ウクライナ:爆撃で廃墟と化した町 、人であふれる避難所──前線地域に住む人びとの安全はどこに

2025年10月14日
ウクライナ東部ドニプロペトロウシク州にある一時滞在のための避難所。国境なき医師団(MSF)の移動診療チームは週2回ここを訪れ慢性疾患の患者らの対応にあたっている=2025年7月4日 Ⓒ Julien Dewarichet /MSF
ウクライナ東部ドニプロペトロウシク州にある一時滞在のための避難所。国境なき医師団(MSF)の移動診療チームは週2回ここを訪れ慢性疾患の患者らの対応にあたっている=2025年7月4日 Ⓒ Julien Dewarichet /MSF

ロシアによる全面的な侵攻が4年目となる中、ウクライナでの戦闘は激しさを増している。ドニプロペトロウシク州の前線付近に暮らす住民は、医療をほとんど、あるいはまったく受けられず、深刻な状況に置かれている。避難に使用される道路は頻繁に攻撃の標的となり、町はがれきの山と化した。2025年には、民間人の死傷者数が急激に増加している。

東部ドネツク州ポクロウスクで9月29日に発生した攻撃は、人びとの置かれた危険な状況を表すものだ。国境なき医師団(MSF)のチームは、近くの病院の集中治療室で患者に対応していたが、爆発により建物は激しく揺れた。その後、破片による外傷、四肢の損傷、脳損傷を負った8人の負傷者が搬送され、MSFは現場で容体を安定化する処置を行った。

まさにこのような攻撃から逃れるために、人びとは避難を余儀なくされています。

MSFの医師 イワン・アファナシエフ

避難民が急増、医療ニーズも増加

前線地域から数千人規模の人びとが避難を続ける中、ドニプロペトロウシクは現在、重要な中継地点となっており、避難所は定員を超えた人びとであふれている。2025年7月と8月に避難民が急増した際、最大規模の一時滞在避難所の一つでは、140人の定員に対して1日あたり約500人を受け入れていた。

MSFのチームは、移動診療を通じてこれらの避難所で診察や心のケアを提供しており、主に高齢者を対象としている。2025年4月以降、MSFは1400人以上の患者を治療してきたが、医療ニーズの増加と症状の深刻化は顕著だ。こうした状況を受け、MSFは移動診療の頻度を高めるとともに、新たに避難民が到着している地域にも医療援助を拡大している。

診察にあたるMSFの移動診療チームのスタッフ。患者の多くは慢性疾患を抱えており、中には戦闘による負傷を負っている人もいる Ⓒ Julien Dewarichet /MSF
診察にあたるMSFの移動診療チームのスタッフ。患者の多くは慢性疾患を抱えており、中には戦闘による負傷を負っている人もいる Ⓒ Julien Dewarichet /MSF


「私の町コスチャンティニウカは、廃墟となりました。水も、ガスも、警察も、消防士たちも──何も残っていません」

そう語るのは、68歳のワレリー・ブレイコさんだ。彼は妻と高齢で寝たきりの義母とともに、MSFが支援する一時滞在センターに到着した。

「私たちは町を離れる決断を下しました。若い世代であれば再出発も可能かもしれません。でも、私たちの年齢では新しい場所で何かを築くのは簡単ではありません。そのため、非常に苦しい決断でした」と彼は話す。

ドニプロペトロウシク州パウロフラードのMSFの移動診療で診察を受けるブレイコさん。「患者の多くはコスチャンティニウカなどドネツク州の激戦地から避難してきた人びとです」とMSFの医師は話す=2025年9月19日 Ⓒ Yuliia Trofimova/MSF
ドニプロペトロウシク州パウロフラードのMSFの移動診療で診察を受けるブレイコさん。「患者の多くはコスチャンティニウカなどドネツク州の激戦地から避難してきた人びとです」とMSFの医師は話す=2025年9月19日 Ⓒ Yuliia Trofimova/MSF

