イスラエル軍に襲われた6人家族──中東危機の陰で悪化する、ヨルダン川西岸の暴力と移動制限
2026年04月03日
世界が中東上空を飛び交うミサイルに注意を向ける一方で、イスラエル軍はパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の全域で軍事侵攻を強化している。
西岸にある検問所の大半はいまも閉鎖されたままで、人びとの生活の制約はこれまで以上に大きくなっている。さらにはイスラエル側からいわれのない攻撃を受けて負傷し、命を落とす住民も相次いでいる。
国境なき医師団(MSF)は、西岸で深刻化する暴力と移動制限が人びとの命を脅かしていると警告し、安全な人道アクセスの確保を求める。
逃げ場のない日常
「殺すつもりで彼らは発砲してくるのです」
そう話すのは、西岸南部にあるマサーフェルヤッタ地域出身の住民サリ・アハマドさん。西岸の人びとはイスラエルの入植者による暴力に長年苦しんできたが、最近はさらに激しい襲撃に遭っているという。
その上、イスラエル軍による攻撃も後を絶たない。
イスラエル軍は夜によくやって来ます。兵士たちが集落になだれ込んできて、私たちの家に押し入って家財を壊し、人びとを次々に拘束していくのです。私たちの家は彼らに奪われ、取り壊されてしまいました。
ヨルダン川西岸地区マサーフェルヤッタ地域出身の住民 サリ・アハマドさん
糖尿病を患うサリさんは今年1月まで、MSFから治療を受けていた。しかし、イスラエルによる暴力の激化と移動制限の強化により、MSFはこの地域で支援を必要とする数十人の元へ行くことができなくなってしまった。
また、ここ数週間で米国・イスラエルとイラン間の紛争が激化したことで、パレスチナ全域を新たな暴力と恐怖が覆っている。
イスラエルの街は避難所や警報システムが広く整備されているが、西岸のパレスチナ人の多くは逃げる場所も身を守る空間もない。もし、上空から爆弾の破片が降ってきても、人びとは家の中にとどまって無事を祈ることしかできない。
西岸南端のヘブロンで活動するMSF地域保健担当者、ヤスミン・ムハンマドは現地の状況についてこう語る。
自宅にいるときにサイレンが聞こえると、私たちは窓から離れた廊下に集まります。遠くの丘の向こうでは、迎撃ミサイルが飛来物を撃ち落として爆発音が響いてきます。世界が別の場所に目を向ける陰で、自分たちが生きられる空間は少しずつ狭まっているように感じているのです。
ヨルダン川西岸地区ヘブロンで活動するMSF地域保健担当者 ヤスミン・ムハンマド
突然、孤児に
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によると、2023年10月7日~2026年3月7日に、西岸とエルサレムで、パレスチナ人1071人(うち子ども233人)が殺害された。今年だけでも11人が入植者によって殺害された。
住民によると、入植者たちは武器を隠すことさえせず、パレスチナ人の村や農地に入り込んでくる。時には人びとが車で移動中に襲ってくることもあるという。
3月中旬には、家に帰る途中だった6人家族がイスラエル軍によって銃撃された。生き残ったのは息子2人だけ。両親、7歳と5歳の兄弟が目の前で殺され、2人とも孤児になってしまった。
西岸で活動するMSFスタッフのサラーム・ユーセフはこう語る。
あまりに衝撃的で、言葉を失います。彼らはなんの責任も問われないまま、人を襲い、殺しています。私たちには正義などなく、命さえ顧みられていないと感じます。
西岸地区で活動するMSFスタッフ サラーム・ユーセフ
イスラエル軍と入植者は一歩ずつ支配を広げています。それぞれは単発の事件かもしれませんが、いずれ大きな結果につながります。検問が一つ増え、道路が一つ奪われ、家が一つ失われる……。少しずつ支配され、そのときは一時的に思えた現実が、やがて既成事実となっていきます。しかし私たちにはどうすることもできず、世界も自分たちを気にかけていないように見える。そのことが、とても恐ろしいのです。
