ウクライナ全面侵攻から4年、引き裂かれた人びとの“いま”──止まらぬ破壊と終わらぬ避難

2026年02月20日
若い頃の両親の写真を見せる、ウクライナ東部から避難したリュボフ・クズメンコさん。父親は2024年に亡くなったが、葬儀に参加することはできなかった=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
若い頃の両親の写真を見せる、ウクライナ東部から避難したリュボフ・クズメンコさん。父親は2024年に亡くなったが、葬儀に参加することはできなかった=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF

ロシアがウクライナに全面的に侵攻してから、2月24日で4年となる。戦争は長引き、破壊の規模は拡大する一方だ。

ウクライナでは、インフラへの攻撃によって暖房や水、電気、医療といった生活の基盤が失われている。戦闘の前線が迫っても、ぎりぎりまで家に残らざるを得ない住民も少なくない。

国境なき医師団(MSF)は、ウクライナ各地で移動診療を続けている。診療件数は前年比で倍増した一方で、戦闘激化に伴って複数地域からの撤退を余儀なくされた。

戦争の長期化がもたらす避難と喪失の現実を、避難所に身を寄せる人びとの声から伝える。

氷点下の避難所

その赤ちゃんは、ぱっちりとした青い目で、声のよく通る生後2カ月の男の子だった。朝になると、廊下にまで元気な泣き声が響き渡る。

名前はダミルちゃん。生まれてから、お風呂に入れたのは2回だけ。1回目は病院で、2回目は避難所に電気が一時的に戻った久しぶりの日だった。

母親のカテリーナ・ムラシュキナさん(17)は言う。

生後2カ月の息子ダミルちゃん(左から2人目)を世話する母親カテリーナ・ムラシュキナさん(左端)=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
生後2カ月の息子ダミルちゃん(左から2人目)を世話する母親カテリーナ・ムラシュキナさん(左端)=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF

部屋を十分に暖められず、すごく寒いです。それで子どもに風邪をひかせるのが怖くて、お風呂に入れられません。いまは拭き取りシートで済ませています。

生後2カ月の赤ちゃんの母親でウクライナ避難民 カテリーナ・ムラシュキナさん

2人は、ウクライナ東部の都市ドニプロにある避難所で2部屋を借りて、ほかの家族と計5人で暮らしている。元々この建物は科学研究所として使われていたが、2022年に避難所へ転用された。

ここには、占領地域や、廃虚となった都市から逃れてきた約270人が身を寄せる。しかし、ロシア軍によるエネルギーインフラへの度重なる攻撃で、住民は暖房・水・電気のない日々を余儀なくされている。気温は氷点下20度にまで下がる日もある。MSFが定期的にこの場所を訪れ、避難民を診療している。

ウクライナ東部の都市ドニプロにある避難所は老朽化が進んでおり、集会ホールの天井は崩落が始まっている。修理には多額の費用がかかるため、いまは誰もこの部屋には入らない=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
ウクライナ東部の都市ドニプロにある避難所は老朽化が進んでおり、集会ホールの天井は崩落が始まっている。修理には多額の費用がかかるため、いまは誰もこの部屋には入らない=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF


「以前は、電気も食料もない地下室で何カ月も暮らしていました」

そう話すのは、カテリーナさんの母親ユリヤ・ムラシュキナさん。実は、ユリヤさんが故郷を離れたのはこれが2回目だ。最初の避難は2014年、カテリーナさんがまだ5歳ほどの幼い頃だった。

孫娘を抱えるユリヤ・ムラシュキナさん(右)=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
孫娘を抱えるユリヤ・ムラシュキナさん(右)=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF

そのときは子どもの肌着と離乳食の入った哺乳瓶だけ持って出ましたが、何とかなりました。だから2022年に2回目の避難をするときも、持ち物のことは気になりませんでした。ただ、一つだけとても心配なことがありました。それは、先に出発した避難バスが攻撃され、私たちが無事に逃れられるかどうかわからなかったことです。

