「ガザで見たことを世界に」──最後に退去した国際スタッフが語る、人びとに託された願い

2026年03月23日
パレスチナ・ガザ地区北部の炊き出しに集まった人びと。極めて深刻な食料不足が続いている=2025年2月1日 © Nour Alsaqqa/MSF
パレスチナ・ガザ地区北部の炊き出しに集まった人びと。極めて深刻な食料不足が続いている=2025年2月1日 © Nour Alsaqqa/MSF

「次に入るとき、ガザはどんな姿になっているのでしょう」

国境なき医師団(MSF)の看護活動マネジャー、ロシオ・シモン・マルティネスはこう語る。

MSF看護活動マネジャーのロシオ・シモン・マルティネス © MSF
MSF看護活動マネジャーのロシオ・シモン・マルティネス © MSF
イスラエル当局は2月末、パレスチナ・ガザ地区とヨルダン川西岸地区で活動する37のNGOの登録を取り消した。ロシオは、この取り消しによってガザからの退去を強いられた、最後のMSF国際スタッフの一人だ。

それでも、MSFはパレスチナ人の現地スタッフと共にこれからも支援を続けていく。

ガザへの2回目の派遣を終えたばかりのロシオが、現地で目の当たりにした医療崩壊の実態と、人びとから託された願いについて証言した。

2回目のガザ

私が初めてガザに入ったのは、2024年11月から12月にかけてでした。

2回目は、看護活動マネジャーとして2025年11月に戻りました。ただ、現地に滞在できたのは2026年2月26日まで。活動登録を取り消されたNGOの国際スタッフは全員退去するよう、イスラエル当局から求められたためです。

建物が崩壊したガザ市。がれきの間を女性が子どもを連れて歩く=2024年9月23日 © MSF
建物が崩壊したガザ市。がれきの間を女性が子どもを連れて歩く=2024年9月23日 © MSF


イスラエルがこれ以上、後任の国際スタッフとの交代を認めないと分かったため、私は滞在の延長を決めました。

私は、ガザ南部の看護活動マネジャーとして、南部の複数の医療施設を巡回・統括しました。また、北部にも足を運び、MSFが支援するアル・ヘロウ病院や、ガザ市ゼイトゥーン地区にある診療所の活動も見ていました。

いわゆる「停戦」下であっても、戦闘が本当に止まったと感じたことは一度もありません。上空では常に無人航空機(ドローン)が飛び交い、空爆の音も毎日のように聞こえていたからです。

破壊されたガザ北部ベイト・ラヒヤの街並み=2025年2月3日 © Nour Alsaqqa/MSF
破壊されたガザ北部ベイト・ラヒヤの街並み=2025年2月3日 © Nour Alsaqqa/MSF


停戦の合意前と比べれば、大勢の死傷者が一度に運び込まれるような事態は減ったかもしれません。ですが、暴力そのものがなくなったわけではありませんでした。

今回、私がガザに来て目にしたのは、前回を上回る破壊でした。

保健医療体制は壊滅的です。残っている建物はさらに減り、逆にテントが増えていました。避難を強いられた家族は、ますます狭い地域へと押し込められています。

命を脅かす生活環境

状況はあまりにも非人道的です。こうした環境で生活を強いられることが、ガザの人びとの健康に深刻な影響を及ぼしている現実を私たちは目の当たりにしました。

呼吸器感染症は後を絶ちません。肺炎や細気管支炎にかかる子どもたちが相次いでいます。暖房もない仮設テントで、冬の寒さにさらされながら暮らしているためです。

重い呼吸器疾患を抱える男の子(生後7カ月)の母親。「服がないため仕方なくビニール袋を着せるが、そのせいで皮膚の感染症や発疹に悩まされる」と話す=2024年11月7日 ©  Ibrahim Nofal
重い呼吸器疾患を抱える男の子(生後7カ月)の母親。「服がないため仕方なくビニール袋を着せるが、そのせいで皮膚の感染症や発疹に悩まされる」と話す=2024年11月7日 ©  Ibrahim Nofal


清潔な水はいまなお乏しく、急性胃腸炎の患者も絶えません。人びとはこの2年以上、水を手に入れるためだけに毎日、列に並び続けています。過密状態と不衛生な環境のため、皮膚の疾患も広がっています。

傷の処置を必要とする患者はあまりに多く、対応が追い付かないほどでした。多いときには、週に最大900件の傷の手当てをしました。こうした傷は負ってから何カ月もたっているのに、治り切っていないものが多かったです。

私は18、19歳の若者たちも治療しました。脊髄の銃創によってまひが残り、寝たきりの状態で床ずれしやすくなっていました。しかもこの生活環境だと、その傷がすぐに感染してしまうのです。

銃撃を受けて負傷し、ガザ南部の診療所で治療を受ける少年たち=2025年7月10日 © Nour Alsaqqa/MSF
銃撃を受けて負傷し、ガザ南部の診療所で治療を受ける少年たち=2025年7月10日 © Nour Alsaqqa/MSF


