今世紀最大の人道危機──シリア内戦10年 人びとの苦難はいまなお続く

2021年03月15日掲載

空爆を受けた東アレッポの病院=2016年 🄫 KARAM ALMASRI空爆を受けた東アレッポの病院=2016年 🄫 KARAM ALMASRI

2011年に始まり、いまなお続くシリア内戦。紛争前の人口の半分にあたる1200万人が自宅を追われて国内外での避難生活を余儀なくされている状況は、「今世紀最大の人道危機」と言われている。

長引く紛争で国内のインフラの大半が破壊され、また比較的高い水準で知られたシリアの医療体制は、何百もの医療機関に対する空爆、多数の医療スタッフの殺害によって、壊滅的な打撃を受けた。国内各地ではいまだ深刻な医薬品不足が続き、医療へのニーズは高まるばかりだ。

国境なき医師団(MSF)は、紛争発生当初から医療物資の提供、病院や診療所の開設、医療機関や医師のネットワークへの遠隔支援など、さまざまな活動を通じて命の危機に瀕している人びとを支え続けてきた。

各国政府や過激派武装組織などさまざまな勢力が入り混じり、混迷を極めるシリア内戦の10年間を、MSFの人道・医療援助活動とともに振り返る。

2011年 抗議運動から武力紛争へ

紛争のきっかけとなったのは、2011年に多くのシリア人が民主化を求めて行ったデモ運動だ。当初は小規模な活動に過ぎなかったが、数か月後には大規模な抗議運動に発展。これに対し警察と軍が武力鎮圧に乗り出した結果、数百人の死者と数千人もの負傷者が出た。やがて紛争が激化すると、多くのシリア人が戦火を逃れ、国内外に避難を始めた。

MSFにとって、シリアでの活動は常に困難の連続だった。なぜならシリア政府はこの10年間、支配地域におけるMSFの活動を一切認めておらず、援助活動は常に政府が支配する地域の外で行わなければならないからだ。

それでもMSFは、シリア国内で切迫した状況下にある人びとへの医療援助を実施。シリア人医師のネットワークを支援し、西部から北西部の各地にある仮設病院や診療所に対し、医療物資や救援物資の提供を行った。政府軍の支配下にある首都ダマスカスには入ることができなかったため、MSFは現地で活動するシリア赤新月社に物資を送ることで、ダマスカス市内の医療ニーズの高まりと医療物資の不足に対応。レバノンヨルダンなどの近隣諸国においても、シリア人難民を支援するプロジェクトを立ち上げ、医療を必要とする人びとへの対応を開始した。

2012年 紛争の激化

2012年、民主派組織などさまざまな勢力が介入するようになると、紛争はさらに激化し、全国で死傷者が急増。高まり続ける医療ニーズに対応すべく、MSFはシリア北部全域で病院を開設。しかし紛争で多くの医療機関が破壊されていたため、学校、養鶏場、建物の地下室などに医療設備を配置し、外傷のケアや手術を中心に救急医療を提供した。

近隣諸国に押し寄せるシリア難民が増加する中、MSFは隣国レバノンのベッカー高原やイラク国内のクルド人自治区ドミーズに設置された難民キャンプなどで活動を拡大。一方で中東を離れ、欧州を目指す人も増えつつあった。

2013年 高まる医療へのニーズ

2013年には、医療体制の悪化が人びとの健康状態に深刻な影響を与え始めた。本来予防できたはずの病気がまん延し始めたのだ。北部の都市アレッポの子どもたちの間では、はしかが発生し、14年ぶりにポリオが確認された。こうした事態を受けて、MSFはシリア北東部で集団予防接種を実施した。

また南部では戦闘の激化を受けて、国境を接するヨルダン北部のラムサで緊急外科プログラムを開始。シリア国内の仮設病院では治療を受けられない紛争負傷者の治療にあたった。

一方、安全を求めて近隣の国へと逃れたシリア人は数十万人にのぼったため、MSFは中東地域での活動をさらに拡大し、人びとへの援助を最大限に引き上げた。2013年末までにシリア難民は推定150万人に達した。

2014年 MSFスタッフが拉致被害に

2014年に入ると、紛争はさらなる流血を伴い、医療・人道援助活動は激化する暴力や包囲網の強化といった難題に直面する。この年の1月に発生したMSFスタッフの拉致事件によって、MSFは過激派組織「イスラム国」が支配する地域での活動中止と、シリア北西部からの外国人派遣スタッフの避難を余儀なくされた。しかしMSFはシリアでの活動を継続することを決定し、新しいプロジェクトの立ち上げと、国内の医療機関への遠隔支援に取り組んだ。

2015年 暴力の矛先は医療へ

2015年には、国内避難民は600万人、国外に避難したシリア難民は400万人にのぼり、数百万人が人道援助に頼らなければ生きられないという切迫した状況にあった。安全を求めて欧州を目指そうと数千人が危険な地中海横断を試みるも、海難事故が多発。これを受けて、MSFは地中海地域全体で活動を拡大し、地中海での捜索救助活動によって欧州に向かう人びとの命を守った。

紛争に介入する国や組織が入り乱れ、戦況は泥沼化。極度の暴力によって数百万人が被害を受けた。民間人が暮らす地域への爆撃は日常的に行われ、負傷者を受け入れる医療機関を標的にした攻撃も頻発。化学兵器使用による症状も多く報告された。包囲された地域では、少なくとも150万人が人道援助、医療を受けることができず、また医療搬送目的での移動もかなわないまま閉じ込められた。

