鳴り響く空襲警報、不安と緊張の中で人びとは──日本の活動責任者が見た、ウクライナの現実【前編】

2023年01月18日
東部ハルキウ市周辺では、多くの診療所や病院が戦闘や砲撃による被害を受けている=2022年10月 Ⓒ Linda Nyholm/MSF
東部ハルキウ市周辺では、多くの診療所や病院が戦闘や砲撃による被害を受けている=2022年10月 Ⓒ Linda Nyholm/MSF

昨年2月下旬から、国境なき医師団(MSF)はウクライナで緊急援助活動を続けている。年が明けた現在も人びとは緊張と不安の中で毎日を過ごしており、援助のニーズは膨大だ。
 
昨年8月から10月にウクライナで現地活動責任者を務めた萩原健が、人びとが置かれた日常とMSFの取り組みを伝える。

「大丈夫です」という言葉の裏に…

ウクライナで活動責任者を務めた萩原健 Ⓒ MSF
ウクライナで活動責任者を務めた萩原健 Ⓒ MSF
現在ウクライナでは大勢の人びとが避難生活を送っています。避難所は学校、学生寮、空き家の民家やレストランなどさまざまです。
 
避難所の人びとに「何か困っていることはないですか?」と聞いても、「大丈夫です」という一言で済まされることがよくありました。しかし話をするうちに、それが必ずしも本音ではなかったことに気づきました。のしかかっている苦難を簡単に説明することなどできるわけがなく、「大丈夫です」という言葉が精いっぱいの表現だったのだと思います。
 
西部ビンニツァには避難所として人びとに学生寮を提供している女性がいました。女性は子どもたちを含む戦火を逃れてきた人びとを受け入れるため、学生たちに窮屈な部屋割りを求めなければならず苦慮していました。
 
私が「ウクライナの町はごみひとつ落ちていないのですね」と声を掛けたところ、突然取り乱し、大粒の涙をこぼしながら、前線にいる息子さんの話をせきを切ったように始めたのです。「子どもたちがこんな学生寮に身を寄せなければならない状況なんて……。若者が戦渦に巻き込まれている状況なんて……」と声を絞り出すようにして、涙を拭っていた姿が目に焼きついています。
 
またある時、東部ドネツク州の診療所を訪問した際、責任者に「状況はどうですか、少しは落ち着きを取り戻してきていますか」と尋ねたところ、穏やかな口調で逆に問いかけられました。

「夜『おやすみ』と言ってベッドに行っても、眠っている間に爆撃を受けるかもしれません。翌朝目が覚めるか分からない──そんな不安にかられながら毎晩まぶたを閉じる、それが普通の状況と言えますか? 一度閉じたまぶたは再び開くことがないかもしれないんですよ」と。

ミサイルの爆風で吹き飛んだ病院の窓

中南部ザポリージャ州はロシアとウクライナの支配地域に分断されており、ウクライナの支配するザポリージャ市内には避難してきた人びとのための避難民受付センターや避難所がありました。戦争の最前線や原子力発電所からも近く、ミサイルや砲弾が着弾する危険と隣り合わせの場所です。
 
それにもかかわらず他の州へ移動せず留まることを選択した多くの人びとがいました。身寄りがないことや、経済的な余力がないこと、また少しでも状況が許せば危険を冒してでも自分の家に戻りたいとの理由からでした。
 
肌寒くなってきた9月末、市内のある公立病院から数百メートルのインフラ施設にミサイルが着弾し、爆風で4階建ての病院の全ての窓ガラスが吹き飛んだのです。入院患者が冷たい風にさらされました。「戦争が始まって以来、入院患者を地下シェルターに移動させなければならない事態は初めてだ……」と病院長もショックを受けており、私たちのチームは同じ日に数百枚の毛布を提供しました。また、避難民受付センターからほど近い中古車部品市場にはミサイルが着弾し、多くの市民が犠牲になりました。

不安と緊張、危険と隣り合わせの日常

30以上の場所で移動診療を行っていたMSFのチームも、そのような危険と隣り合わせの状況で活動を続けていました。ミサイルだけでなく原子力発電所が被弾し放射能が漏れるかもしれないという恐怖と不安を抱え、自身の家族の身を案じながら活動を続けるスタッフもいました。スタッフそれぞれが苦境に立ち向かいながら献身的に活動を続ける姿を見て、心が痛むこともありました。

ザポリージャの避難民シェルターで子どもを診察するMSFのチーム=2022年6月 Ⓒ Alexander Glyadyelov
ザポリージャの避難民シェルターで子どもを診察するMSFのチーム=2022年6月 Ⓒ Alexander Glyadyelov

安全管理上の理由から、MSFはザポリージャ州のロシアの支配する地域に赴いて活動することはできませんでした。

しかし、医療と人道という観点から、紛争という枠を超え活動地域を制限しない援助活動を行うために、MSFは現地の市民グループと連絡を取り合い、援助物資の提供や活動の可能性を常に模索していたのです。

私は過去にさまざまな地域で活動してきましたが、今回はそれまでとは違う緊張感を持って活動することになりました。空襲警報が鳴らない日は一日もなく、いつ、どこにミサイルが着弾するかもわからない不安と緊張感。人びとはそのような状況の中での生活を強いられています。それがウクライナの現実です。

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