「お母さんに会いたい」 武装集団にさらわれた14歳 森で暮らし、子を産み、逃げた

2018年08月01日掲載

ファティマさんは4年前、武装勢力にさらわれ結婚させられたファティマさんは4年前、武装勢力にさらわれ結婚させられた

 18歳のファティマさんはナイジェリアの北東部、ヨベ州にあるゲイダムの出身だ。14歳のとき、反政府武装勢力が町にやってきて、ファティマさんは家族から引き離され、結婚させられた。この4年間、森の奥や、政府の支配が及ばない村で暮らしていた。現在は隣のボルノ州、プルカの国内避難民キャンプで暮らしている。3歳の息子ムスタファちゃんと、自分と同じファティマと名づけた生後18ヵ月の娘も一緒だ。ファティマちゃんは栄養失調で、下痢をしていて熱もあるため、国境なき医師団(MSF)の病院で治療を受けている。

楽しかった子ども時代

ナイジェリア北東部ボルノ州の国内避難民キャンプで果物を運ぶ男の子ナイジェリア北東部ボルノ州の国内避難民キャンプで果物を運ぶ男の子

以前は普通の暮らしをしていました。泥壁でできた、1部屋だけの小さな家に住み、料理は外でしていました。ゲイダムはいい場所で、ザリアという仲良しの友達もいました。

父は2人の女性と結婚していたので、大家族でした。私を生んだ母の方は9人、もう1人の母には7人の家族がいました。私が生まれる前、病気で亡くなった兄弟姉妹も数人います。

両親は農家で、穀物を育てていました。私も農園でお手伝いをして、地元の市場で野菜も売っていました。医者になって誰かの役に立つのが夢だったので、本当は学校で勉強を続けたかったけれど、父が亡くなり、母に手伝いを頼まれて、退学するしかありませんでした。家族と一緒で嬉しかった。子どもの頃は、とても楽しい思い出で一杯です。
 

町が占拠され、少女たちがさらわれた

MSFの病院で、自分に起きた出来事を話すファティマさんMSFの病院で、自分に起きた出来事を話すファティマさん

あれは4年前、日曜の午後のことでした。市場に行ったら、人びとが走り回っていました。隣で誰かが「ボコ・ハラムがゲイダムを攻撃しにやって来た」と言い、私は走って家に帰りました。

軍服を着た若い人たちが町を2日間占拠して、町の人たちに仲間に加わるよう要求しました。そして、家から家へと回って若い女の子を捜していました。武器を持っていたので母は脅えました。私は、2万5000ナイジェリア・ナイラ(約7700円)と引き換えに奴らの1人と結婚するよう、選ばれてしまったんです。

何人の女の子が連れて行かれたか覚えていませんが、12歳から20歳の子が50人以上はいたと思います。トラックに乗せられて、森へ連れて行かれました。それから3日間、砂漠を抜けて旅を続けました。止まったのは夜、寝るときだけでした。
 

森で暮らした2年間

ボルノ州は過激派勢力「ボコ・ハラム」との拠点となっているボルノ州は過激派勢力「ボコ・ハラム」との拠点となっている

連れ去られてから2年間は、反政府武装勢力の拠点になっていたボルノ州のサンビサにある森の奥深くで暮らしていました。そこには他にも女性たちがいて、新しくやってきた私たちのために料理してくれました。家族と離れ離れになって、とても悲しかった。夫になった人は30歳で、森の中で油や野菜を売る商売をしていました。

長い間、この近くで軍事作戦は行われていませんでした。武器を持っている人もいましたが、持っていない人もいました。最初の子どものムスタファは、自宅で産みました。近くに基礎的な診療をしている診療所があって、医薬品があり、入院も可能でした。妊娠中に具合が悪かったときは、この診療所に行ったものです。

2年が経ち、夫がその場所を離れることを決め、私たちは24時間かけて森を出て、ある村へたどり着きました。市場も病院もある大きな村でした。でも、森にいたときと違って食べ物がなく、生活は苦しくなりました。
 

家族を探し逃げ出す

プルカの国内避難民キャンプで夕食を準備する女性たちプルカの国内避難民キャンプで夕食を準備する女性たち

家族に会いたいと、いつもそう思っていました。ある時、家族を探しにいこうと思いたちました。うまく逃げ出している人もいましたから。どうすれば逃げられるか教えてくれた人がいたので、やり遂げられると思いました。夜に出発し、3日かけてプルカの町に着きました。途中でボコ・ハラムや政府軍に殺されるかもしれないと、怖かったです。 路上で会った数人の兵士が、プルカへ連れてきてくれました。

それ以来、私は一時滞在センターで寝起きしています。家族用テントをもらえるまで共同で暮らす仮設避難所です。知りあいが誰もいなくて、最初の数日間はとてもつらかったです。MSFの病院に来てからは、いろいろなことが良くなってきました。

今、寝泊りしているのはユニセフが運営している学校で、毎朝、出て行かなければなりません。持ち物も、新しい服もありません。一番の問題は食べ物が足りないことです。ヨベ州に戻って、お母さんに会いたい。今はただ、新しい暮らしを始めたいです。
 

ナイジェリア北東部では長期にわたって反政府武装勢力と政府軍の戦いが続いており、国連人道問題調整事務所によると、ボルノ、アダマワ、ヨベの3州で170万人もの人びとが国内避難民となっている。避難民キャンプでは十分な食料や水、住居がなく、苦しい状況が続いている。MSFはボルノ州全域とヨベ州の州都ダマトゥルで一次・二次医療を提供し、栄養治療心理ケア、感染症の流行への対応のほか、緊急小児ケアを行っている。 

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