【動画】ガザからヨルダンへ、命をつなぐ“医療搬送”の現場から──援助拡大に向け、あなたの署名を

2025年11月21日
動画1分50秒

パレスチナ・ガザ地区では、イスラエル軍による空爆や封鎖で医療体制が崩壊し、多くの患者が治療を受けられないまま取り残されている。

こうした中、ガザ地区から外への医療搬送が続いている。ヨルダンの首都アンマンでは、国境なき医師団(MSF)運営の再建外科病院がその受け入れを担ってきた。

10月下旬、MSF日本会長で医師の中嶋優子がアンマンを訪問。到着したばかりの患者を迎える現場を視察し、深刻な医療ニーズを目の当たりにした。

中嶋とMSF日本は訴えます。ガザからの医療搬送を拡大するための署名に、皆さまのご協力を──。

深夜のアンマン、150キロの搬送

アンマンにあるその病院は、緊張した雰囲気に包まれていた。
 
この場所は、ガザ地区から来る患者を受け入れるための中継地点。集まった20台ほどの救急車が駐車場で整然と向かい合い、赤や緑のライトを夜の暗闇に点滅させる。
 
医療スタッフが救急車の周りに立ち、それぞれの医療施設へすぐ出発できるように後部ドアを開け、その時を待っていた。

ガザから医療搬送されてくる患者を待つ間、車内で打ち合わせをするMSF日本会長の中嶋優子(右)と現地のMSF活動責任者=アンマンで2025年10月26日 Ⓒ MSF
ガザから医療搬送されてくる患者を待つ間、車内で打ち合わせをするMSF日本会長の中嶋優子(右)と現地のMSF活動責任者=アンマンで2025年10月26日 Ⓒ MSF

 
午後11時過ぎ、ガザ地区の人びとを乗せた大型バスが病院に到着した。ドアが開くと、車内から松葉づえをついた少年ら約30人の患者が次々と降りてきた。
 
その中に一人、ストレッチャーで運ばれる青年がいた。
 
両脚とも大きな金属製の器具で固定され、感染症のためか皮膚の一部が黒く変色している。その傍らでは付き添いの父親が心配そうに見つめていた。

アンマンに到着後、MSF再建外科病院へと救急車で向かうガザの青年(左)。医療スタッフ(右)に見守られ、青年はやっと笑みを浮かべた=2025年10月26日 Ⓒ MSF
アンマンに到着後、MSF再建外科病院へと救急車で向かうガザの青年(左)。医療スタッフ(右)に見守られ、青年はやっと笑みを浮かべた=2025年10月26日 Ⓒ MSF


青年は17歳。今年5月上旬、ガザ地区で両足を骨折し、歩行困難になってしまった。現地ではおよそ半年間にわたって適切な治療を受けられず、やっと医療搬送が決まったという。

他の患者たちとガザ地区を出たのは、10月26日の早朝6時半ごろだった。

ガザからアンマンまでは東京都~静岡県ほどの距離(約150キロ)。だが、通常の移動とは異なる医療搬送の手続きを経るため、到着までに約17時間を要した。 


「それよりも、早くトイレに行きたい」
 
青年は乗り換えた救急車でバナナと水を手渡されたが、疲れ切った様子でこう首を振った。
 
救急車はすぐに出発。看護師が青年に声をかけても口数は少なく、車内にはサイレンの音だけが響いていた。
 
日付が変わる午前0時ごろ、救急車は同じアンマンにあるMSFの再建外科病院に着いた。青年はスタッフたちにストレッチャーを押され、そのまま院内の病室へと運ばれていった。

アンマンのMSF再建外科病院に到着後、ストレッチャーで病室へと運ばれていく青年(左から2人目)=2025年10月26日 Ⓒ MSF
アンマンのMSF再建外科病院に到着後、ストレッチャーで病室へと運ばれていく青年(左から2人目)=2025年10月26日 Ⓒ MSF

涙から笑顔へ、回復の医療

ガザ地区で紛争が激化した2023年10月以降、ヨルダンのMSF再建外科プログラムでは、現地から搬送された子ども45人と付き添いの家族らを受け入れてきた。
 
今回、新たに受け入れたのは青年を含む男女4人。病院では、紛争下でけがをした体の再建手術やリハビリなどの医療を提供している。

この病院で内科を担当するサレハ・アル・ハティーブ医師は、搬送後の治療についてこう説明する。

医療搬送後の治療を説明するMSF再建外科病院のサレハ・アル・ハティーブ医師=同病院で2025年10月27日 Ⓒ MSF
医療搬送後の治療を説明するMSF再建外科病院のサレハ・アル・ハティーブ医師=同病院で2025年10月27日 Ⓒ MSF