ヨルダン川西岸地区で活動するMSFスタッフ サラーム・ユーセフ
心をむしばむ暴力
ナブルスで活動するMSFの心理士エルサ・サルバトーレは、患者へのカウンセリングを通じて危機感を抱いている。
この環境がもたらす心理的負担はとてつもなく大きいです。問題は、入植者による襲撃や検問所での出来事など、目に見える暴力だけではありません。カウンセリングで、患者さんは日常的に感じる屈辱と、終わりの見えない不安についてよく口にします。常に神経を張りつめ、眠ることもできず、何か悪いことが起きるのではないかと身構え続けているのです。
ヨルダン川西岸地区ナブルスのMSF心理士 エルサ・サルバトーレ
さらに、エルサは事態の深刻さについて付け加える。
多くの人は、もう将来の計画を立てなくなっています。心的外傷後ストレス障害(PTSD)に似た症状に苦しむ人も少なくありません。そもそも、厳密に言えば「PTSD」という言葉は正確ではありません。人びとはトラウマを経験した“後”にいるのではなく、いまもその“中”にいて、暴力と不安に常にさらされているからです。
ヨルダン川西岸地区ナブルスのMSF心理士 エルサ・サルバトーレ
しかし、現実にはむしろ逆のことが起きている。アクセスが断たれたり、厳しく制限されたりすることで、医療がこれまでよりも遠い存在になっているのだ。
マサーフェルヤッタのような一部地域では、広い範囲が軍事区域に指定された。イスラエル軍によって移動が厳しく制限され、NGOは不可欠な人道援助さえ届けられなくなっている。
そのため、MSFは2025年9月以降、この地域で運営する移動診療を17カ所から5カ所へ減らさざるを得なくなった。患者は、最も基本的な医療さえ受けられない状況に置かれている。
マサーフェルヤッタの住民はこう嘆く。
私たちは見捨てられ、忘れ去られたように感じています。もう誰もここには来てくれません。病気になれば、何キロも歩くしかないのです。もしくは、そのまま痛みを我慢するしかありません。
ヨルダン川西岸地区マサーフェルヤッタ地域の住民
深まるニーズ、遠のく支援
MSFは、2026年3月1日の時点でイスラエル当局に登録更新を認められなかった37のNGOの一つ。国際派遣スタッフはパレスチナ・ヨルダン川西岸とガザの両地区を離れざるを得なくなった。
パレスチナ人の現地スタッフたちは引き続き医療を提供しているものの、両地区におけるMSFの活動の先行きは見通せない。西岸のナブルス、ジェニン、トゥルカレムでは、安全上の懸念と、3月1日以降に導入された新たな行政上の制約のため、活動が大きく縮小されている。
ナブルスでMSFによる心のケア支援を受ける患者の一人は「MSFの支援がなくなってしまうかもしれないと思うと、怖くてもう希望が持てません」と吐露した。
MSFは、オンラインで心理社会的支援を提供しようと努めている。しかし、対面での支援と同じ効果までは期待できない。とりわけ、性暴力のサバイバー、通信環境に制約がある低所得世帯、慢性的な精神疾患を抱える患者にとっては不十分だ。
「ただ、安全に暮らしたいだけ」
医療体制が寸断されれば、予防医療が後手に回り、慢性疾患は悪化し、地域社会はいっそうもろくなってしまう。パレスチナで人道危機が続くなか、MSFはできる限りの医療を届け続ける。
いま西岸で起きていることは、避けられない悲劇でもなければ、見えない出来事でもない。国際人道法は明確だ。占領するイスラエルには、民間人を保護し、不可欠な医療を受けられるようにする法的責任がある。
ユーセフは西岸で生きる一人として、人びとの思いをこう代弁した。
私たちはただ、安全に暮らし、恐れずに子どもを育て、人間としての尊厳をもって扱われたいだけなのです。
ヨルダン川西岸地区で活動するMSFスタッフ サラーム・ユーセフ




