「動けば、海に放り込まれた」──甲板下に身を潜めた船旅、ロヒンギャ難民と私たちを分けるものとは

2026年04月28日
英国の画家兼映像作家リチャード・スワブリック (@rikkileaks)が描いたロヒンギャ難民のイラスト © Richard Swabrick
英国の画家兼映像作家リチャード・スワブリック (@rikkileaks)が描いたロヒンギャ難民のイラスト © Richard Swabrick

ロヒンギャ難民とバングラデシュ国籍者250~280人を乗せてマレーシアへと向かっていた漁船が4月9日、強風と過密な乗船状態によってアンダマン海で沈没した。乗船者の中には子どももいた。
 
救助されたのはわずか9人。ドラム缶や丸太につかまって漂流しているところを発見された。

この問題をよく知らない人にとっては、突然起きた悲劇のように見えるかもしれない。しかし、ロヒンギャの人びとを支援する現場の関係者からは、いずれ起こり得る事態として懸念されていた。

ロヒンギャの人びとがあとどれほど苦しめば、世界は「もう十分だ」と認めるのだろう。
 
人の苦痛に「十分」も「不十分」もない。苦しみは、苦しみなのだから。

忘れられた危機の先で

パレスチナ・ガザ地区やスーダンをはじめ、世界各地で相次ぐ新たな危機の中で、ロヒンギャ難民への関心は長く置き去りにされてきた。国境なき医師団(MSF)のような国際医療援助団体でさえ、長期化するこの問題に光を当て続けることは容易ではない。

マレーシア北西部ペナンにあるMSFの診療所では、過去3年間で、新たに到着した人びとの受診件数がほぼ3倍に増えた。2023年は212人だったが、2025年には620人に達した。

マレーシア・ペナン州で国境なき医師団(MSF)が実施する移動診療。看護師が到着した患者に体調を聞いている=2024年10月9日 © Steven Ooi/MSF
マレーシア・ペナン州で国境なき医師団(MSF)が実施する移動診療。看護師が到着した患者に体調を聞いている=2024年10月9日 © Steven Ooi/MSF


ただし、中にはMSFが受け入れきれない患者や、MSFの診療所まで遠すぎてたどり着けない難民もいるため、実際の受診件数より大幅に低い可能性が高い。

専門的な心のケアを必要とする患者も増え続け、2025年6~11月の間に20%増加した。

一方、バングラデシュでは、国際援助が削減され、キャンプの環境は厳しさを増し、食料配給も縮小している。食料配給は現在、1人あたり月額わずか27.69リンギット(約1000円相当)にまで落ち込んでいる。

国境なき医師団が運営する難民キャンプの病院で治療を受ける4歳の少年と父親。一家は2024年10月にミャンマーからバングラデシュに逃れてきた=2025年5月30日 © Ante Bussmann/MSF
国境なき医師団が運営する難民キャンプの病院で治療を受ける4歳の少年と父親。一家は2024年10月にミャンマーからバングラデシュに逃れてきた=2025年5月30日 © Ante Bussmann/MSF


その先にあるのが、危険な船旅だ。人びとは、命を落とすかもしれないと知りながら、それでも海へ向かわざるを得ない。その旅がどれほど過酷だったかを語れるのは、生き延びた人だけである。

アイシャさん(仮名)も、その一人だ。

言葉を失う体験

アイシャさんは、ロヒンギャの女性で、子どもを持つ母親だ。最近までMSFの診療所で心のケアを受けていた。

ペナン州の診療所で診療の順番を待つ女性患者たち。MSFは女性や子どもを対象に心のケアなどを提供している=2024年6月27日 © MSF
ペナン州の診療所で診療の順番を待つ女性患者たち。MSFは女性や子どもを対象に心のケアなどを提供している=2024年6月27日 © MSF


3年前、陸路と海路でマレーシアを目指す途中に子どもたちを見失った。それは、聞く側も言葉を失うような体験だった。

アイシャさんと家族は、強制労働を恐れてミャンマーを逃れた。ミャンマーでは、村から連れ去られた人が二度と戻らないことも少なくなかったからだ。

たどり着いたバングラデシュでも暮らしは苦しかった。家族は7年間、まきを集めながら、社会の片隅でどうにか命をつないできた。

逃れた先の国で、拾ったダンボールやプラスチックを売って生活費をまかなうロヒンギャ難民=2019年4月24日 © Arnaud Finistre
逃れた先の国で、拾ったダンボールやプラスチックを売って生活費をまかなうロヒンギャ難民=2019年4月24日 © Arnaud Finistre


