【動画】ガザからヨルダンへ、命をつなぐ“医療搬送”の現場から──援助拡大に向け、あなたの署名を
2025年11月21日パレスチナ・ガザ地区では、イスラエル軍による空爆や封鎖で医療体制が崩壊し、多くの患者が治療を受けられないまま取り残されている。
こうした中、ガザ地区から外への医療搬送が続いている。ヨルダンの首都アンマンでは、国境なき医師団(MSF)運営の再建外科病院がその受け入れを担ってきた。
10月下旬、MSF日本会長で医師の中嶋優子がアンマンを訪問。到着したばかりの患者を迎える現場を視察し、深刻な医療ニーズを目の当たりにした。
中嶋とMSF日本は訴えます。ガザからの医療搬送を拡大するための署名に、皆さまのご協力を──。
深夜のアンマン、150キロの搬送
青年は17歳。今年5月上旬、ガザ地区で両足を骨折し、歩行困難になってしまった。現地ではおよそ半年間にわたって適切な治療を受けられず、やっと医療搬送が決まったという。
他の患者たちとガザ地区を出たのは、10月26日の早朝6時半ごろだった。
ガザからアンマンまでは東京都~静岡県ほどの距離(約150キロ)。だが、通常の移動とは異なる医療搬送の手続きを経るため、到着までに約17時間を要した。
「それよりも、早くトイレに行きたい」
涙から笑顔へ、回復の医療
この病院で内科を担当するサレハ・アル・ハティーブ医師は、搬送後の治療についてこう説明する。
患者はガザ地区から移動してきたことの身体的、感情的な負担が大きいため、最初は簡単な診察だけして休んでもらいます。翌日以降、症状に応じて血液検査、尿検査、レントゲンなどで詳しく調べ、治療へと進んでいきます。
アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ
ガザ地区の患者を受け入れる際、最も重要な治療の一つが「心のケア」だ。
アンマンに到着すると、「爆撃もヘリもない安全な場所に来た」という実感から泣き始める人もいる。MSFのスタッフは意識的に笑顔を見せ、温かい態度で接することで、患者に安心感を抱いてもらうようにしている。
サレハ医師は「病院に来た患者は、時間とともに前向きな変化が見られるようになる」と話す。
例えば、ある子どもは到着後、不安からしばらく部屋を出られなかった。それが次第に心を開くようになり、いまでは学校に通い、外でサッカーを楽しみ、笑顔も戻ったという。
前回の受け入れ時には5~6歳の男の子がいました。到着の翌日、食事でバナナを渡すといきなりはしゃぎ始め、それを握りしめて自撮りし始めたのです。わけを聞くと、彼はこう答えました。「ぼく、バナナを見るのは2年ぶりなんです」。私は驚くとともに、こらえきれず自室に戻って泣いてしまいました。
アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ
「ただ、生きたいだけなのに」
同じ再建外科病院の一室でこう笑顔を見せるのは、ガザ地区から医療搬送されてきた男の子、ハサン・オマルさん(7)だ。
ハサンさんはガザ地区で体に重度のやけどを負った。すぐに地区最大の公立病院、シファ病院に運ばれたが、十分な治療ができないと判断され、アンマンへ医療搬送されてきた。
元々は全治1~2カ月の診断だった。しかし脚の腱やかかとに後遺症が残るなど当初の見立てよりも重症で、治療は長期化。「二十歳になるころまでリハビリが続くかもしれない」と医師には言われている。
ハサルさんには3歳の妹がいる。だがアンマンに同行できたのは母サハル・ハララさんのみだ。他の家族はいまもガザ地区に残っており、約2年にわたって離れ離れに暮らしている。
妹とたまにビデオ通話をすると、ガザ地区で代わりに世話をしてくれているサハルさんの姉を「ママ」と呼ぶようになっていた。
紛争が終わらない中、現地に戻ることもできず、サハルさんは母親として「胸が張り裂けそう」と嘆く。
ガザからは出ましたが、まだ「離別」という異なる紛争の中にいるような気がします。私はハサンの治療を続けながら、娘もこの安全な場所に呼びたい。ガザではいつも紛争が起きていますが、いつ終わるのか分かりません。私たちはただ、生きたいだけなのに。
ガザ地区から医療搬送されたハサンさんの母親 サハル・ハララさん
その傍らで、ハサルさんはこう語った。
ここに来てから少しずつ元気になってきました。これからは学校に通って、たくさん勉強したいです。妹にも早くここに来てほしいな。
ガザ地区から医療搬送された男の子 ハサン・オマルさん
搬送待つ数万人の患者たち
しかし、実際の人数はその数倍規模とみられており、事態は深刻さを増している。
サレハ医師は医療搬送を巡る今後の課題として、病院における心のケアのさらなる充実と、幅広い症例に対応するための専門医の拡充を挙げる。
ガザ地区には心に深い傷を負った患者に加え、神経や顔などのさまざまな部位に損傷を抱える人びとが多いです。そのため、さまざまな専門分野に精通した医師による協働が欠かせません。医療体制をさらに強化できるよう、ご支援をいただけたらありがたいです。
アンマンのMSF再建外科病院の内科医 サレハ・アル・ハティーブ
命を救うための行動を──MSF日本会長、中嶋優子
──医療搬送の現場を視察して、どのような印象を抱きましたか。
現地ではさまざまな事情で搬送された、多くの子どもたちと交流しました。脚を切断した子、顔をけがした子、心に深い傷を負っている子……。それでも、最初はふさぎ込んでいた子が治療を受けるうちに元気になり、話すようになるなど前向きな変化が出ていました。
まだまだ道半ばですが、これからさらに医療搬送を拡大することが必要だと感じています。
──印象的な患者さんはいらっしゃいましたか。
でも、実は心に深い傷を抱えています。ガザで両親を亡くし、付き添いで来ていた保護者は27歳のお兄さんでした。彼女自身も故郷でけがをし、足を引きずって歩いています。顔にはやけどを負い、左目を失っていました。そしてたまに、こうつぶやくのです。
「私も早くお父さん、お母さんの元に行きたいな」
私はその言葉を聞くたびに、胸が締め付けられる思いでした。
──今後の医療搬送の課題はなんでしょう。
故郷に帰りたいと希望する方々は多いと思いますが、ガザでは家も街も壊されて、帰る場所がありません。では、簡単に帰れるような、人間らしい暮らしができるのはいつになるのか?それは誰にも分かりません。
患者さんたちの将来の生活も見据えた、長期的な援助、計画が欠かせないと考えています。
──なぜ、いま署名活動が必要なのでしょうか。
あなたの一枚が、命をつなぐきっかけに
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