繰り返される紛争——写真で見る「今」と70年前の日本
2015年08月05日ガザ、シリア、南スーダン、中央アフリカ共和国……現在も世界のあちこちで紛争が続き、がれきと化した街で傷ついた子どもたちや大人たちが助けを待っています。遠い国や地域のこと、そう決めてしまう前にぜひ、こちらのフォトギャラリーを見てください。そして、私たちにできることを一緒に考えてみてください。
<注意>写真の一部には外傷の症例などが含まれます。
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© Marcus Bleasdale/VII 襲撃されて焼け落ちた集落を駆け抜けていく若い男性。
中央アフリカ共和国で撮影されたこの1枚と同様の事態が、世界各地でこの瞬間も起きている。
国境なき医師団(MSF)にできるのは、傷ついた人びとに手を差し伸べること。そして…… -
© Yann Libessart/MSF 激しい空襲で破壊された建物のがれきの山で立ちつくす若い女性。
パレスチナ・ガザ地区で2014年7月に起きた紛争では、50日間で2200人以上が亡くなった。
現地で活動中だったMSFの田辺康医師は「可能な限り患者さんに寄り添おう」と覚悟を決めた。 -
© Keystone/Hulton Archive/Getty Images 東京・銀座の交差点。同じような光景が、70年前、日本中に広がっていた。
シリアなどで活動したMSFの黒﨑伸子医師は「犠牲になるのは権力から遠い弱者であり、声を出せない人たちだ」と指摘する。 -
© Yann Libessart/MSF 紛争は、最も弱い立場にある子どもたちも容赦なく巻き込んでいく。
ガザ、原型をとどめないほど破壊された車、そこに乗り込む彼ら、その家族は無事なのか……?
MSFのもとに運ばれてくる被害者の大半はいつも、子どもと女性たちだ。 -
© Hulton Archive/Getty Images 廃墟と化した長崎の町、自転車を押して行き過ぎる少年。
多くの子どもたちが戦災孤児となり、終戦後も過酷な生活を強いられた。
戦争を始めたわけでもなく、戦争に加担したわけでもない子どもたち。 -
© MSF 内戦が続くシリア、顔一面にひどいやけどを負った子どものまっすぐな眼差し。
MSFの沢田さやかロジスティシャンが現地で活動したのは2012年12月から2ヵ月余り。
「今でも同じ状況に置かれているであろう子どもたちのことを思うと胸が痛みます」 -
© Keystone/Getty Images 広島の救護所、ひどいやけどを負った子どもに、ただ静かに付き添う母。
シリアなどでの活動を経験したMSFの安藤恒平医師は「戦争の悲しみと、恐怖と、人びとの生きていく力強さを感じられるようになった」と語る。 -
© MSF 砂ぼこりを巻き上げて走り去るトラック、振り落とされないように荷台にしがみつく人びと。
中央アフリカ共和国、ふるさとは焼き尽くされ、襲撃の恐怖におびえ続ける日々。
意を決して国外に逃れる道中で亡くなった人もいる。家族と生き別れてしまった人もいる。 -
© Fox Photos/Getty Images 児童疎開の専用列車に乗り込む子どもたち。
空襲で街は焼き尽くされ、食べるものが手に入らない日々。
疎開すれば腹いっぱいご飯が食べられる、そう信じて親元を離れていった。 -
© Matthias Steinbach 重度の栄養失調で泣く元気も出ない子ども、MSFの診察の順番を待つ母。
たび重なる戦火で南スーダンの耕作地は荒れ、食糧不足が深刻になっている。
やせ細った子どもの身体に、マラリアやはしかなどさまざまな感染症が襲う。 -
© Keystone/Getty Images 重度の栄養失調で起き上がることもできず、身体を拭いてもらう少女。
70年前、激しい戦闘にさらされた沖縄では、各島で深刻な食糧不足が起きていた。 当時の沖縄は、マラリアがまん延する地域でもあった。 -
© Juan Carlos Tomasi/MSF 紛争を逃れて身を隠すにはもう、ここしかない。
一家はそう覚悟を決め、手漕ぎの木船で川をわたり、茂みの中へと消えていった。
中央アフリカ共和国では現在も、把握しきれないほどの人びとが茂みの中に避難している。 -
© Central Press/Getty Images 1945年10月の沖縄、山に隠れていた人びとが、終戦を知って村へと戻っていく。
手持ちの荷物が全財産で、この先どうなるのか、誰にもわからない。
それから70年、同じ光景が世界各地で繰り返されている。