「村から出られず、娘は亡くなった」 イスラエルによって3万3000人超が避難…検問所と入植地に分断されるヨルダン川西岸地区
2026年07月13日
2023年10月にガザで紛争が激化してから、状況はさらに悪化している。西岸地区と東エルサレムでは、これまでにイスラエル軍や入植者によって計1000人を超えるパレスチナ人が殺害された。今年だけでも、すでに74人が命を奪われている。
国境なき医師団(MSF)が心のケアを続ける北部ナブルスでは、支援を受ける女性たちが日常で感じている生きづらさ、特に医療を受けるうえでの障壁について証言した。イスラエル当局がMSFを含む37の国際NGOの登録を拒否したことで、状況はますます深刻になっている。
「朝まで待つしかなかった」
「村から出られなかったため、娘は亡くなりました」
ヨルダン川西岸地区・北西部カルキリヤ県のアズーン・アトマ村に住むラナ・アブ・ハジュレさん(39)は、15年前の出来事についてこう語った。
2011年、ラナさんの障害のある娘(当時2歳)が病気になった。一家には車がなく、その日はタクシーも走っていなかった。
村はイスラエルの入植地と分離壁(イスラエルが入植地などの周辺に建設し、西岸地区を分断している壁)に囲まれた飛び地のような場所で、出入り口は1カ所しかない。そこには、イスラエル軍が一日に数時間だけ開ける門がある。しかしその夜、門は閉ざされていた。
ラナさんは嘆く。
翌朝になって門が開き、タクシーで病院へ連れて行けるようになるまで、待つしかありませんでした。私が経験したことは、ほかの多くのパレスチナ人の母親も経験しています。世界のどこかに、ここ以上に人びとが苦しんでいる場所があるとは思いたくありません。
ヨルダン川西岸地区・カルキリヤ県の住民 ラナさん
アズーン・アトマ村は、ともに国際法に違反しているシャアレイ・ティクバとオラニットという二つのイスラエル入植地に隣接している。この2カ所の入植地と村の間を通る分離壁によって、村は行き止まりのような状態で閉ざされてしまった。
現在、ラナさんには生後数カ月の赤ちゃんを含む5人の子どもがいる。
数カ月前、出産を控えたラナさんは、意を決して夜道を移動しなければならなかった。当時のことをこう振り返る。
まず(県都の)カルキリヤへ行きました。そこで、ナブルスへ行く必要があるという紹介状を書いてもらいました。でも、もう夜でした。夫と長い間悩んだ末、危険を承知で向かうことにしました。
ヨルダン川西岸地区・カルキリヤ県の住民 ラナさん
ラナさんは、自身とおなかの子どもの身を案じていた。幸い、このときは無事だった。
いまでは無事に家へ帰り着けることが、私たちにとって一番の願いなのです。
ヨルダン川西岸地区・カルキリヤ県の住民 ラナさん
帰宅も受診も阻む、検問と暴力
西岸地区で数十年にわたって活動してきたMSFも、現在の状況を深刻だと捉えている。現地のMSF活動責任者フィリペ・リベイロは、こう指摘する。
西岸地区のパレスチナ人は朝に家を出ても、その日の夜に帰宅できるか分かりません。検問所があるからです。誰もがイスラエル軍に逮捕され、数カ月、場合によっては数年間、裁判さえ経ずに拘束され続ける可能性があります。さらに、入植者に襲われる恐れや、イスラエル軍の軍事作戦に巻き込まれる恐怖も抱えながら生きています。
ヨルダン川西岸地区のMSF活動責任者 フィリペ・リベイロ
国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、2025年12月時点で、西岸地区と東エルサレムには、人びとの移動を妨げる検問所などの障害物が計925カ所あった。これによってパレスチナ人340万人の移動が制限されている。
さらに、入植者による暴力が急増している。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によると、2023~2025年の3年間に少なくとも3088件の襲撃が記録された。2021~2023年の約1860件と比べても、約1.7倍に増えている。
医療を受けられず娘を亡くしたラナさんの経験は、決して例外ではない。リベイロは続ける。
私たちが直面しているのは、イスラエルによる組織的な医療への妨害です。検問所は増え続け、救急車は遅らされ、通行を止められています。患者を運ぶ車両が攻撃され、病院が包囲され、治療が中断されているのです。
