海外派遣スタッフ体験談

男性主導の文化のなかでチームをリード

吉野 美幸

ポジション
外科医
派遣国
イエメン
活動地域
アデン
派遣期間
2016年4月~2016年5月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

毎年、4月からの半年間をMSFで働く予定としており、今年は1月頃にオファーを頂いたのでお受けしました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

2月にロンドンの大学で5日間の外科トレーニング(費用はMSF負担)を受ける機会がありました。そこで胸腹部一般外科や整形外科、形成外科、さらには小児救急や産婦人科までトレーニングを受けたのが良いブラッシュアップとなりました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

これまでのMSFでの経験により、病院のシステムやスタッフの役割を理解し、現地スタッフと協力関係を築いていくのがスムーズになりました。また過去の現地での経験が、新たな症例を診療する際の判断の助けとなっており、少しでも良い方法で治療ができるようにと工夫しています。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
手術室のチームメンバーと 手術室のチームメンバーと

アラビア半島南端の国・イエメンの、アデンという港町にあるMSF管理の外傷センターでの勤務でした。

アデン港まで隣国から船で約15時間の移動と聞いた時は、ちょっとブルーな気分でしたが、アデンの空港が閉鎖されているためほかに交通手段がなく、やむをえない状況でした。

船は少し大きめな漁船といった感じで、10人くらいが何とかマットレスで眠れる程度の広さがありました。簡易トイレもついており、食事も提供されました。揺れさえなければ快適なのですが、往路はかなり揺れて結局17時間もかかり、船酔いと脱水で到着した時にはクタクタになっており、交替の外科医に心配されてしまいました(苦笑)。

復路は海がとっても穏やかでまったく揺れず、潮の関係で12時間で到着。快適な船旅でした。

海外派遣スタッフは、一般外科医1人、麻酔科医1人、手術室スーパーバイザー1人、医師1人、病院マネジャー1人、ロジスティシャン1人、プロジェクト・コーディネーター1人、アドミニストレーター1人でした。

病院の規模は一般病室約50~60床、ICU(集中治療室)が最大10床程度でそれぞれ担当の現地医師と看護師がいました。ER(救急救命)も現地医師が初療をしつつ、外科医に連絡をくれるといった感じでした。

手術にのぞむ筆者 手術にのぞむ筆者

手術室は2室あり外科と整形外科で分かれて使用しており、さらに3番目の手術室(麻酔器とモニターがない)は包帯交換や小さな縫合などの処置を局所麻酔下で使用していました。

手術室スタッフは現地外科医が10人(一般外科医5人、整形外科医5人)もいました。海外派遣外科医は外科チーム全体のスーパーバイザー的な役割として、常に手術室でほかの外科医の手伝いや指導をしていました。

症例としては銃創が最も多く、ほかに爆発・爆風による創傷、刺創、交通外傷などでした。手術室全体で毎日15~20件の手術を行っており、私の滞在した約5週間では123件を執刀、指導、補助しました。

緊急開腹手術がほぼ毎日1件程度あったのと、血管損傷でリペアを必要とする症例(上腕動脈、大腿動脈、膝窩<しつか>動脈など)は私が担当しただけでも12件と多くみられました。人工血管はないので大伏在静脈をグラフトとして使っていました。その他は四肢のデブリードマン(壊死<えし>した部分の切除)、植皮、縫合などでした。

ほかのイスラム教の国と同様、イエメンも男性主導の文化であり、女性外科医(しかも日本人だから若く見られる)がイエメン人の男性外科医に意見を聞いてもらえるようになるには時間がかかりました。

適度な距離を保ちつつ、リスペクトを示しながらも、「こういうやり方があって、こんな点で優れている」と説明しても、「いや自分の方が戦傷外科の経験が豊富だ。自分の経験からこのやり方が正しい!!」と言い張られてしまうこともあり、歯がゆい思いもたくさんしました。

それでも皆一生懸命患者を救おうとしている点では想いは共通であり、一緒に笑ったり喜んだりできる良い仲間でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
全身を覆うアバヤ、外出時は筆者も着用 全身を覆うアバヤ、外出時は筆者も着用