それでも、生きていくことは難しかった。
 
追い詰められたアイシャさんは、家族5人でマレーシアを目指すしかなかった。密航業者に支払った額は、1人あたり1万2000リンギット(約50万円相当)。その代償として、いまも多額の借金を背負っている。

船上の旅は想像を超える過酷なものだった。彼女は当時のことをこう振り返る。

ロヒンギャ難民の母親アイシャさんの話

海に放り込まれる恐怖の中で

少しでも動けば、海に放り込まれました。だから、乗客はほとんどの時間、甲板下の狭い場所に隠れていました。

数日たつと、みんな疲れ切って、体調を崩す人も出てきました。犬にかまれた傷が悪化した女性は、密航業者に「手に負えない」と言われ、海に突き落とされました。「口論になった」というだけで、海に投げ込まれた若い人たちもたくさんいました。

8日ほどたったころでしょうか。私たちはどこかの岸に上陸し、2、3日間にわたって歩きました。その途中で「軍が来る」と言われ、みんな散り散りに逃げました。そのとき、私は娘(17)、息子(14)の2人とはぐれました。

私は叫び、泣き続けました。自分の感情をどうしても抑えられなかったのです。

そのせいで、何回暴行を受けたか分かりません。「子どもたちを見かけませんでしたか」と、会う人すべてに聞き続けました。しかし取り乱すたびに、殴られ、蹴られました。

意識が遠のき、自分の体がまるで死んだ体のように感じました

逃げた後も続く苦しみ

奇跡的に、アイシャさんはおよそ1年前に娘を見つけることができた。その数カ月後には息子の所在も分かった。

「この記事を読む人びとに、ロヒンギャが置かれている状況について何を知ってほしいですか」
 
そう尋ねると、彼女はこう答えた。
 
「私たちの状況は本当にひどいものです。人びとは軍に無理やり連れ去られ、人間の盾として使われています」

ミャンマーで撮影した家族写真を持つロヒンギャ難民の女性。急いで逃げる必要が生じ、重要書類とこの写真だけ持って家を出た=バングラデシュで2022年12月18日 © MSF/Mohammad Hijazi
ミャンマーで撮影した家族写真を持つロヒンギャ難民の女性。急いで逃げる必要が生じ、重要書類とこの写真だけ持って家を出た=バングラデシュで2022年12月18日 © MSF/Mohammad Hijazi


それだけではない。ミャンマーでの日々の暮らしも極めて厳しい。
 
食料価格は高騰し、ときには通常の3倍にまで跳ね上がる。収入のない人びとにとって到底手の届かない金額だ。
 
だからこそ、アイシャさんたちはまずミャンマーを逃れ、バングラデシュへ向かった。こうしたアイシャさんの体験は、ロヒンギャ難民にとって決して例外ではない。

もっとも、それを語れるのは生き延びた人だけだ。

国境を越え、バングラデシュへ入国する際に爆発で足を失ったロヒンギャの男性=2024年8月14日 © MSF
国境を越え、バングラデシュへ入国する際に爆発で足を失ったロヒンギャの男性=2024年8月14日 © MSF

彼らと私たちを分けるもの

迫害から逃れることは、罪ではない。安全を求めることも、罪ではない。

アイシャさんのような人びと、そして今回の沈没事故で救助された9人は、想像を絶する状況を生き延びてきた。迫害、暴力、飢え、溺死寸前の経験。家族と何年も引き離されることも少なくない。

幸運に恵まれれば、ごく一部の難民だけに認められる第三国定住の対象となるかもしれない。

そうでなければ、彼らは何十年も先の見えない状態に置かれる。いつ第三国に移れるかも分からないまま、ただ生き延びようとする。あるいは、無期限に収容されるかもしれない。

マレーシアへと逃れ、建設現場で働くロヒンギャ難民=2019年4月18日 © Arnaud Finistre
マレーシアへと逃れ、建設現場で働くロヒンギャ難民=2019年4月18日 © Arnaud Finistre


こうした死は予見できるし、防ぐこともできる。各国政府が見て見ぬふりをしてきた結果だからだ。
 
沿岸警備隊や海軍当局は、互いに責任を押しつけ合い、批判を避けるために最低限のことだけをする。その結果、犠牲になるのはいつも逃げ場を奪われた人びとだ。

あの船に乗っていた人びとと、私たちを分けているものは何か──。
 
突き詰めれば、それは「運」に過ぎないのだ。

バングラデシュ・コックスバザールにあるロヒンギャの人びとのキャンプ。100万人以上が暮らす世界最大の難民キャンプだ=2024年1月8日 © Jan Bohm/MSF
バングラデシュ・コックスバザールにあるロヒンギャの人びとのキャンプ。100万人以上が暮らす世界最大の難民キャンプだ=2024年1月8日 © Jan Bohm/MSF

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