紛争や気候変動、ぜい弱な医療体制、不安定な経済状況など、これまで数々の人道危機に直面してきた
ソマリア。中でも南西部の都市バイドアでは、
母子保健が深刻な危機に瀕している。
国境なき医師団(MSF)は40年以上にわたり、ソマリアで人道援助活動を続けてきた。2017年からはバイドアにあるベイ地域病院を支援し、産科、小児科をはじめ、包括的な母子医療プログラムを提供している。しかし、状況は依然として厳しく、改善の兆しは見えない。
最近では
米国際開発局(USAID)による資金提供が停止されたことで、妊産婦や子どもの健康状態がさらに悪化。命を守るための医療が、ますます届きにくくなっている。
今、ソマリアで何が起きているのか──人びとが抱える苦難と、MSFの現地での取り組みを伝える。
夜通し車を走らせ、MSFの病院へ
ソマリア・ディンソール地区の自宅で双子を出産してからわずか10日後、アイシャさんは大量出血を起こし、命の危機に直面した。家族は最悪の事態を覚悟した。彼女が以前、2人の子どもを無事に出産した病院は、今はもうない。
この地域の医療サービスは限られていたため、アイシャさんの夫は急いでお金を借り、夜通し5時間かけて車を走らせ、バイドアのベイ地域病院へ向かった。MSFが支援しているこの病院は、質の高い母子医療を無償で提供する数少ない施設の一つだ。病院にたどり着いたアイシャさんは、迅速な治療を受けて容体が安定し、一命を取り留めた。
医療へのアクセスが限られていることで、妊産婦や新生児は重篤な合併症を抱えて病院に到着するケースが多い。時には、防げたはずの死につながってしまうこともある。不安定な治安、医療サービスの不足、そして物流の課題が、適切なタイミングで医療を受けることをさらに困難にしている。
また、外科手術には男性の同意が必要という文化的な慣習も、緊急の処置が不可欠な場面で重大な遅れを引き起こしている。さらに、医療を受けようとする行動そのものにも大きな課題がある。
アイシャさんのような話は、ソマリア南西部ではごく一般的だ。救命医療を受けるために、女性や子どもが数百キロも移動を強いられることはよくある。一方で、旅費を払えない人びとは、厳しい現実を突き付けられることになる。
病院はなく、医者もいない──
18歳で2児の母となったハワさんは16歳のとき、親族が見守る中、自宅で最初の子どもを出産した。
「近くに病院はなく、医者もいないのです」と彼女は言う。
2人目の出産後、ハワさんはむくみや心臓の問題など深刻な合併症に見舞われ、治療を受けるために意を決してバイドアへ向かった。現在は回復中だが、彼女は多くの人びとが抱く同じ願いを口にする。
私たちの地域にも、病院と医者が必要です。
ハワさん 2児の母
医療アクセスを妨げる要因は多岐にわたる。貧困、不安定な治安、距離、そして文化的な障壁も、治療の遅れに大きく影響している。
アフロウ村のハサンさん(28歳)は、自宅で出産中だった妻を亡くした。医療施設も熟練した助産師もいなかった。生まれたばかりの息子と二人きり──しかし、その子どももすぐに重篤な状態に陥った。
「下痢と嘔吐を繰り返していました。地元の薬局で買った薬も効かなかったのです」
2カ月もの間、息子の状態が悪化し続ける中、ハサンさんはバイドアでMSFが無償で医療を提供していることを知った。
「130ドルほどを工面して、150キロ離れたバイドアの病院まで行きました」
2人にとって絶望的な状況だったが、必要な治療と栄養ケアを受けることができ、今では生きる希望を見出している。
追いつかない支援 削減される資金
MSFは2017年からベイ地域病院を支援し、救急産科、新生児・小児科、栄養ケアを提供している。2024年だけでも、MSFは1万4000人以上の子どもに
栄養失調の治療を行い、3万8000件以上の小児診療、2800件以上の出産支援、約3万5000件のリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)に関する相談を、すべて無償で提供した。
しかし、こうした取り組みにもかかわらず、この地域の母子保健の状況は依然として深刻であり、特に最近は
国際援助の削減を受けて、さらに悪化している。
米国際開発局(USAID)の資金援助の停止による影響は甚大だ。バイドア周辺の農村部および都市部にある医療・栄養施設は、少なくとも37カ所が閉鎖された。その結果、ベイ地域病院など残された施設への患者数が急増し、もともとぜい弱だった医療体制がさらに圧迫されている。
2025年1月から6月の間に、MSFはベイ地域病院で1万1894人の栄養失調の子どもを治療した。この数字は、前年の同時期に比べ76%増だ。
加えて、妊産婦の合併症も増えており、特に支援が行き届いていない農村部で基本的な医療サービスを回復・拡大するためには、持続的かつ効率的な資金援助が緊急に求められている。
治療を遅らせる“誤解”
そんな中で、時に人びとは症状が悪化するまで医療を受けることを遅らせ、伝統的な治療師に頼ることも多い。また、予防接種に関する誤解──例えば、ワクチンが不妊症や病気の原因となるというような迷信が、予防接種へのアクセスをさらに遠ざけている。
医療サービスに対する信頼を築き、適切なタイミングでの受診を促すためには、持続的な健康教育と地域コミュニティとの対話が不可欠だ。
「女性が自宅に近い場所で、タイムリーに医療を受けることができるようになれば、妊産婦や新生児の死亡は防ぐことができます」とソマリアでMSFの活動責任者を努めるピチュ・カエンベ医師は話す。
医療施設が近くにないという理由で、重篤な状態になってからようやく私たちのところに患者が訪れるというケースがあまりにも多いのです。
ピチュ・カエンベ医師 ソマリアのMSF活動責任者
回復した先の人生も見据えて
カエンベ医師はまた、MSFが救命治療を担う一方で、より幅広い組織的な支援が必要であると指摘する。
「ニーズの規模から考えれば、ソマリア全土において持続的かつ長期的な資金提供と、戦略的な支援が必要なことは明らかです。私たちは、特に遠隔地における一次医療、救急医療、産科、小児科の拡充を優先的に行うよう、支援者や他の人道援助団体に強く求めています」
ベイ地域病院の病棟では、熟練した医療スタッフが忙しく立ち回る中、新生児が初めて呼吸し、栄養失調の子どもたちが徐々に健康を取り戻し、そして、怯えていた母親たちが安堵と希望を取り戻す光景が、幾度も繰り返されている。
「私たちが対応しているのは、目の前の差し迫った危機だけではありません」とカエンベ医師は言う。
人びとが生き延び、回復し、人生を再建できるようにすることが最終的な目的です。その第一歩は、すべての人びとの尊厳を守り、質の高い医療を提供することなのです。
ピチュ・カエンベ医師 ソマリアのMSF活動責任者
ソマリアでのMSFの取り組み
国境なき医師団は40年以上にわたり、ソマリアで医療および人道援助活動を提供してきた。現在もバイドアをはじめ、プントランド州のガルカイヨ北部、ガルムドゥグ州のガルカイヨ南部で、紛争や異常気象によって避難を余儀なくされた人びとに、保健省管轄の医療施設で支援を続けている。活動は医療従事者の育成と専門的な研修に重点を置いており、医療の質の向上、病院の修復、水と衛生サービスの改善、感染予防と管理を目的とした健康教育なども実施している。
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