攻撃により医療活動は困難に

都市や村がゴーストタウンと化す中、人びとは次々と避難を余儀なくされている。破壊された通りは閑散とし、爆発で黒く焼け焦げた木々が立ち並ぶ。建物は損壊して住める状態ではなく、医療へのアクセスも断たれている。

ドネツク州にある砲撃で破壊されたフェンス。「ここには人が住んでいます」と書かれている=2025年2月26日 Ⓒ Yuliia Trofimova/MSF
ドネツク州にある砲撃で破壊されたフェンス。「ここには人が住んでいます」と書かれている=2025年2月26日 Ⓒ Yuliia Trofimova/MSF


MSFは2022年、ドニプロ、ドニプロペトロウシク州、ドネツク州の病院の改修を支援し、戦争の進行下でも医療機能を維持できるよう取り組んできた。しかし現在、それらの病院の多くは損傷を受け、破壊され、あるいは放棄された状態にある。

また過去3カ月の間に、コスチャンティニウカ、メジョワ、スビャトヒルシクなどでは、病院の運営が停止している。2022年以降、MSFのチームは砲撃や爆撃の接近、あるいは直接の被害により、6つの病院および救急拠点からの撤退を余儀なくされ、複数の移動診療活動も中止せざるを得ない状況となっている。

避難民の多くは60〜70歳以上の高齢者

「多くの人が徒歩での避難を強いられており、15~20キロメートルもの荒れた道をドローンによる攻撃の中、歩いています。大半は60〜70歳以上の高齢者で、高血圧、糖尿病、喘息などの慢性疾患が治療されないまま進行しており、栄養失調や貧血によっても体力が著しく低下しています」とMSFの医師アファナシエフは話す。

地雷が埋まっている可能性のある場所を通ることもあり、杖や松葉杖に頼りながら進むのです。

MSFの医師 イワン・アファナシエフ

避難所の環境もさまざまだ。テントに簡易ベッドを並べて設営されたものもあれば、かつて学校やカルチャーセンター、寮、駅舎として使われていた建物を利用しているものもある。

MSFのチームは、骨折や破片による外傷を負いながらも、適切な治療を受けられずに放置された患者の診察にあたっている。中には、ウジがわくほど感染し悪化した開放創を負ってくる人もいる。また、ストレスの影響で胸の痛みやそのほかの症状を訴えながら一時滞在センターに到着する人もおり、心臓発作の可能性があるケースもある。さらに、多くの人が肺炎や急性喘息の症状を抱えている。

安全を求め、さらに西へ

「家に爆弾が2発落ちてきました。あたり一面が煙に包まれました」

そう話すのは、ドネツク州クラッホベ近郊の村から避難してきた72歳のリュボフ・チェルニャコワさんだ。彼女は混雑した避難所のベッドに腰掛けながら、当時の様子を振り返る。

「外に飛び出したものの、穴に落ちて立ち上がることができませんでした。すると、飼い犬のヘラが戻ってきて、私の襟を引っ張ったり、噛んだり舐めたりして私を正気に戻そうとしてくれたのです。目を開けたとき、私が生きていることを彼女がどれほど喜んでいたかが伝わってきました」

自宅が火災で焼失したため、ドネツク州からともに避難したチェルニャコワさんと愛犬のヘラ Ⓒ Julien Dewarichet/MSF
自宅が火災で焼失したため、ドネツク州からともに避難したチェルニャコワさんと愛犬のヘラ Ⓒ Julien Dewarichet/MSF

前線地域を離れた後でさえ、人びとは一時滞在センターにおいて安全を感じることができていない。避難拠点となっている都市や町そのものが、ドローンやミサイルによる攻撃の標的となることが頻繁にあるためだ。

前線に最も近く、大規模な一時滞在センターが位置するパウロフラードも、繰り返し爆撃を受けている。そのため、 多くの避難民は一時滞在センターに短期間滞在した後、さらに西へと移動を続けている。

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