患者はガザ地区から移動してきたことの身体的、感情的な負担が大きいため、最初は簡単な診察だけして休んでもらいます。翌日以降、症状に応じて血液検査、尿検査、レントゲンなどで詳しく調べ、治療へと進んでいきます。

アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ

ガザ地区の患者を受け入れる際、最も重要な治療の一つが「心のケア」だ。

アンマンに到着すると、「爆撃もヘリもない安全な場所に来た」という実感から泣き始める人もいる。MSFのスタッフは意識的に笑顔を見せ、温かい態度で接することで、患者に安心感を抱いてもらうようにしている。

MSFの作業療法士(中央奥)と一緒にボールを押し引きして、リハビリに励む女性の患者(中央手前)=アンマンの再建外科病院で2025年10月26日 Ⓒ MSF
MSFの作業療法士(中央奥)と一緒にボールを押し引きして、リハビリに励む女性の患者(中央手前)=アンマンの再建外科病院で2025年10月26日 Ⓒ MSF


サレハ医師は「病院に来た患者は、時間とともに前向きな変化が見られるようになる」と話す。

例えば、ある子どもは到着後、不安からしばらく部屋を出られなかった。それが次第に心を開くようになり、いまでは学校に通い、外でサッカーを楽しみ、笑顔も戻ったという。

前回の受け入れ時には5~6歳の男の子がいました。到着の翌日、食事でバナナを渡すといきなりはしゃぎ始め、それを握りしめて自撮りし始めたのです。わけを聞くと、彼はこう答えました。「ぼく、バナナを見るのは2年ぶりなんです」。私は驚くとともに、こらえきれず自室に戻って泣いてしまいました。

アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ

「ただ、生きたいだけなのに」

「ここはみんな優しくしてくれるから、とってもうれしいんだ」

同じ再建外科病院の一室でこう笑顔を見せるのは、ガザ地区から医療搬送されてきた男の子、ハサン・オマルさん(7)だ。

ガザから医療搬送されたハサン・オマルさんは「ここはみんな優しくしてくれるからうれしい」と話す=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF
ガザから医療搬送されたハサン・オマルさんは「ここはみんな優しくしてくれるからうれしい」と話す=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF


ハサンさんはガザ地区で体に重度のやけどを負った。すぐに地区最大の公立病院、シファ病院に運ばれたが、十分な治療ができないと判断され、アンマンへ医療搬送されてきた。

元々は全治1~2カ月の診断だった。しかし脚の腱やかかとに後遺症が残るなど当初の見立てよりも重症で、治療は長期化。「二十歳になるころまでリハビリが続くかもしれない」と医師には言われている。

ハサルさんには3歳の妹がいる。だがアンマンに同行できたのは母サハル・ハララさんのみだ。他の家族はいまもガザ地区に残っており、約2年にわたって離れ離れに暮らしている。

ハサンさん(右)が母サハル・ハララさんの手を握ると、話をしていたサハルさんはそっと握り返した=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF
ハサンさん(右)が母サハル・ハララさんの手を握ると、話をしていたサハルさんはそっと握り返した=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF


妹とたまにビデオ通話をすると、ガザ地区で代わりに世話をしてくれているサハルさんの姉を「ママ」と呼ぶようになっていた。

紛争が終わらない中、現地に戻ることもできず、サハルさんは母親として「胸が張り裂けそう」と嘆く。

ガザからは出ましたが、まだ「離別」という異なる紛争の中にいるような気がします。私はハサンの治療を続けながら、娘もこの安全な場所に呼びたい。ガザではいつも紛争が起きていますが、いつ終わるのか分かりません。私たちはただ、生きたいだけなのに。