MSFが支援する63カ所の病院や診療所は94回もの空爆や砲撃を受け、そのうち12カ所は全壊。MSFの支援先医療機関で死亡したシリア人医療スタッフは23人、負傷者は58人にのぼった。

米国を主体とした連合軍の支援を受けたクルド軍が「イスラム国」を追い出した後、MSFは壊滅状態にあった北西部の都市コバニに入り、病院を建設。しかし「イスラム国」の戦闘員が再び市内に潜入し、激戦の末にこの病院は破壊された。それでもMSFは市内に留まり、基礎医療と2次医療体制を支援し続けた。

2016年 包囲網に閉じ込められた人びと

2016年、民間人が住む多くの地域では日常的に空爆が行われた。包囲網の中に閉じ込められた人びとに援助は届かず、食料・医療事情は極度に悪化した。

12月にシリア政府は東アレッポを奪還したが、この地域では包囲戦、複数の病院の破壊、市民居住地域への無差別爆撃など、戦争法規を無視したあらゆる残虐行為が行われ、その様相は「シリア内戦の縮図」と言われている。MSFは東アレッポにある8カ所の病院を全面的または部分的に支援していたが、そのすべてが爆撃の被害を受けた。

一方、シリアの近隣諸国の多くは難民に対し国境を閉鎖。多くの人びとが包囲された地域に閉じ込められたり、閉鎖された国境付近で足止めされたりしたほか、紛争で傷ついた人が治療を受けることができなくなっていた。

2017年 領土をめぐる対立

北部の都市ラッカをめぐる大規模な攻防戦の末、米国の支援を受けたシリア民主軍が、イスラム国から北東部広域の支配権を奪取。MSFは、ラッカでの激しい爆撃で傷を負った数百人の負傷者を治療したほか、破壊された家に仕掛けられた爆弾や、不発弾による重傷者の手当ても行った。

一方南部では、シリア政府がダルアー県、クネイトゥラ県、スワイダー県で領土奪還を開始すると、激しい砲撃により、現地に住む何十万人もの人びとの生活に大きな影響を与えた。

2018年 地雷だらけの町に──避難民の帰還

シリア政府軍の侵攻に伴う激しい戦闘から逃れようと、シリア北西部では新たに避難する人が出始めた。これは政府が出した降伏条件に基づいたもので、戦闘員や民間人が政府の管理下にない他地域への移動を希望する場合には、安全な通路を確保するという内容であった。一方、北東部では、爆弾が仕掛けられた廃墟や地雷だらけの町に人びとが戻ってきていた。

2月から4月にかけて、ダマスカス郊外の東グータ地区では、紛争開始以来、最も激しい砲撃が行われ、その後シリア政府軍が地域の支配権を握った。この時多くの医療機関が攻撃を受け、約2000人が死亡した。

シリア政府が支配権を手にしたダルアー県、東グータ地区、ハマー県、ホムス県などの場所では、MSFは活動や医療機関への支援は継続できなくなったため、北部での医療援助を拡大した。

2019年 紛争の中心地は北部へ

2019年、シリア政府軍とロシアを中心とした同盟国は、反政府勢力最後の拠点であるイドリブ県で攻撃を開始。新たに避難した数十万人が向かった先は、清潔な水も医療もない地域だった。比較的安全だと思われていた地域のほとんどはすでに大勢の避難民で過密状態にあり、人道援助も限界を超えていたため、他に選択肢がなかったのだ。

北東部では、アルホール避難民キャンプに6万人余りの人びとが押し寄せたことを受けて、MSFは同地域での活動を拡大。避難民の多くは国内で「イスラム国」最後の拠点となっていたデリゾール県から逃れてきた人たちだった。

10月にはトルコ軍が国境から30キロメートル、西に440キロメートル伸びる地帯からクルド人勢力の一掃を目指す「平和の春」作戦を開始すると、MSFは活動の大半を中止して外国人派遣スタッフを全員退避させるという苦渋の決断を迫られた。

2020年 軍事攻勢、経済危機、新型コロナウイルス

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)は、9年間の紛争によって、既に壊滅状態にあったシリアの医療事情をさらに悪化させた。イドリブ県では7月に医療従事者の陽性が確認されたが、コロナ以前から医療分野の人材は激減していたため、感染が広がった場合、現地の医療事情に深刻な影響を与える可能性があった。

また、シリアはここ数年で最悪の経済危機に陥っていた。シリアの通貨であるポンドは最安値を記録し、人びとは食料や医療など生活必需品さえ手に入れることができずにいた。

2021年 終わりの見えない苦しみ

10年が経ったいまも内戦は終結せず、人びとの苦しみに終わりは見えない。現在シリアでは世界最多にあたる620万人の国内避難民が不安定な環境での生活を強いられており、また約560万人がトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトで難民として暮らしている。

国連世界食糧計画(WFP)が発表した国別データによると、シリアでは全人口の約60%にあたる1240万人が食糧難に陥っており(2021年2月時点)、経済危機、新型コロナウイルスによる雇用喪失、食糧価格の高騰は、10年間の紛争によって疲弊しきった国内情勢にさらなる追い打ちをかけている。いつ終わるとも知れない紛争によって家を失い、家族を失い、いまこの瞬間にも命の危機に直面している人たちがいる。MSFはこれからもシリア難民・避難民のもとへと医療・人道援助を届けるとともに、過酷な状況に置かれた人びとの声を発信し続ける。

イドリブ県アリハ 政府軍の砲撃によって破壊された建物=2020年 🄫 Muhammed Said/Anadolu Agency via Getty Imagesイドリブ県アリハ 政府軍の砲撃によって破壊された建物=2020年 🄫 Muhammed Said/Anadolu Agency via Getty Images

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