝王切開などを勉強し、同時に海外派遣参加に応募しました。その後は自分の意思よりもスケジュールが先走るように決定されていきました。医師9年目になった2012年、初回派遣として4月からのミッションのオファーがあり、喜んで受けさせて頂きました。

Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
仲間と一緒に"アジアンナイト"

卒業後から派遣前までは都内の公立病院に勤務していました。初期研修2年間の後、1年間かけて救命センターやERをローテートし、その際に外科の技術を身につけたいと考えるようになりました。

また、3ヵ月間、島しょ医療にも参加しました。限られた物資や設備、施設の整った病院へのアクセスに時間がかかるという環境での経験は、今回の途上国でのミッションに適応するのに大変役に立ちました。

外科として4年間勤務して外科専門医を取得し、翌年は帝王切開を含めた産婦人科の勉強のため、同系列の公立病院に異動させて頂きました。その後、最初のミッションが決まるまでそちらで研修を続ける予定でしたが、タイミングよく4月からミッションが決定したため、3月で退職しました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?

外傷病院でのプログラムで、開始から10年以上経過していたため、システムが確立されており現地スタッフも手慣れていました。ベッド数は約80床で、ERからの入院が毎日15人~30人いました。

海外派遣スタッフとしては外科医1名、整形外科医2名、麻酔科医1名、麻酔看護師1名、理学療法士1名、ホスピタルマネージャー、看護師長、フィールドコーディネーター、ロジスティシャン(建築士・電気工学士を含む)、アドミニストレーターなどで、共同のExpat Houseに生活していました。

月~土曜日は毎朝の全体回診を行い、その後、2つの手術室で整形外科医と一緒に手術を行いました。1日あたり計8~12件程度でした。手術が終わって帰宅するのは18時~20時頃でした。日曜日は、緊急手術以外は予定をいれないように調整し、午後からは自由に過ごしていました。

症例としては整形外科が8割~9割を占めており、おもな仕事は整形外科分野のものでした。私は創外固定やデブリードマン、植皮、腱縫合術などを行いました。

外科の症例は全て外傷による緊急手術でした。交通事故による腹部臓器損傷やGun Shotに対する開腹手術を十数件行いました。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?

1か月の短期派遣だったため、完全な休日はなく、日曜日の午後が休憩時間でした。皆で近くのホテルのプール付きレストランに行き、スイミングや読書をしてゆっくり過ごしました。

また帰宅後にチームメートとゆっくりおしゃべりしながら夕食をとったり、日曜日の夕食は交代で料理を作ったりしました。週末の夜は何らかの理由をつけて(誰かの歓迎会・送別会・誕生日・何かのお祝いなどなど)パーティーのようなものが行われ、皆ではしゃぐのもよいストレス発散となりました。

Q 現地での住居環境についておしえてください。

共同のExpat Houseに10人~15人が生活していました。それぞれに立派な個室と蚊帳のついたベッド、机・椅子、クローゼットが供与されました。運よくシャワー・トイレ付の部屋が空いたため、私はそこを使用することができました。シャワーはごく微量しか出ませんでしたが、お湯が出る部屋もありました。 ヤモリ・ネズミ・ゴキブリなどは住居内で時々見かけましたが、見なかったことにしておきました。。。

Q良かったこと・辛かったこと

<良かったこと>

チームメートが本当にいい人たちばかりで、1つの家族のようでした。誰かが悩んだり落ち込むと皆が励ましたり気遣ったりし、支えあっていました。共に闘い、喜びも悲しみも分かち合うことのできる素晴らしい仲間と出会えました。

日本では決して経験しないような症例を沢山経験できました。整形外科分野も含め、毎日が新しい勉強や発見で、充実した日々を送ることができました。

<つらかったこと>

初めてのミッションで、最初は不安や戸惑いがたくさんありました。暑い気候、多国籍な派遣スタッフの中での共同生活、セキュリティによる行動制限、限られた物資や機器・人員の中での医療、毎日続くオンコールなどなど、適応しなければならないことが山積みでした。

胸腹部外科に関しては自分1人で全て判断し、手術も含めたマネジメントをしなければならなかったのが、初めての経験でもありストレスを感じました。しかし良いチームに支えられ、1人ではないと気づいてからは気持ちが楽になりました。

英語が難しかった!(とくにナイジェリア人の発音には最後まで慣れませんでした。。。)医療用語や手術室での会話は何とかなるものの、それでも思うようには伝わらず苦労することも多かったです。また特に日常の他愛もない会話が聞き取れないことも多くあり、もっとコミュニケーションが取れたら楽しめたはずなのに。。。と思いました。

Q派遣期間を終えて帰国後は?

約2週間の休息をとり、パキスタンへのミッションに参加予定です。
(自分の希望で年間6ヵ月前後をMSFでの活動に充てたいと考えていたため、派遣前に公立病院は退職していました。幸運にも私の希望を理解してくれる職場とめぐり会えたため、3つのミッション参加後に新しい病院で勤務を始める予定です。)

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

飛び込むには勇気が必要です。でもその勇気に見合った何かを必ず得られます。

自分の適応能力を信じてあげましょう。。。
最初の頃は「この状況に適応できず、泣いて帰ることになったらどうしよう」と不安でいっぱいでしたが、最後は楽しすぎて「帰りたくない!!!」と泣いていました。

自分の専門分野の以外のこともしばしば求められるため、フレキシブルに対応できることが必要です。「やわらかいアタマとココロ」が大切だと感じました。

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