ヨルダン川西岸地区のMSF活動責任者 フィリペ・リベイロ
NGOの登録拒否、遠のく心のケア
2026年初め、イスラエル当局がパレスチナにおけるMSFを含む37の国際NGOの登録を拒否したことで、MSFの活動はさらに困難になった。
現在、国際派遣スタッフは西岸地区内で活動できなくなっている。それでも、西岸地区で活動するパレスチナ人の現地スタッフを、ヨルダンの首都アンマンから遠隔で支えている。
リベイロは説明する。
これまでは、西岸地区を管理するイスラエル軍当局に連絡し、スタッフの移動を事前に調整していましたが、それが認められなくなりました。こうなるとスタッフは危険にさらされてしまいます。スタッフがナブルス市外へ出る際、人道援助スタッフとして本来保障されるべき安全が守られるのか、確信を持てません。
ヨルダン川西岸地区のMSF活動責任者 フィリペ・リベイロ
市外でスタッフの安全を保障できないため、MSFは活動をナブルス市内の診療所1カ所に集約し、患者と対面で診療している。カルキリヤやトゥバスなどで実施していた移動診療はすべて中断を余儀なくされた。
そのため、ラナさんのような人びとが心のケアを受けるには、アズーン・アトマからナブルスまでの危険な道のりを自力で移動しなければならない。
MSFで22年間働いてきたソーシャルワーカーのシュルーク・アルマドムージュは、長年にわたって患者と向き合うなかで、人びとの心がいっそうすり減っていると感じている。
心のケアは患者と直接向き合うもので、電話ではできません。患者には、必要なケアを受けるためにナブルスまで来てもらいたいと思っています。しかし同時に、その移動によって患者を危険にさらしたくはありません。以前、人びとが抱えていた問題は、もっと単純なものでした。いま直面している困難は、はるかに複雑です。
MSFのソーシャルワーカー シュルーク・アルマドムージュ
さらに、心の不調が現れる年齢も次第に低くなっている。幼い子どもは、夜尿や極端に落ち着きがなくなるといった形で現れる。それは「軍の侵入がいつ起きるか分からない不安」によるものだという。
アルマドムージュは言う。
悲しいことに、この地域では死が日常の一部になってしまいました。明日、何が起きるのか、誰にも分かりません。
MSFのソーシャルワーカー シュルーク・アルマドムージュ
「私には帰る場所がない」
最初に北部ジェニンの難民キャンプに侵攻し、続いてトゥルカレムへ。そして2月9日にはヌールシャムスへと作戦を拡大した。数週間のうちに、各キャンプの住民はほぼ全員が避難を強いられた。
ヌールシャムス出身のマリアムさん(25)もその一人。しばらくの間、近隣の村バラアに身を寄せていたが、ある日、兵士が自宅を占拠し、軍事区域に指定したことを知った。
その瞬間、自分にはもう帰る場所がないのだと気づきました。
ヨルダン川西岸地区・ヌールシャムス難民キャンプの住民 マリアムさん
マリアムさんがやっとキャンプへ戻ることができたとき、自宅は激しく損壊していたが、かろうじて建っていた。姉妹の一人は家を失い、現在はマリアムさんと一緒に暮らしている。
もう、キャンプはありません。多くの人が、そこで大切な人を亡くしました。キャンプは墓地になってしまったのです。いまも血のにおいが残っているように感じます。
ヨルダン川西岸地区・ヌールシャムス難民キャンプの住民 マリアムさん
避難と入植地建設で進む分断
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、2025年1月以降、ジェニン、トゥルカレム、ヌールシャムスの各難民キャンプとその周辺から、3万3000人以上が避難を余儀なくされた。
さらに、2025年には入植地の建設が過去最多となった。イスラエルのNGO「ピース・ナウ」によると、政府の承認を得ずに設けられた「前哨拠点」が新たに86カ所確認されたほか、54カ所の入植地が正式に承認され、約2万8000戸の住宅建設が認可された。
リベイロはこう強調する。
これは住民を一定の地域に閉じ込め、領土を分断するための意図的な政策です。目的は「二国家解決」を不可能にすることです。つまり、西岸地区、さらにはパレスチナ全体において、領土的、社会的、経済的、文化的なつながりを断ち切ろうとしているのです。
ヨルダン川西岸地区のMSF活動責任者 フィリペ・リベイロ




