イベント報告

【イベント報告】一人一人が声を上げて:「ガザ地区で目撃した現実──今、私たちに何ができるのか」

2023年12月21日

国境なき医師団(MSF)は12月11日、パレスチナ・ガザ地区で深刻化する人道危機についてのトークイベント 「ガザ地区で目撃した現実──今、私たちに何ができるのか」を開催しました。

これまでにガザ地区の取材をしてきた作家・クリエイターのいとうせいこうさん、前JNN中東支局長の須賀川拓さんをゲストに迎え、MSFアドミニストレーターの白根麻衣子と、MSF感染症専門医の鵜川竜也が、それぞれ実際に目撃、経験した現地の様子や、MSFの活動、いま一人一人ができることについて話しました。イベントは東京・渋谷の会場およびオンラインで行われ、合わせて1800人以上が参加しました。

トークイベントのアーカイブ動画(再生時間:1時間32分)

ガザが消されてしまう

前半はゲストの須賀川さん、いとうせいこうさんが今回の軍事衝突の背景や、一報を受けたときのそれぞれの心境について話しました。

須賀川さんはハマスの攻撃から5日後にイスラエル入りし現地を取材。ガザでも過去5回にわたり取材を行ったジャーナリストの立場から、「大変なことになると確信し、いまの状況が想像できた。ガザが消されてしまう──そして、現実にそれが起きかけている」と語りました。

また、イスラエル・パレスチナ問題は歴史的な背景から「複雑」と捉えられることが多いが、実際はシンプルで「占領している側が、占領されている側の権利を抑圧している」だけと指摘。過度に複雑化しすぎずに、現場で起きていることを人道的な観点からみていきたいと話しました。

前JNN中東支局長の須賀川拓さん Ⓒ MSF
前JNN中東支局長の須賀川拓さん Ⓒ MSF

続いて、いとうせいこうさんは「10月7日は本当に驚いた。しかしこの戦争は10月7日に始まったことではない」と話しました。

2019年にガザとヨルダン川西岸を取材した自身の経験を振り返り「抗議デモに参加したパレスチナ人が脚を撃たれ、毎週500人もの人びとが病院に運ばれて来る。おもちゃだと思い拾った爆弾が爆発し子どもの手が吹き飛ばされる。ガザはそれが現実に起きている場所だった」と説明。また、「ロケット弾がガザから撃たれ、イスラエルからの攻撃もあった──つまり、ガザはいつも通りだ」というMSFのスタッフから受けたブリーフィングの内容も紹介しました。

「ガザはそのような形の戦争がすでに起こっていた場所。それを私たちはもっと知らなければいけない」と強調しました。

作家・クリエイターのいとうせいこうさん Ⓒ MSF
作家・クリエイターのいとうせいこうさん Ⓒ MSF

この戦いに出口はあるのか

11月末の一時休戦でガザの人びとに一時の安堵が訪れたのも束の間、戦闘は再開されいまも続いています。なぜ完全な停戦が実現しないのか、この戦いに出口はあるのかという問いに、須賀川さんは、「国際法の下、双方が平等に裁かれなくてはならない」と主張。そのうえで、「まずは戦闘を止めること。人道的な視点に立ち返り、人の命を救うにはどうしたらいいかを考えなければいけない」と話しました。

いとうさんは「さまざまな国の市民が『この状況はおかしい』『止めてくれ』と意思表示をしていくことが重要。このイベントにも多くの人が参加している。その一つ一つがデモンストレーション」と話し、私たち市民がこのような戦争に対応できるのか否かが問われているのではないか、と視聴者に投げかけました。

また今回の軍事衝突に関する報道やSNSで発信・拡散される情報に対し、どのように接していけばよいかというテーマについても、それぞれがメディアに携わる立場から、課題や対応について話しました。

情報との接し方について語るいとうさん Ⓒ MSF
情報との接し方について語るいとうさん Ⓒ MSF

明日どうやって生き抜くか

後半はMSFの白根麻衣子と鵜川竜也が10月7日を起点としたガザの状況について、それぞれの体験を話しました。

今年5月からガザに派遣されていた白根麻衣子は、10月7日以降のガザについて「起きているのは無差別な暴力。そこで傷つくのは一般市民」と改めて強調。今回の衝突が始まる前に見たガザの日常にも触れ、ガザの人びとが築いてきた穏やかな日常が一瞬で崩れてしまったと述べました。

地中海に面したガザのビーチの様子を紹介 Ⓒ MSF
地中海に面したガザのビーチの様子を紹介 Ⓒ MSF


避難生活については、「南部に行けば安全だと思っていたが、空爆は昼夜を問わず続いていた。最後の2週間は野宿生活で、夜は電気もなくトイレを流す水もない。空爆の中、明日どうやって生き抜くかを考えていた」と振り返り、ガザにいる人びとはいまもさらにひどい状況に置かれており、即時停戦以外に一般市民を守る方法はないと訴えました。

