人道危機下で見過ごされる「心のケア」 国境なき医師団が力を入れる理由とは
2021年11月12日心と体は表裏一体であり、心身のどちらかに不調をきたせば、人は健康的な生活を送ることはできない。
しかし、医療・人道援助の現場では、ほとんどの援助団体が、体は治療しても心のケアまでは行っていないのが現状だ。国境なき医師団(MSF)はこうした人たちに寄り添うため、独自に、あるいは他団体と協力して心のケアに関するプログラムを立ち上げ、運営している。
「MSFの活動地では、心のケアに対して大きなニーズがあります。しかし低・中所得国では、治療を必要とする人のうち、90%以上が適切なケアを受けられていません。こうした状況の背景にあるのは、質の高いケアを提供する場所や人材の不足です」。そう話すのは、MSFで心のケアチームリーダーを務めるマルコス・モヤノだ。
人道危機下で求められる専門的な心のケア
心のケアに関するプロジェクトは多くの場合、複数のプログラムで構成されていて、それぞれ「心のケア」や「心理・社会面の支援」などと呼んで区別しています。うつ状態に関する講座など、地域職員のような非専門のスタッフが行うプログラムと、研修を受けたカウンセラー、心理学者、精神科医などの専門家が担う治療があり、具体的にはグループカウンセリングのほか、同じような経験や悩みを抱える人同士で支え合う、ピア・サポート・セッションや個別のケアなどを必要に応じて行っています。
対応にあたって重視しているのは、患者さんの希望や、何を必要としているかを把握すること、そして現地の人びとにとって受け入れやすいものであるということです。
3つの課題
心のケアを行う上での課題は3つあります。1つ目は専門家の数が足りないこと、2つ目は生活環境の影響、そして3つ目は差別や偏見です。
生活環境は心の健康に大きく影響します。健康に暮らすには、食料、水、安全な住まいなどの基本的なニーズが満たされている必要があります。MSFは人道危機の現場へと駆けつけますが、人びとの暮らしを根本的に改善できるわけではありません。
例えばギリシャのサモス島では、MSFの心理療法士や精神科医がアフリカや中東からの避難民や移民、難民申請者を対象に専門的な心のケアを行っています。命の危険を承知でヨーロッパを目指してきた人たちは、多くの場合、戦争、誘拐、拷問などの悲惨な経験から心に傷を抱えており、ようやくたどり着いたギリシャでも、不衛生な環境下で長期にわたって勾留されるなど、強いストレスに晒されています。彼らが強いられてきた苦しみは、私たちがこれまでに見てきた中でも最悪のレベルであるにもかかわらず、こうした人びとに心理面のケアを行っている援助団体はほとんどありません。
治療を受けている人に対する差別や偏見も問題です。MSFは地域の医療スタッフ、集落のリーダー、教師など、コミュニティで影響力を持つ人を対象に、心のケアに関する講座を開いています。正しい知識を得ることは、差別の解消につながると同時に、支援が必要な人を見極めることにも役立ちます。また、治療が進んでいる様子を知ってもらうことも、有効な方法です。たとえ少しずつでも、地域の人びとに心のケアの大切さを知ってもらうため、こうした活動を続けています。
国際社会と共に
この10年間で、心のケアに対するニーズや課題に関する認識は大きく進展しました。国際社会はこの問題に対し、より積極的に取り組む姿勢を見せています。
また、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行によって、心のケアが人びとの健康に大きく関わっていることが広く認識され、この分野への投資が世界中で広がっています。特にここ1年半で注目を集めたオンライン診療に関する技術は、弱い立場にある人びとが心のケアを受けるためのツールとして、期待されています。
残念ながら、世界では今後何年にもわたって、政府や援助団体の支援が必要になるような人道危機が続くでしょう。大きな苦しみに直面する人びとに寄り添い、支えていく上で、心のケアは重要な役割を果たしているのです。