ウクライナ:爆撃で廃墟と化した町 、人であふれる避難所──前線地域に住む人びとの安全はどこに
2025年10月14日
東部ドネツク州ポクロウスクで9月29日に発生した攻撃は、人びとの置かれた危険な状況を表すものだ。国境なき医師団(MSF)のチームは、近くの病院の集中治療室で患者に対応していたが、爆発により建物は激しく揺れた。その後、破片による外傷、四肢の損傷、脳損傷を負った8人の負傷者が搬送され、MSFは現場で容体を安定化する処置を行った。
まさにこのような攻撃から逃れるために、人びとは避難を余儀なくされています。
MSFの医師 イワン・アファナシエフ
避難民が急増、医療ニーズも増加
MSFのチームは、移動診療を通じてこれらの避難所で診察や心のケアを提供しており、主に高齢者を対象としている。2025年4月以降、MSFは1400人以上の患者を治療してきたが、医療ニーズの増加と症状の深刻化は顕著だ。こうした状況を受け、MSFは移動診療の頻度を高めるとともに、新たに避難民が到着している地域にも医療援助を拡大している。

「私の町コスチャンティニウカは、廃墟となりました。水も、ガスも、警察も、消防士たちも──何も残っていません」
そう語るのは、68歳のワレリー・ブレイコさんだ。彼は妻と高齢で寝たきりの義母とともに、MSFが支援する一時滞在センターに到着した。
「私たちは町を離れる決断を下しました。若い世代であれば再出発も可能かもしれません。でも、私たちの年齢では新しい場所で何かを築くのは簡単ではありません。そのため、非常に苦しい決断でした」と彼は話す。

攻撃により医療活動は困難に

MSFは2022年、ドニプロ、ドニプロペトロウシク州、ドネツク州の病院の改修を支援し、戦争の進行下でも医療機能を維持できるよう取り組んできた。しかし現在、それらの病院の多くは損傷を受け、破壊され、あるいは放棄された状態にある。
また過去3カ月の間に、コスチャンティニウカ、メジョワ、スビャトヒルシクなどでは、病院の運営が停止している。2022年以降、MSFのチームは砲撃や爆撃の接近、あるいは直接の被害により、6つの病院および救急拠点からの撤退を余儀なくされ、複数の移動診療活動も中止せざるを得ない状況となっている。
避難民の多くは60〜70歳以上の高齢者
地雷が埋まっている可能性のある場所を通ることもあり、杖や松葉杖に頼りながら進むのです。
MSFの医師 イワン・アファナシエフ
避難所の環境もさまざまだ。テントに簡易ベッドを並べて設営されたものもあれば、かつて学校やカルチャーセンター、寮、駅舎として使われていた建物を利用しているものもある。
MSFのチームは、骨折や破片による外傷を負いながらも、適切な治療を受けられずに放置された患者の診察にあたっている。中には、ウジがわくほど感染し悪化した開放創を負ってくる人もいる。また、ストレスの影響で胸の痛みやそのほかの症状を訴えながら一時滞在センターに到着する人もおり、心臓発作の可能性があるケースもある。さらに、多くの人が肺炎や急性喘息の症状を抱えている。
安全を求め、さらに西へ
そう話すのは、ドネツク州クラッホベ近郊の村から避難してきた72歳のリュボフ・チェルニャコワさんだ。彼女は混雑した避難所のベッドに腰掛けながら、当時の様子を振り返る。
「外に飛び出したものの、穴に落ちて立ち上がることができませんでした。すると、飼い犬のヘラが戻ってきて、私の襟を引っ張ったり、噛んだり舐めたりして私を正気に戻そうとしてくれたのです。目を開けたとき、私が生きていることを彼女がどれほど喜んでいたかが伝わってきました」

前線に最も近く、大規模な一時滞在センターが位置するパウロフラードも、繰り返し爆撃を受けている。そのため、 多くの避難民は一時滞在センターに短期間滞在した後、さらに西へと移動を続けている。