MSFアドミニストレーターの白根麻衣子 Ⓒ MSF
MSFアドミニストレーターの白根麻衣子 Ⓒ MSF


また、帰国後も現地で活動を続けるパレスチナ人スタッフと連絡を取り合っているという白根。彼らから届いたというメッセージも紹介しました。

死者が毎日増えていて、もう1万8千人になった。
でもこれは増えていくだけの数字ではない。
その一つ一つに命があり、家族がいて仲間がいた。
多くの人の生活があったということを忘れないでほしい。

同僚の死 言葉にできないショック

今年4月からガザ北部のアル・アウダ病院で勤務していた鵜川竜也は、感染症専門医の視点から避難生活を強いられているガザの人びとが抱える感染症のリスクや懸念点について説明。「多くの人が密集した過酷な環境で暮らしているため、呼吸器感染症や下痢のリスクが高い」と述べました。

空爆などにより負傷した人は感染症にかかりやすい状態になることにも触れ、ガザで多くの耐性菌に感染した患者を診てきた経験から、負傷者が抗生物質の効かない耐性菌に感染するケースも心配だと話しました。

MSF感染症専門医の鵜川竜也 Ⓒ MSF
MSF感染症専門医の鵜川竜也 Ⓒ MSF


11月21日、鵜川が勤務していたアル・アウダ病院は攻撃を受け、MSFの医師2人が亡くなりました。アル・アウダ病院はガザ北部に残された、機能している最後の病院の一つ。亡くなった2人は鵜川の同僚でした。

鵜川は「一緒に働いていた同僚が亡くなってしまうのは、言葉にできないショックがあった」と語り、「2人とも僕が病院に行くと『何か困ったことはないか』『何かあったら俺がなんとかするから』といつも声をかけてくれた」と振り返りました。

「医師は戦争が起きても患者さんがいる限り、その場を離れられない。治療を続けたいという気持ちは同じ医療者として分かる」と語り、医療や医療者が攻撃の対象になることはあってはならないと強調。「医療者が命がけでそこに向かう現実は作ってはいけない」と訴えました。

亡くなった医師とのエピソードを語る鵜川 Ⓒ MSF
亡くなった医師とのエピソードを語る鵜川 Ⓒ MSF

日本から声を上げていく

今回のイベントのテーマの一つは、日本にいる私たちができることは何か、という点です。4人の登壇者はどんな視点で語ったのでしょうか。

須賀川さんはパレスチナ、イスラエル双方と関係を結んでいる日本だからこそ、できることがあると語り、「戦争当事者の憎しみに巻き込まれ、問題を極度に過激化させないことが大事」と、距離を取りながら議論を続けていくことの重要性を訴えました。
 
「現地の人は皆『自分たちを忘れないでほしい』と言う。無関心でいるのではなく、少しでも長く議論を続けること。それが私たちの大きなタスク」と話しました。
 
白根は「無差別な暴力に対し、一人一人が声を上げていくこと」と回答しました。
 
ガザから日本に戻った今、現場で医療活動を続ける仲間が家族を失ったといった話を聞くと、無力感を感じるといい、「戻ることもできない私に唯一できるのは『声を上げること』。民衆の声が世界を変えると信じていたい」と語りました。
 
鵜川は避難していた際の経験について「26日間だけでも食料や水もなく大変で、毎晩、眠りにつく前に『明日停戦になって、この戦争から出ることができたら』と考えていた」と振り返り、ガザの人びとも、もう限界のはずだと訴えました。
 
ガザで今も過酷な現実が続き、苦しんでいる人びとがいることを、まず「知ることが大事」と話し、医療への攻撃や戦争に「NO」と一人一人が思うことで、日本としてもメッセージを出していけるのではないかと結びました。
 
いとうさんは東京の下町で生まれ育った経験から、下町一帯が火の海と化した東京大空襲や関東大震災について話しました。「多くの人が苦しんでいるときに世界からメッセージが届いていたら、日本人はどれほどうれしかっただろうか」と話し、「人間は無力だが、それでもガザの人たちに少しでも自分たちのメッセージが伝わればいいと思う」と語りました。
 
さらに自身の音楽活動での経験にも触れ「伝えることができるのであれば、できる分だけやるべき。このまま何もせずに時がたち、自分のことを何もしなかった人間だと思うことはあってはならない」と訴えました。
 
続く質疑応答では、会場とオンラインから多くの質問が寄せられました。最後に参加者の4人から発せられたメッセージとは──。ぜひ動画でご覧ください。

東京・渋谷のイベント会場では100人近くが参加した Ⓒ MSF
東京・渋谷のイベント会場では100人近くが参加した Ⓒ MSF

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