ようやく戻れた故郷はがれきの山だった──レバノン南部で続く人びとの苦難

2026年07月17日
レバノン南部ナバティエの様子。イスラエル軍の攻撃によって、住居や医療施設をはじめ、生活に欠かせないインフラが甚大な被害を受けている=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
レバノン南部ナバティエの様子。イスラエル軍の攻撃によって、住居や医療施設をはじめ、生活に欠かせないインフラが甚大な被害を受けている=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF

レバノンでは、数十万人が故郷へ帰還し始めている。しかし、人びとを待ち受けていたのは、破壊された家々と先行きの見えない不安だった。

南部では「停戦合意」にもかかわらず、イスラエル軍による攻撃が続いている。国境なき医師団(MSF)は、人びとが医療を受けられるよう状況に合わせて活動を続けている。

「人びとの移動や帰還の状況に合わせて、最も大きな被害を受けた地域で移動診療ができるよう、調整しながら活動しています」と、レバノンでMSF活動責任者を務めるジェレミー・リストーは話す。

「被害を受けた自宅に戻る人びともいれば、今なお避難生活を続ける人びともいます」

しかし、人道・医療上のニーズは依然として深刻です。人びとが安全への不安を抱え続ける限り、真の復興は実現できません。

ジェレミー・リストー レバノンのMSF活動責任者

多くの建物が破壊され、がれきと化しているナバティエ市内=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
多くの建物が破壊され、がれきと化しているナバティエ市内=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF

変わり果てた故郷へ

レバノン南部では、多くの人びとが、長期間の戦闘で甚大な被害を受けた町や村へ戻るかどうか悩んでいる。たとえ戻れたとしても、故郷はかつての面影をとどめてはいない。

ナバティエ県ルミン村出身のアーティスト、リナ・ジューニさんは、激しい爆撃を受け、母親と妹とともに避難を余儀なくされた。

「爆撃があまりに激しく、79歳の母は走って逃げることもできませんでした。とにかく安全な場所に連れて行かなければなりませんでした」

現在は村に戻り、MSFの移動診療でケアを受けているリナさんだが、その胸中は複雑だ。

「友人たちと再会できたことで、ようやく日常が少し取り戻せたように感じました。でも周囲の破壊された光景を見ると、本当に胸が痛みます」

過去のことは考えないようにしています。ここへ戻って来たとき、まずは自分のベッドに座り、それからアトリエへ行って自分の作品を見ました。でも、もう創作することはできません。

リナ・ジューニさん ナバティエ県ルミン村出身の女性

MSFの移動診療を訪れたリナさん(奥)=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
MSFの移動診療を訪れたリナさん(奥)=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF


リナさんのように帰還できた人もいる一方で、多くの町や村は未だ立ち入ることができない。

アイン・アラブ村出身の72歳、アブダッラー・アル・ハレドさんは集団避難所への移動を強いられた。故郷の村はレバノン南東部の国境沿い、ワザニ川近くにあり、避難所からほんの少ししか離れていない。しかし、イスラエル軍による占領が続いているため、戻ることはできない。

今はMSFが支援するナバティエのナジュデ・アルシャービーエ病院で治療を受けているが、その最中にも遠くからイスラエル軍が建物を破壊する爆発音が聞こえてくる。

「私たちには土地と、大切に手入れをしてきたオリーブ畑がありました。その土地で生計を立て、暮らしてきたのです。それなのに、人生の終わりに差し掛かった今、荷物をまとめてテント暮らしをしなければならないなんて」

国境沿いの多くの村と同様、アイン・アラブも戦闘によって甚大な被害を受けた。イスラエル軍による攻撃や駐留、繰り返される退避要求によって、人びとは帰還を阻まれ、避難生活を余儀なくされている。いつ故郷へ戻れるのか、そもそも再び戻れる日が来るのかも見通せない状態だ。自宅がどうなっているのかさえ、アブダッラーさんには分からない。