毎朝8時に全体ミーティングがあり、その後ICU回診。その後は手術室でほかの外科医の指導や補助をし、その日のプログラムを午後6時までに何とかして終わらせるよう努力しました。

派遣期間の途中で一般外科医の1人が病欠となっってしまい、その穴埋めとして私が彼のポジションを補ったため、病棟回診や外来フォロー、夜勤などもこなしました。全体的には予想していたよりも忙しくはなく、夜6時以降に呼ばれたのはほんの数回のみでした。

イスラム文化にもとづき金曜日がお休みの日とされていたため、予定手術は入れず、宿舎でのんびり読書をしたり昼寝をしたりしていました。

一度だけ治安が良かった時に、近くのプライベート・ビーチに行くことができました。往復はアバヤを着ていましたが、ビーチでは長袖Tシャツ、薄手の長ズボンという不思議な「水着姿」で泳ぐことが許されました。服を着て泳いだのはある意味で貴重な経験でした。

Q現地での住居環境についておしえてください。
ハエ取りラケットが大活躍 ハエ取りラケットが大活躍

病院の2階の一部を宿舎として使用していました。個室にベッド、タンス、机が与えられ、運が良ければトイレとシャワー付きの部屋もありました。冷房もきちんと機能しており非常に快適な環境でした。唯一の難点は、朝4時に近所のモスクからお祈りの呼びかけがスピーカーを通して爆音で流され、目が覚めてしまうこと(部屋の向きによって違うようです)。慣れるまでは耳栓が必要でした。

食事は週末も含めコックが作ってくれ、とても美味しくいただきました。港町なので時々シーフードが入るのも良かったです。

とても清潔でゴキブリは一度も見なかったのですが、キッチンでネズミが発見されたのと、ハエが宿舎のどこにでもいて文字通り五月蠅い(うるさい)状態でした。特に寝室にいると顔の上を歩いたりして気になるので、日中の間に何とかして寝室のハエを追い出そうと躍起になっていました。ハエ取りラケット(テニスラケットのような形でネット部分にハエが触れると電流が流れるという熱帯地域の必需品)が大活躍でした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
男性社会でかんばっている現地女性外科医とともに 男性社会でかんばっている現地女性外科医とともに

<良かったこと>
これまでにたくさんの日本人スタッフが派遣されたプロジェクトで、みんなの評判がとても良かったという話を聞いて、やはり日本人の順応性と人柄は素晴らしいと感じられました。

血管外科の症例が多く、たくさんの経験を積むことができたのもよかったです。また、初めて現地の女性外科医と一緒に働いたこと。イスラム教の国で男性外科医ばかりの中、若手女性外科医が働くのは想像を絶するほどの困難があるはず。それでも彼女は負けまいと頑張っていたので、こちらが心打たれました。

<苦労したこと>
イエメン人男性外科医たちの高いプライドと頑固さには苦労しました。それも終わってしまえば良い思い出です。

あとは、17時間の船旅。まあ船から降りれば治るのですが、ちょっと辛かった。。。

Q今後の展望は?

2週間ほどお休みを頂き、6月からコンゴ民主共和国の活動に行く予定です。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

それぞれの国や地域ごとに、異なる文化・環境があり、行く度に感心したり驚いたり大笑いしたりします。日本での生活では得られない、ワクワク・ドキドキがあなたを待っています。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年8月~2015年9月
  • 派遣国:中央アフリカ共和国
  • 活動地域:バンギ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2015年6月~2015年7月
  • 派遣国:コンゴ民主共和国
  • 活動地域:ルチュル
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2014年4月~2014年6月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2013年6月~2013年10月
  • 派遣国:アフガニスタン
  • 活動地域:クンドゥーズ
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2013年4月~2013年6月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年8月~2012年9月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年6月~2012年7月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ハングー
  • ポジション:外科医
  • 派遣期間:2012年4月~2012年5月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • 活動地域:ポートハーコート
  • ポジション:外科医

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