外の世界を知らない子どもたち──エチオピアの難民キャンプで続く終わりなき避難生活

2026年07月01日
エチオピア・ガンベラ州のクレ難民キャンプに暮らす子どもたち。捨てられたペットボトルのキャップやプラスチック容器でおもちゃを作り、遊んでいる=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF
エチオピア・ガンベラ州のクレ難民キャンプに暮らす子どもたち。捨てられたペットボトルのキャップやプラスチック容器でおもちゃを作り、遊んでいる=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF

長年にわたる内戦の末、2011年にスーダンから独立した南スーダン。しかし2013年末、国内で大規模な内紛が勃発し、「世界で最も新しい国」は再び混乱へと陥った。

暴力から逃れるため、多くの人びとが隣国エチオピアへと避難した。そして2014年5月、同国ガンベラ州に設けられたのがクレ難民キャンプだ。

それから10年以上が経過した今も、クレ難民キャンプは避難を余儀なくされた南スーダンの人びとにとっての「家」であり続けている。

クレ難民キャンプ内の住居=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF
クレ難民キャンプ内の住居=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF

閉ざされた世界で暮らす子どもたち

多くの子どもたちは、キャンプ内にある南スーダンの伝統的な様式で建てられた仮設住居で生まれた。彼らの中には、キャンプの外をまったく知らず、ここが唯一の世界だという子どももいる。

一方で、この場所を、親たちが離れざるを得なかった故郷の暮らしを思い起こさせる、ほろ苦い記憶として受けとめている子どもたちもいる。

クレ難民キャンプ内の様子=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF
クレ難民キャンプ内の様子=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF


ここで暮らす子どもたちは、生まれながらに重い負担を背負いながらも、子どもらしさを忘れてはいない。

厳しい環境の中でも、びんのふたやプラスチック容器、古い缶や布切れなどを工夫して、自分たちだけのおもちゃに作りかえ、遊び、笑い、小さな喜びを見つけている。

廃材をおもちゃにして遊ぶ子どもたち=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF
廃材をおもちゃにして遊ぶ子どもたち=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF


国際的な資金援助が大きく削減されたことで、人びとはこれまで受けられていた基本的な支援を失ってしまった。食料や水、衛生環境、教育へのアクセスの不足が、もともと弱い立場に置かれていたコミュニティを、さらに困難な状況へと追い込んでいる。

2014年以降、国境なき医師団(MSF)はこのキャンプで、基礎医療から二次医療まで幅広く提供してきた。産科病棟では、これまでに何千人もの子どもが誕生している。多くの人びとにとって、MSFは医療における唯一のよりどころとなっている。

クレ難民キャンプ内にあるMSFの診療所=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF
クレ難民キャンプ内にあるMSFの診療所=2026年3月28日 © Roza Bekele/MSF

キャンプで生きる、子どもたちの日常

生まれたときからクレ難民キャンプで暮らす少女と、幼い頃に故郷を離れざるを得なかった青年。多くの困難に直面しながらも、働き、学び、夢を抱いて生きる2人の日々を追った。 

幼い肩に託される役割──ニャバン・ガトルアクさん

ニャバンさんは、クレ難民キャンプ内のMSF施設で生まれた7歳の女の子。4人きょうだいの長女で、小学2年生だ。 
 
キャンプで生まれ育った彼女は、難民としての暮らししか知らない。それでも、その明るい笑顔は、困難の中で育つ子どもたちの強さとしなやかさを物語っている。
ニャバンさん © Metasebia Teshome/MSF
ニャバンさん © Metasebia Teshome/MSF

ニャバンさんの母親ニャクメさんは2014年、南スーダンでの暴力から逃れ、家族とともにこのキャンプにたどり着いた。人道援助の縮小が続く中、子どもたちを育てるのに苦労しているという。

「食料の配給が受けられないときは、ほかの方法を探さなければなりません」

ニャクメさん ニャバンさんの母親

ニャバンさん(後)と母親のニャクメさん © Metasebia Teshome/MSF
ニャバンさん(後)と母親のニャクメさん © Metasebia Teshome/MSF
そう語るニャクメさんは、薪を集めて売り、その収入で靴や追加の食料、衣服といった生活必需品を買いそろえている。
 
援助の削減により、2025年半ばまでにキャンプ内の各世帯に配給される食料は、それ以前の60%未満にまで減少した。さらに、資金不足やサプライチェーンの問題により、配給が何カ月にもわたり中断されることも少なくない。

長女のニャバンさんは、幼い頃から家族を支える大きな役割を担ってきた。年下のきょうだいの世話や穀物をすりつぶす作業、水くみや料理など、一日の大半を母親の手伝いや家事に費やしている。さらに、手に入りにくい薪を集めるために長い距離を歩かなければならないこともある。

生活に必要なものさえ満たされない日々を送りながらも、ニャバンさんはできる限り学校へ通い続けている。
穀物をすりつぶすニャバンさん=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF
穀物をすりつぶすニャバンさん=2026年3月28日 © Metasebia Teshome/MSF

医師になる夢を抱いて──カン・ドゥールさん

キャンプで暮らす19歳のカンさんは、父親を亡くした後の2014年、7歳のときに叔父や親せきとともに、故郷・南スーダンの暴力から逃れてきた。キャンプにたどり着いて数年後、母親と再会を果たした。
 
カンさんはキャンプ内の学校に通っているが、授業がいつも行われているわけではない。MSFスタッフが彼と一緒に学校を訪れた日も、教師は一人もおらず、彼は家に戻るしかなかった。
カンさん © Roza Bekele/MSF
カンさん © Roza Bekele/MSF

国際援助の削減は、キャンプの教育にも深刻な影響を及ぼしている。こうした状況は以前にもまして頻繁に起きるようになり、医師になりたいというカンさんの夢にも影を落としている。 

友人とサッカーを楽しむカンさん(右) © Metasebia Teshome/MSF
友人とサッカーを楽しむカンさん(右) © Metasebia Teshome/MSF
カンさんは兄たちに支えられながら、不規則な学校生活と家庭での責任を両立しようとしている。家計を助けるため、小さな店を営んでいたこともあった。
 
そんな彼にとってサッカーは、体を動かしながら友だちとつながる大切な時間だ。日々の苦労を忘れ、ストレスを発散できる場であると同時に、ささやかな喜びを感じられる機会にもなっている。

生計手段が限られているため、キャンプで暮らす人びとは人道援助に頼らざるを得ない。しかし、「NGOからの支援は以前よりずっと少なくなっています」とカンさんは言う。

食料の配給も減りました。子どもたちに必要な服や靴を買うのも大変です。

「多くの人びとが安全でない水を飲まざるを得ず、女性や女の子たちは水をくむために長い距離を歩かなければなりません」 

クレ難民キャンプで暮らす若者たち © Metasebia Teshome/MSF
クレ難民キャンプで暮らす若者たち © Metasebia Teshome/MSF

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