カテリーナさんの母親 ユリヤ・ムラシュキナさん

奪われた故郷

戦闘の前線から近い地域で暮らす人びとにとって、家を離れる決断は簡単なことではない。特に、経済的な余裕がない場合や、頼れる場所が少ない高齢者や持病のある人は、ぎりぎりまで住み慣れた家にとどまる傾向にある。

しかし、絶え間ない攻撃により、インフラや医療をはじめとした生活に欠かせないサービスが壊れていくと、もはや逃れる以外に選択肢はなくなる。

攻撃を受けたウクライナの首都キーウ=2025年4月24日 © MSF
攻撃を受けたウクライナの首都キーウ=2025年4月24日 © MSF


戦争が長引くなかで、病院、薬局、学校、商店は相次いで破壊されるか、閉鎖に追い込まれている。地域社会そのものが、もはや暮らせる場所ではなくなりつつある。戦闘が続くほど避難する人はさらに増え、求められる人道援助の形はより複雑となっている。

東部ドネツク州の都市リマンで暮らしていたジナイーダ・バビシェワさん(67)も、ロシアによる全面侵攻により、2022年3月からドニプロの避難所に身を寄せている一人だ。

故郷での生活をいまでも思い出す。親しくしていた近所の人たちのこと、祝日には一緒に食卓を通りに出して食事を囲んだこと、自宅の庭のこと──。

愛犬のトシクを抱き寄せ、こうつぶやいた。

愛犬のトシクを抱き寄せるジナイーダ・バビシェワさん=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
愛犬のトシクを抱き寄せるジナイーダ・バビシェワさん=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF

自宅にはリンゴやプラム、サクランボ、洋ナシ、モモまでありました。花はバラやユリが咲ききれないほどあったんですよ。でも、この状況ではもう何かを育てる気にもなれません。

東部ドネツク州からの避難民 ジナイーダ・バビシェワさん

この避難所には、東部ルハンシク州のシベルスコドネツクから逃れてきたリュボフ・クズメンコさん(65)も暮らしている。

リュボフさんは故郷をロシア軍に占領され、自宅アパートの棟内にあるすべての扉を兵士に壊された。その後、部屋を略奪される被害にも遭った。

しかし、いま何よりも重くのしかかっているのは、家族と引き裂かれている現状だ。

「母のそばにいられないことが本当につらい」と語るリュボフ・クズメンコさん=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF
「母のそばにいられないことが本当につらい」と語るリュボフ・クズメンコさん=2026年2月1日 © Julia Kochetova/MSF

両親は占領下に残ることを選びました。父は2024年に亡くなったのに、私は葬儀のために戻ることさえできませんでした。母にはビデオメッセージを送っていますが、そばにいられないことが本当につらいです。

東部ルハンシク州から逃れてきた避難民 リュボフ・クズメンコさん

ウクライナにおけるMSFの移動診療

MSFは、ウクライナ各地で医療と心のケアを届けている。

戦闘の前線近くの病院支援や、戦傷者を搬送する救急車の運用に加え、避難民を受け入れる施設や地域での「移動診療」に力を入れている。

背景には、戦闘が長期化し、町や村から人びとが追われるなかで、避難民のニーズが拡大している状況がある。移動診療による診療件数は、2024年に4327件だったのに対し、翌年の2025年には9500件と2倍以上に増えた。

ウクライナで広がる破壊の規模は甚大だ。前線では砲撃、ドローン、ミサイルが飛び交い、戦線が動くたびにあらゆる人、ものが巻き込まれている。

MSFも状況に応じた対応を迫られている。危険が高まった地域では、支援していた病院7カ所と、移動診療をしていた地点40カ所以上から撤退を余儀なくされた。

ドネツク州のリマンも、かつてMSFが移動診療をしていた地域の一つだった。しかし、状況の悪化から活動を続けることが難しくなり、2024年6月にはすべての活動を停止。現在も前線の町には約2000人の住民が残り、毎日のように砲撃にさらされている。

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