いまも四肢に創外固定器をつけたまま、ガザの外でしか受けられない手術を待ち続けている患者が大勢います。世界保健機関(WHO)によると、ガザでは受けられない専門的な治療を必要とする患者は、現地で1万8500人に上るといいます。

しかし、人びとは自由に域外へ出ることを許されておらず、医療搬送できる人数も極めて限られているのです。

脚を負傷し、ガザからヨルダンへ医療搬送されたばかりの少年(右から2人目)=2025年10月26日 © MSF
脚を負傷し、ガザからヨルダンへ医療搬送されたばかりの少年(右から2人目)=2025年10月26日 © MSF

搬送を待つ3歳児

忘れられない患者が一人います。3歳の男の子、ムハンマドくんです。彼は慢性的な栄養失調に加え、複雑な医療ケアを必要としていました。

私たちは治療用のミルクを彼に与え、一時は状態が良くなりました。しかし自宅に戻ると、再び悪化してしまいました。

最後に会ったとき、体重はかなり落ちていました。病院の外で栄養失調の治療に使われる、ピーナツ由来の栄養補助食を受けつけなかったからです。

栄養失調の診察のため、ガザ市内の診療所で待つ1歳の男の子と母親(中央左)。妊娠8カ月の母親も栄養失調を患っている=2025年6月4日 © Nour Alsaqqa/MSF
栄養失調の診察のため、ガザ市内の診療所で待つ1歳の男の子と母親(中央左)。妊娠8カ月の母親も栄養失調を患っている=2025年6月4日 © Nour Alsaqqa/MSF


彼はセリアック病(小麦などに含まれるグルテンが引き金となる自己免疫疾患)があり、ほかにも特別な食事管理が必要です。

ムハンマドくんはいまもなお、医療搬送の順番を待っています。ガザの外で治療を受けられなければ、どれだけ私たちが手を尽くしても、彼のような子どもたちは生き延びられないかもしれません。

医療を支える現地スタッフ

現地で活動を続けているMSFのパレスチナ人スタッフも、境遇はまったく同じです。

彼らもまた、ほかの人びとと同じように、不安定な治安や物資不足、心理的な重圧にさらされています。攻撃の脅威が消えることはないのです。

攻撃を受けて損壊した、ガザ南部のナセル病院を見つめるMSFスタッフ=2025年3月24日 © MSF
攻撃を受けて損壊した、ガザ南部のナセル病院を見つめるMSFスタッフ=2025年3月24日 © MSF


MSFの活動を現場で支えているのは、パレスチナ人の現地スタッフたちです。

今後、私たち国際スタッフが離れた場所から彼らを支えることは、現地で肩を並べて活動していたこれまでの代わりにはなりません。

2年以上にわたり、途切れることのない苦境のなかで崩壊した保健医療体制を支え続けてきたのは、ほかならぬパレスチナ人の同僚たちなのです。

空爆によって重度のやけどを負った少年を治療するMSF現地スタッフの看護師(中央奥)ら=2023年10月19日 © MSF
空爆によって重度のやけどを負った少年を治療するMSF現地スタッフの看護師(中央奥)ら=2023年10月19日 © MSF


今回、ガザを離れるバスの中で私は胸が詰まる思いでした。

ガザへ戻るたびに、破壊の状況がひどくなっていました。私の頭を離れなかったのは、もし再び入ることが許されたとして、そのときガザはどのような姿になっているのか、そしてそれがいつになるか──ということでした。

ガザ中心部のMSF事務所前で攻撃を受けて破壊された、MSFの車両4台=2023年11月20日 © MSF
ガザ中心部のMSF事務所前で攻撃を受けて破壊された、MSFの車両4台=2023年11月20日 © MSF

人びとが求めていること

1月1日以降、MSFはガザに物資を一切搬入できていません。

さらに2月末以降、イスラエルがMSFを含む37のNGOのパレスチナでの活動登録を取り消したことで、MSFの国際スタッフは全員、ガザからの退去を余儀なくされました。

これは水、食料、医療、衛生、教育などの分野で、人道援助にほぼ全面的に依存している人びとに壊滅的な影響を及ぼします。必要とされている支援は、あまりに膨大なのです。

ガザ地区ネツァリムの「ガザ人道財団」の配給所。混乱のなか、男性(手前)が支援物資を手に歩いている=2025年7月 © MSF
ガザ地区ネツァリムの「ガザ人道財団」の配給所。混乱のなか、男性(手前)が支援物資を手に歩いている=2025年7月 © MSF


パレスチナの人びとは、私たちにこう訴えていました。

「ガザであなたたちが見てきたこと、自分たちがどのように生きているのか、そして私たちへの暴力と封鎖がここでどんな影響をもたらしているか……。そのすべてを、世界の人たちに伝えてほしい」と。

いま、私にできるのはガザでの経験を語ることです。そしていつの日か、MSFをはじめ、ほかのすべての組織が再び自由に活動できるよう願うことです。

ガザの人びとは、それを切実に求めているのです。

水をくんだポリタンクを手に、避難先のテントへと帰る男の子=2025年8月14日 © MSF
水をくんだポリタンクを手に、避難先のテントへと帰る男の子=2025年8月14日 © MSF

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