ウクライナ:戦火の中を駆け抜ける救急車──平和を待ち続ける人びとのために
2024年09月20日国境なき医師団(MSF)は、ウクライナの前線地域において17台の救急車を運行し、患者を安全なエリアへと搬送する活動を続けている。患者の6割は戦争の負傷者だ。戦火の中、MSFの救急車チームはどのような活動を行っているのか。そして前線地域で生きる人びとの思いとは──。スタッフと人びとの声を最前線から伝える。
患者を最前線から搬送 MSFの救急車チーム
「耐えられません。どこもかしこも痛いんです。息苦しくて、全身が焼けるようです」
45歳の男性が、唇をかすかに動かしながら、そうつぶやいた。ウクライナ東部のドネツク州。彼は、戦火の激しい最前線エリアの病院にいた。別の病院に搬送されるのを待っているのだ。彼は砲撃を受けて重傷となり、内臓を含む全身の90%にやけどを負っていた。専門的な治療が必要となったが、それは戦地から遠く離れた病院でしか受けることができない。
これからMSFの救急車に乗って、最前線エリアの患者が搬送される拠点となっている都市ドニプロに向かうところだ。
現地の最前線エリアで活動するMSFの救急スタッフ、ドミトロ・ビルスは、次のように説明する。
「MSFの救急車は、手術や初期治療を終えた患者を最前線の病院から搬送するために使われています。ただし、搬送中に何も起こらないという保証はありません。搬送途中で出血が起こることだってある。患者の容体が急激に悪化することだってあります。そうした事態に備えて、必要な薬を常に携帯しています。また、必要であれば止血帯や止血薬で対処することもあります」
MSFの救急車で搬送される患者たちを見ると、その6割以上が、戦争で外傷を負った人びとだ。やけど、頭部外傷、身体損傷、軟部組織の損傷、大量出血など、さまざまなケースがある。2024年7月31日時点において、MSFの救急車チームは8000人の患者を搬送してきた。そのうち15%の患者は、集中治療室(ICU)の機能を備えた救急車による搬送を要するものだった。
MSFの医療チームによれば、ウクライナ東部および南部の前線近くに位置する医療施設は、過去2年間の絶え間ない砲撃によって、完全にあるいは部分的に破壊されているという。
まだ機能している病院もあるが、医療スタッフは危機的なまでに不足している。2022年2月に本格的な侵攻が始まって以来、多くの専門医が比較的安全な都市に移ったり、国外に避難したためだ。ベッド不足も深刻で、戦争負傷者だけでなく、慢性疾患、心臓発作、脳卒中、交通事故といった患者も大勢、病院に押し寄せている。MSFは、こうした病院の支援にまわり、負担軽減に努めている。特にミサイル攻撃が激しくなり、多数の負傷者が運び込まれると、救急車による搬送は重要な役割を果たすことになる。
「また帰ってくる?」「もちろん帰ってくるさ」
ウクライナでMSFの緊急対応コーディネーターを務めるクリストファー・ストークスは、次のように話す。
「8月9日、ドネツク州コスチャンティニウカで攻撃があり、14人が殺害され、40人以上が負傷しました。多数の市民が集まる市内中心部のスーパーマーケットや郵便局まで攻撃を受けています。MSFの医師たちは、負傷者の治療や縫合処置にあたり、MSFの救急車を使って、2人の重傷患者をドニプロに搬送しました。MSFの救急車チームは、専門治療を受けるべき患者たちを確実に搬送できるよう努めているところです」
こうした搬送が必要となる外傷患者は、絶えることなく増え続けています。
MSFの緊急対応コーディネーター、クリストファー・ストークス
先ほどのMSFの救急スタッフ、ドミトロ・ビルスがさらに語った。
私には小さな息子がいます。私が仕事に出かけようとすると「また帰ってくるよね?」と心配そうに聞いてくるんです。「もちろん帰ってくるさ」といつも答えています。息子には、いま起きている惨事を目の当たりにすることなく成長してほしい。私はそのために働いています。
MSFの救急スタッフ、ドミトロ・ビルス
故郷を捨てず、希望を捨てず
MSFは、ウクライナにおいて、2022年4月から救急車による患者搬送を開始した。現在は17台の車両が稼働しており、36人の救急スタッフ、8人の医師、26人の運転手が、患者たちに適切な治療を提供すべく、精力的に活動している。また、ロジスティクス担当者、薬剤師、コーディネーターたちも、このプロジェクトを支えている。
ドミトロ・ビロスは、前線近くの危険な地域に住み続ける市民たちに「なぜここに留まるのか」と何回も尋ねたという。それに対する最も多い答えは「避難する時間がなかった」というものだった。
ジャーナリストたちの推定によれば、ウクライナでは、約100万人が今もなお戦闘地域の近くに住み続けている。彼らは、生涯をかけて築いてきた家、馴染み深い街並み、庭、花にこだわっている。戦火のなかですら実をつける木々から離れるわけにはいかないのだ。そして、いつの日か平和がやってくることを信じ続けている。