いまも必要とされる医療・人道援助──日本の活動責任者が見た、ウクライナの現実【後編】

2023年01月19日
南部ヘルソン州の被災した保健施設。ウクライナ軍により奪還された地域が増えるにつれ、<br> 人びとの医療ニーズが明らかになっている=2022年11月 Ⓒ MSF/Natalia Chekotun
南部ヘルソン州の被災した保健施設。ウクライナ軍により奪還された地域が増えるにつれ、
人びとの医療ニーズが明らかになっている=2022年11月 Ⓒ MSF/Natalia Chekotun

戦争が激化したことにより、大きく変わったウクライナの人びとの日常。国境なき医師団(MSF)の萩原健は、昨年8月から10月にウクライナで現地活動責任者を務めた。帰国後、萩原が耳にしたのは「ウクライナにMSFが援助をする必要はありますか?」という言葉だった。
 
紛争下のさまざまな国で活動を行ってきた萩原が訴える、ウクライナの人びとの苦難、そしていまも医療・人道援助活動が必要な理由とは──

日常が奪われた人びとの苦難

ウクライナの情勢は、2014年の紛争により悪化していました。しかし、昨年2月以降のような危機的な状況は予想していなかった、という話を現地でよく耳にしました。それだけに、それまでの平穏な日常が脅かされたことによるダメージは大きいのではないかと思います。
 
ウクライナは世界銀行の所得階層別分類において低中所得国と分類され(※)、広大な面積と4千万人以上の人口、鉱物資源や穀物、大型航空機製造会社を有する国です。また、全土に渡る幹線交通網やセントラルヒーティングなどの公共インフラも整備されています。

戦争が激化したことにより、人びとの生活は大きく変わりました。毎朝目を覚まし、仕事や学校に出かけ、食事をとり、家族と団らんし、体調が悪ければ病院に行き、暖かい部屋で安心して眠る……。そんな日常が奪われてしまったのです。

国内外問わず避難を余儀なくされた人びとは雨露をしのぐ住まいを探さねばならず、そうでない人でも日々全土にわたる空襲を警戒しながら不安とストレスを抱える生活を強いられています。戦線に近い地域の産業に従事していた人の中には職を失った人もおり、生きる糧の心配をしなくてはなりません。

家族と離れ離れになっている人、戒厳令下で国外に避難した家族に会いに行くことができない男性たち、さまざまな事情により戦闘の最前線に残っている、または取り残されている人びともいます。その土地で生まれ、育ち、人生の歴史を積み上げてきた人びとにとって、そこを離れるということは、戦時下では積み上げてきた財産を含め全てを失うことを意味します。
 
私たちのスタッフの多くも戦渦を逃れてきた避難民で、自分の肉親を失ったり、家族を最前線に残してきている人もいます。どれほどかつての平穏な日常とかけ離れていることか想像に難くありません。“連帯”という強い意識の下にウクライナの市民社会はお互いを助け合ってきましたが、危機的な状況が長引いている状況において、助ける側の負担も大きくなっています。

世界銀行

「ウクライナに援助をする必要はありますか?」

活動を終えたいま、「ウクライナほどの国力のある国に、援助をする必要はありますか?」「ウクライナの医療体制はそれなりに整っていたはずだからMSFが援助をする必要があるのでしょうか?」という話を耳にすることがあります。

昨年2月に情勢が大きく変わってから10カ月以上が経ちました。非日常が日常になり、ウクライナの人びとも現状に適応しつつあるのではないか、という見方もあるようですが、それは失われたかつての平穏な日常がとり戻せたことを意味しません。
 
私が目にしたのは、耐え忍びながらなんとか毎日を生き延び、「日常」を必死に守ろうとしている人びとの姿です。度重なるインフラ施設への攻撃、即座に現場に駆けつけ、夜を徹して修復に向かう人びと、被災する可能性があっても運営を続ける電車や路面バス、町をきれいな状態に保つように早朝から道を清掃する人びと──

南スーダン、エチオピア、スーダン、イエメンなど、私は今まで多くの国で活動をしてきました。それぞれの土地で人びとが感じる「苦難」は数値で比べられません。今までインフラが整備されていた環境で生活をしてきた人びとが、突然インフラのない状況に追いやられる困難さは数値で表すことはできないのです。

私たちが日本で大規模災害に見舞われ、被災し、それまでの生活環境が破壊されたとしたら、その困難さは一言で言い表すことはできないでしょう。それはウクライナの人たちが置かれている境遇に重なるところがあるかもしれません。

ウクライナの医療ニーズを調査する萩原健(写真左)と同僚のウクライナ人スタッフ Ⓒ MSF
ウクライナの医療ニーズを調査する萩原健(写真左)と同僚のウクライナ人スタッフ Ⓒ MSF

心のケアのニーズも拡大

ウクライナ軍により奪還された東部ハルキウ州の村で、MSFの移動診療チームが提供する基礎医療と心のケアの診察を待つ患者<br> =2022年10月 Ⓒ Linda Nyholm/MSF
ウクライナ軍により奪還された東部ハルキウ州の村で、MSFの移動診療チームが提供する基礎医療と心のケアの診察を待つ患者
=2022年10月 Ⓒ Linda Nyholm/MSF

多くの人びとが緊張状態に置かれて生活をしている環境は変わっていません。最高気温が氷点下になる冬、発電施設など公共インフラの障害はエネルギー、水、交通、通信、といった人びとのライフライン(命綱)へ直接影響を及ぼします。医療施設も例外ではありません。
 
MSFでは想定された冬季の窮状を踏まえて9月以前から東部の医療施設への援助を進めてきました。具体的には、公共インフラに障害があった場合にも手術室での医療活動が行えるようソーラーパネルや自家発電システム、貯水タンクを設置しました。
 
また防寒用に3万枚の毛布の調達も行いました。現在、公共インフラの障害が全土に渡っている状況では、ニーズは増えるばかりでしょう。また、医療施設が戦渦に巻き込まれる危険は常にあり、医療・人道援助活動が、そのような状況に陥らないことが求められます。
 
厳寒の季節、離散した家族、鳴りやまない空襲警報、インフラ障害、仮の住まい──さまざまな要因から人びとの精神的な負担は増えるばかりです。現在既に各地で提供している心理的なサポートに対するニーズも、今後ますます拡大してくるものと考えられています。

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