ガザ地区から医療搬送されたハサンさんの母親 サハル・ハララさん

その傍らで、ハサルさんはこう語った。

ここに来てから少しずつ元気になってきました。これからは学校に通って、たくさん勉強したいです。妹にも早くここに来てほしいな。

ガザ地区から医療搬送された男の子 ハサン・オマルさん

搬送待つ数万人の患者たち

ガザ地区で医療搬送を必要としている患者は、地元保健省の名簿に登録されているだけで1万6500人(10月29日時点)に上る。

しかし、実際の人数はその数倍規模とみられており、事態は深刻さを増している。

サレハ医師は医療搬送を巡る今後の課題として、病院における心のケアのさらなる充実と、幅広い症例に対応するための専門医の拡充を挙げる。

「心のケアのさらなる充実と専門医の拡充が課題」と話すサレハ医師=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF
「心のケアのさらなる充実と専門医の拡充が課題」と話すサレハ医師=アンマンで2025年10月27日 Ⓒ MSF

ガザ地区には心に深い傷を負った患者に加え、神経や顔などのさまざまな部位に損傷を抱える人びとが多いです。そのため、さまざまな専門分野に精通した医師による協働が欠かせません。医療体制をさらに強化できるよう、ご支援をいただけたらありがたいです。

アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ

命を救うための行動を──MSF日本会長、中嶋優子

紛争激化から間もない2023年11~12月、MSFの救急医・麻酔科医としてガザ地区に入り活動した経験がある中嶋。
 
今回のアンマン視察を終え、ガザ地区から医療搬送する意義を再認識し、「受け入れ体制の拡大をしてほしい」と訴える。

アンマンのMSF再建外科病院で遊んでいた子どもの患者(右)の靴ひもを結び直す中嶋=2025年10月26日 Ⓒ MSF
アンマンのMSF再建外科病院で遊んでいた子どもの患者(右)の靴ひもを結び直す中嶋=2025年10月26日 Ⓒ MSF
──医療搬送の現場を視察して、どのような印象を抱きましたか。

ガザの人びとが医療搬送を切実に求めていることを、ますます実感しました。

現地ではさまざまな事情で搬送された、多くの子どもたちと交流しました。脚を切断した子、顔をけがした子、心に深い傷を負っている子……。それでも、最初はふさぎ込んでいた子が治療を受けるうちに元気になり、話すようになるなど前向きな変化が出ていました。

まだまだ道半ばですが、これからさらに医療搬送を拡大することが必要だと感じています。

──印象的な患者さんはいらっしゃいましたか。

群を抜いて明るい13歳の女の子がいました。よく話しかけてくれて、私も一緒に遊びました。

でも、実は心に深い傷を抱えています。ガザで両親を亡くし、付き添いで来ていた保護者は27歳のお兄さんでした。彼女自身も故郷でけがをし、足を引きずって歩いています。顔にはやけどを負い、左目を失っていました。そしてたまに、こうつぶやくのです。

「私も早くお父さん、お母さんの元に行きたいな」

私はその言葉を聞くたびに、胸が締め付けられる思いでした。

──今後の医療搬送の課題はなんでしょう。

患者さんの治療が終わった後、ガザに帰れるようにすることが1番の課題だと思います。

故郷に帰りたいと希望する方々は多いと思いますが、ガザでは家も街も壊されて、帰る場所がありません。では、簡単に帰れるような、人間らしい暮らしができるのはいつになるのか?それは誰にも分かりません。

患者さんたちの将来の生活も見据えた、長期的な援助、計画が欠かせないと考えています。

──なぜ、いま署名活動が必要なのでしょうか。

ガザでは現在、医療の需要がものすごく高いです。その原因は外傷、感染症、慢性疾患、心の傷などさまざまです。
 
でも、現地では肝心の病院が機能していません。こうした状況で、代わりに受け入れられる国・地域が門戸を開くことは人道的にとても大切なことだと思います。それは紛争に限らず、災害のときも同じです。
 
政府の方針は国の首脳の判断で決まります。その決断を後押しするのは、私たち一人一人の意思表示です。
 
救えるはずの多くの命を救うため、日本からも力を合わせて積極的に支援できるよう、皆さまにも署名にご協力いただけたらとてもうれしいです。

アンマンのMSF再建外科病院で、ガザなどから医療搬送された子どもたちと交流する中嶋(左から2人目)=2025年10月26日 Ⓒ MSF
アンマンのMSF再建外科病院で、ガザなどから医療搬送された子どもたちと交流する中嶋(左から2人目)=2025年10月26日 Ⓒ MSF

あなたの一枚が、命をつなぐきっかけに

ポスターを印刷・掲示して、署名への参加を広げてください。今こそ、医療搬送の拡大を求める声を届けましょう。

※A4用紙に「100%」のサイズ設定でプリントアウトしてご使用ください。 

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