ジンバブエ:HIV治療率が飛躍的に上昇 日本人スタッフが成功裏に幕を閉じたプロジェクトを語る
2020年10月22日「HIV治療を受けるために、それまで患者さんは旅のように何時間も何日もかけて、たった一つある病院まで歩いて行かなければならなかったんです」
ジンバブエ南東部にあるグツ地区。この農村地帯でおよそ10年にわたり、国境なき医師団(MSF)が地域の人びとと共に展開してきたHIV/エイズと子宮頸がんのプロジェクトが、9月末をもって幕を下ろし、同国の保健省に委譲された。その引継ぎのプロセスを率いたMSFプロジェクト・コーディネーターの上西里菜子が、HIV治療率を大幅に好転させたプロジェクトの背景を語った。
薬の受け取り方法を革新
ジンバブエでの2019年のHIV感染者数は推定140万人(※)。罹患率の高い同国の中でも、グツ地区はプロジェクトが始まる以前、感染の影響が特に深刻だった。だが治療薬を得るには、多くの人が60キロ離れた病院へ通わなければならず、中には川で溺れるなど、途上で命を落とす人たちもいた。
※国連合同エイズ計画(UNAIDS)2020年報告書
そこでMSFは2011年、グツがあるマスビンゴ州でHIV/エイズ・プロジェクトを開始。まず着手したのは、一カ所だった治療薬を受け取れる場所を、同地区内に29ある医療施設のどこでも可能にすることだった。また治療面では、各施設にMSFスタッフを派遣するのではなく、保健省の医療従事者を育てる研修を重ねた。将来サービスを自立的に持続させられるよう、地元出身者の能力育成をコアとして、地域の保健当局を巻き込んでいくアプローチが当初から取られた。
しかし、全ての医療施設で治療薬を受け取れるようになっても、同じ課題は依然として残った。「田舎なので公共の交通機関もなく、5時間以上も歩かなければならないような患者さんが沢山います。1日がかりとなる往復を毎月行うのは大変なので、治療が続かない」と上西。
HIV治療薬(抗レトロウイルス薬)は日々常用しなければ、薬剤耐性が起きて効果が失われる。そこから代替の治療薬探しという悪循環にも陥る。投薬は一生続くため、いかに継続できるかという問題が非常に大きいのだ。
患者に負担なく治療を続けてもらえるように、との思いでMSFが2013年に採り入れたのは「患者中心のサービス提供 (Differentiated Service Delivery)」という手法だ。ジンバブエ初となったこの試みは、症状の落ち着いた患者であれば、HIV治療薬の受け取り方法を好みやニーズによって選択できるというもの。例えば、最も多くの人が選んだのは、近隣の患者とグループを組んで、毎月そのうちの一人が全員分の薬を入手するというモデルだ。
他にも家族グループ、患者同士の話し合いを兼ねた自助グループ、プライベートを守れる個人での受領など、4つの再処方モデルが生み出されている。各自がライフスタイルに合わせて薬を得られるようになったことで、治療を続ける患者数は飛躍的に伸びた。HIV/エイズ治療においては、“90%(診断率)-90%(治療受診率)-90%(治療成功率)”という国際的な目標(※)があるが、「グツで2016年に調査したところ、86-94-86と、かなり目標に近い値まで達しました」と上西は話す。
※①HIV 陽性者の90 % が自らの感染を知る ②HIV 感染を知った人のうち90 % が抗レトロウイルス治療を受ける ③治療を受けている人の90%が体内のウイルス量が低く抑えられている。これらの目標値を2020年までに達成するものとして、UNAIDSが掲げた。
子宮頸がんプロジェクトの始動
この調査結果に勇気づけられたMSFチームは、新たに子宮頸がんのプロジェクトを開始することにした。子宮頸がんの原因となるウイルスは、HIVと同じく性交渉によって感染する。またHIV陽性者の女性は、発がんするリスクが3~4倍高い。そしてジンバブエ女性にとって、がんによる死因の1位は子宮頸がんだ。
「ジンバブエでは、進行したがんの治療はほぼ不可能に近いと言えます。手術を行える病院は国内で2、3カ所のみ、設備も完備されているわけではないからです。そのうえ収入と比較すると莫大な治療費がかかりますが、保険制度もありません。だからこそ、予防となる検査が非常に重要なのです。子宮頸がん検診も、前がん状態であれば治療も、無料で受けられます」と上西は語る。
MSFは診断や治療に用いる機器を提供し、看護師らに使用法などの研修を行った。それまでグツ地区では予防検査と治療を行う医療施設が一カ所のみだったが、MSFの支援によって2016年末には6カ所まで増やすことができた。この6施設では、2015年から2020年6月までに約2万9000人の女性が子宮頸がん検診を受け、うち1000人余りが治療を受けた。
地域に寄り添い、そして託す
2019年1月に着任し、ジンバブエ入りして以来、このプロジェクトに携わってきた上西は、統計や成果などをまとめた最終レポートを仕上げたばかり。「患者のエンパワーメントを重点としたプロジェクトだった」とその意義を振り返る。では自身としてはどこで一番困難を感じたかを尋ねると、地域の人びとにMSFの活動終了を伝えることだったという。
「『行かないで』と言われたんです。特にへき地のリーダーからは、考え直してほしいという旨の手紙を何度も受け取りました。やはり資源に乏しい国ですから、(医療援助を必要としている人びとを見つけ出し、診察や治療を行う)アウトリーチ活動をするにもガソリンが足りない、というような事態が起きる。不安を感じられていましたが、プロジェクトでは患者や地域が治療プロセスに主体的となることを推し進めてきました。そのことを伝えると、最終的には理解してもらえました」
プロジェクトを終えた上西がいま望むことは、これからも患者たちが同じ質と量のサービスを受け続けていくことだ。そして、それを可能にする土壌は盤石だと信じている。