「誰の命なら重要なのか?」——欧州の難民問題に寄せて
2016年05月18日2016年3月、欧州連合(EU)とトルコの間で、欧州に到着した難民をトルコに強制送還するという合意がなされたことを受け、国境なき医師団(MSF)は難民問題に関する提言を発表しました。
歴史に残る合意

掲げるシリア難民の少女(ギリシャ、2016年3月)
私たちは過去数十年で最も大規模な人の移動に直面している。シリア、アフガニスタン、イラク、ソマリア、エリトリアなどの場所から、6000万人以上の人が紛争、困窮、抑圧によって家を追われている。そうした苦境に置かれた男女や子どものうちごくわずかな人びとが、すし詰めのボートに命を預けて欧州の扉をノックしてきた。この危機に直面した欧州の首脳たちが与えられた選択肢は2つ。一丸となって助けを求めている人に手を差し伸べるか、もしくは彼らを他国に追いやることでその苦しみを一般市民から見えなくし、彼ら欧州首脳陣の不名誉も見えないところに隠してしまうかだ。
首脳たちは後者を選んだ。3月に署名・発効したEUとトルコの合意によって、トルコは、欧州の海岸から引き離され、ギリシャの劣悪な環境の勾留キャンプから強制送還されてくる人を受け入れることで、EUから財政的にも政治的にも報酬を得られるようになった。この卑劣な合意は、本当に助けを求めている人に庇護を与えるという、欧州の倫理的、法的責任を放棄するという点で歴史に残るものだ。
人間扱いを受けられるのは誰か?
移民管理を外注するという概念は残念ながら新しいものではないが、今回の合意は人びとを受け入れるどころか押し返すという残酷な方法による、これまで用いられた中で最も組織化された試みである。これにより欧州は、お金を出せば人びとに庇護を与えず追い返すことができるという、気がかりなメッセージを全世界に発信してしまった。もしも世界中で多くの国がこの例にならえば、"難民"の概念は存在しなくなるだろう。人びとは戦闘地域に捕らわれ、逃げ出すこともかなわず、そこに留まって死ぬしかなくなる。先日起きた、シリア・イドリブ付近にある避難者のためのキャンプが爆撃され少なくとも28人が命を落とした事件は、「安全な場所」という概念がシリアではもはや存在しないことを示している。
この合意を通して、EU首脳が選んだ決断は、豊かな欧州市民に対して重大な問いを提起すべきである。2016年もまだ人間扱いを受けられるのは誰か?誰の命なら重要なのか?共感とは何なのか?人生を破壊された人の苦しみと絶望を前に、一致団結の精神はどこへ消えたのか?
資源は押し返すのではなく受け入れることに使われるべき
急を要する問いは、MSFのような、欧州で15年以上にわたって難民と移民への援助を担ってきた組織や団体の間でも浮上している。幾重もの有刺鉄線、警察犬、これまで以上に高い壁の建設といった制止策に飽き足らず、欧州首脳は今や人道・開発援助を出入国規制に悪用するという手段に訴え始めた。政治的なしがらみなしに、ニーズのみに基づいて援助を提供するという人道原則に反して、EUとトルコの合意によって、援助にあたっては苦境にある人を沖合に輸送することが条件となっている。人道援助は、政治的な取り決めとは切り離して、トルコからEUに到着する人の数に関わりなく必要な人に届けられなければならない。
欧州はこの対策を実行するのに数十億ユーロの提供を申し出ていて、人道援助関係者にジレンマを与えている。援助団体は、欧州から人びとを遠ざけることを最終目標に掲げる非人道的な政策に加担してでも、切実に必要とされている援助を提供すべきなのか?
トルコはすでに、国内に滞在する300万人近い難民を効果的に保護することにも苦労しており、支援のニーズは確実にある。だが、援助を政治的な取引材料に変えることなどあってはならない。難民は売買される商品ではなく、欧州は庇護を与える責任を回避することはできない。欧州は、トルコにお金を出して苦境にある人を危険に押し戻すのではなく、多くある資源を用いて彼らを受け入れ庇護すべきだ。