戦闘が始まってすぐ、18歳の甥がイスラエル軍の空爆で命を落とした。

この悲惨な状況に、私は心身ともに参ってしまっています。

アブダッラー・アル・ハレドさん アイン・アラブ村出身の男性

国際移住機関(IOM)によると、7月2日現在、レバノン全土で50万人近くが避難生活を強いられている。イスラエルの軍事作戦が続く中、安全に帰還できない人びともいれば、戻る家そのものを失った人びともいる。

レバノン南部とベカー高原の一部では、住宅や医療施設、道路をはじめとする生活に不可欠なインフラが広範囲にわたって破壊されており、人びとの生活再建を大きく妨げている。

MSFが支援する病院に入院中のアブダッラーさん=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
MSFが支援する病院に入院中のアブダッラーさん=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF

帰還しても続く脅威

病院に搬送される戦傷者の数は減少しているものの、イスラエル軍の攻撃や不発弾など爆発性の残存物による負傷者は後を絶たない。

家族とともにガジエの集団避難所に身を寄せていた青年は、停戦が発効したと信じ、友人と故郷を訪れた。しかし、その際に攻撃を受けて負傷した。

「ミサイルが飛んできたときの音は今でもはっきり覚えています。一生忘れることはないでしょう」と彼は言う。

友人は即死でした。私は出血しながら何時間も地面に横たわっていました。砲撃や空爆が続いていたため、誰も助けに来られなかったのです。

カジエの集団避難所で暮らす青年

彼はその後救助され、ナジュデ・アルシャービーエ病院で複数のけがの治療を受けた。退院後は、家族が避難生活を続ける集団避難所へ戻った。
 
「これほど多くのことを経験した今、これからどうなるのか見当もつきません」
 
MSFが支援する病院では今も、イスラエル軍の攻撃や倒壊した建物、爆発性の残存物によって負傷した患者の治療が続いている。サレハ・アブデルイッサさんは、ナバティエで数カ月も続いた空爆を生き延びたものの、その後、戦闘で残された割れたガラスを撤去している最中にけがを負った。

ナジュデ・アルシャービーエ病院で患者の治療に当たるスタッフたち=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
ナジュデ・アルシャービーエ病院で患者の治療に当たるスタッフたち=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF

変化するニーズに合わせた援助活動

MSFは人びとがどこでも必要な医療を受けられるよう、状況に応じた活動を続けている。

レバノン南部やベイルート南部郊外、バールベック・ヘルメル、レバノン北部では移動診療を実施し、基礎医療や心のケア、リプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)、慢性疾患の治療のほか、必要に応じて専門医療機関への紹介を行っている。また、ブルジュ・ハムードとヘルメルの診療所では、通常診療を継続している。

さらに、ザハレとベカー中央部では産科救急医療と新生児医療を支援するとともに、国内各地の病院への支援を通じて、二次医療へのアクセス改善にも取り組んでいる。

加えて、基礎医療センターの修復や援助物資の配布、救急車の改修、医療物資の寄付や緊急対応の強化を通じた病院支援、そして、戦闘の激化によって大きな精神的負担を抱えた医療従事者への心のケアも行っている。

ナジュデ・アルシャービーエ病院の救急室で主任看護師を務めるアリ・アワルケさんも、戦闘中に業務を続けた多くの医療従事者の一人だ。

「地域の人びとを支えるために、その場に残ってケアを続けることが私たちの責任でした」とアリさんは言う。

最もつらかったのは、救急隊員や同僚の医療従事者が患者として運ばれてきたときや、イスラエル軍の攻撃で命を落としたときでした。その光景は決して忘れることができません。

アリ・アワルケさん ナジュデ・アルシャービーエ病院の救急室の主任看護師

医療従事者を対象に行われた心のケアのセッション=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF
医療従事者を対象に行われた心のケアのセッション=2026年6月25日 © Maryam Srour/MSF

この記事のタグ

関連記事

活動ニュースを選ぶ