世界難民の日:「あなたと同じ人間です」難民として生きるMSFスタッフの声
2020年06月20日7万5000人が身を寄せる、タンザニアのンドゥタ難民キャンプで暮らすバルテルミーは、不安定な状態が続くブルンジから逃れた難民であり、また住民の健康を支える唯一の医療援助団体、国境なき医師団(MSF)のスタッフだ。
「世界難民の日」である6月20日、故郷を離れて難民となり、過酷な避難生活を生き抜いたバルテルミーがMSFと出会い、家族とともに新しい生活を始めるまでの物語を伝える。
すべてを捨てて難民に。自転車でタンザニアを目指す
故郷を思い出すとまず目に浮かぶのは、温暖な気候。そして夕焼けで黄金色に染まった湖岸沿いの道でサイクリングをしたことです。日が沈むころ、水面からカバが顔を出し、子どもたちは水遊びをする——。青と白に塗られた教会のそばに集まる、色鮮やかな衣服を着た友人たちと、太陽に照らされた教会で聞こえてくる牧師の声。大学を卒業した日の恋人の嬉しそうな顔と、その時の幸せな気持ちは鮮明に覚えています。
でも、2015年に故郷を後にした日のことを思い出すと、今でも胸が張り裂けそうになります。銃声と爆発音が飛び交う日々が続いていたある晩、銃を持った2人の男が家に押し入ってきて、私を腹ばいに押さえつけて家財を盗んでいきました。このような暴力沙汰が、毎日家の周りで起きていたのです。
仕事、家族、教会、家……大切なものすべてを置いてでも、ここから出て行かなければならないと分かっていました。恋人に別れのキスをしたとき、彼女のまつげについた温かく湿った涙が溢れ、頬を伝いました。「行き先は分からないけれど、着いたら手紙を書くよ」
服、聖書、携帯電話、そして80米ドルほどのお金を入れたリュックサックを背負い、私は自転車で出発しました。建物や木々の陰に隠れながら何時間もペダルをこぎ続けていると、いたるところから銃声や戦闘音が聞こえてきます。澄んだ空気の中を山の頂きまで上り、そこでトラックに乗せてもらって、ユーカリの木が立ち並ぶ曲がりくねった道を村まで下りました。
過酷なキャンプ生活……仲間と助け合いながら
最初は20人ほどの男性と一緒に、国境近くの難民用一時滞在センターのホールで寝泊まりしました。夜は固い泥の床に敷かれたマットの上で眠り、食事はトウモロコシの粉を水で溶いたものだけ。避難所と水、身の安全を確保できることをひたすら祈りながら1週間が過ぎたとき、私は国連によって、ブルンジとコンゴ民主共和国から来た約15万人の難民が住むニャルグス難民キャンプに移されました。
MSFとの出会い、恋人との再会——そして父親に
さらに2カ月半後、今度はタンザニア北西部にあるンドゥタという別の難民キャンプに移されました。ビニールシートの下での寝泊まりからテント生活を経て、乾いた木と泥で自分の家を建てられたのは嬉しいことでした。地元のキリスト教徒と一緒に、キャンプ用の新しい教会も建てたんですよ。
2016年6月には、ブルンジからンドゥタ難民キャンプへと移ってきた恋人と再開することができました。離れ離れだった1年間、そして互いの消息も分からず不安な時を乗り越えて、私たちはキャンプの教会で結婚しました。そしていま、私たちにはグッドラック・テナと名付けた小さな男の子がいます。
難民としてタンザニアで5年間暮らしてきた私から、お願いしたいことがあります。それは「難民だというだけで、私たちのことを決めつけないでほしい」ということ。私たちはよこしまでも悪くもありません。あなたと同じ人間であり、恐怖と夢を持って生き、物事を感じています。他のどの人とも変わりません。私たちに起きたことは、地球上の誰にでも起こり得ます。好き好んで難民になる人などいないのですから。