医療が崩壊したウクライナ南部──援助活動を支える、地元ボランティア
2023年03月29日自宅の寝室を診療所に
8カ月に及ぶ激しい戦闘の末、ヘルソン州のポサド=ポクロウシケ村は廃墟と化した。ナターリア・チョルナさんの裏庭で唯一、戦災を免れたのは小さな屋外キッチンだ。ここでナターリアさんは肉入りの揚げパンを調理している。ナターリアさんの愛犬たちは、がれきの中を歩き回っている。「揚げパン食べたい? あんたたちの分はないわよ」と、ナターリアさんは犬たちに話しかけながら笑った。
この小さな村はロシア軍の支配を免れた。しかし、2022年3月、ポサド=ポクロウシケには毎日のようにロケット弾が降り注いでおり、ナターリアさんと夫のバレリーさんは自宅から去ることを決めた。「スーツケース2個と犬を連れて、ミコライウに向かったんです」とバレリーさんは話す。11月、反撃によりウクライナ軍が再びこの地域を支配するようになった直後に、夫婦はポサド=ポクロウシケに戻った。
11月17日、MSFのチームは初めてこの村を訪れた。2000人いた住民のうち、残っていたのは20人足らず。戦禍の破壊はすさまじく、MSFのスタッフが安心して診療が行えるような公共施設は、村に一つも残っていなかった。現地の医療施設は砲撃を受け、一部の部屋は残っているものの、不発弾が残されている危険性があるため、安全ではなかった。そこで、地元のパラメディカル(医師以外の医療従事者)は、MSFがすぐに診療所として使える場所として、ナターリアさんとバレリーさんの家を紹介した。
「通信網が途絶えていたので、ナターリアさんと連絡を取るのも大変でした。その後、短時間でしたが何とかナターリアさんにつながりました。ナターリアさんは、またすぐに連絡が取れなくなるから、タイヤを燃やして居場所を教えると言ってくれて……。黒い煙を目印に、ご自宅を探し当てたのです」とMSFのプロジェクト・コーディネーター、ロビン・エーレトは振り返る。診療は、ナターリアさんとバレリーさんの寝室で行われた。
ナターリアさんたちのような地元の人びとの協力なしに、私たちの活動は成り立たなかったでしょう
ロビン・エーレト MSFのプロジェクト・コーディネーター
病院の秘書から、医療の現場に
テティアナ・ボリソワさんは、ヘルソン州ミロリュビウカ村の出身だ。ずっと医者になりたかったものの、医学課程に進めるほど家計に余裕はなかった。ロシア軍の進駐により医療スタッフの多くが村を離れ、この戦争はテティアナさんにとって看護の特訓の場となった。
「気がついたら筋肉注射を患者さんにしていました」とテティアナさんは話す。2022年春、ロシア軍がテティアナさんの村を支配したとき、テティアナさん一家は残ることにした。避難する際の空爆や砲撃を恐れていたためだ。当時、地域の外来診療所で秘書をしていたテティアナさんは、研修医や看護助手、運転手とともに働き続けた。
包帯を巻くなどの手当を行いました。一人の方には抜糸もしました。怖かったけれど、人を助けなければいけませんでしたから
テティアナ・ボリソワさん ヘルソン州ミロリュビウカ村
それでも、薬の入手は難しかった。「ロシア兵が薬を路上で売っていましたが、買うだけの経済的余裕は人びとにありませんでした」。
11月上旬、ウクライナ軍がテティアナさんの村を奪還した。その直後、MSFはミロリュビウカに到着し、地元の外来診療所で診療と医薬品の無償配布を行った。現在、テティアナさんと彼女の同僚は、MSFの訪問予定を地域の住民に伝えるなど、MSFの活動を手伝っている。「SNSのグループに投稿したり、お知らせを書いたりして、街行く人びとに伝えていきます。そうやって患者さんを見つけていくんです」とテティアナさんは話す。
自転車で砲撃から逃げる
使い古された自転車が壁に立てかけられている──ここはヘルソン州のブラホダトネ村。街中で見かける車はせいぜい1台か2台だが、その一方で、自転車はあらゆる場所にある。「いつ砲撃が始まるのか、誰にもわかりませんでした。すぐに動けるようにするため、自転車が必要だったのです」と地元ボランティアのイリーナ・ゾマーさんは言う。
いまでは、イリーナさんはMSFからの電話も受けている。MSFが初めてこの村を訪れたのは11月、村がウクライナ軍に奪還された直後だった。
MSFは3週間に1回くらいの頻度で村に来てくれます。薬を持ってきてくれたり、援助をしてもらえるので、助かっています
イリーナ・ゾマーさん ヘルソン州ブラホダトネ村