【世界難民の日】「子どもたちのために、よりよい未来を」 祖国を離れ、難民となった女性たちの体験記

2021年06月20日掲載

夫と5人の子どもと共にシリアから逃れてきたガザレさん © MSF/Hussein Amri 夫と5人の子どもと共にシリアから逃れてきたガザレさん © MSF/Hussein Amri

世界ではいま、8240万人(※)近くもの人びとが紛争や暴力、迫害などの理由で避難を余儀なくされている。家にとどまれば命の危険があり、安全を求めて旅に出る……そんな人の数は、3秒に1人のスピードで増え続けている。

国境なき医師団(MSF)は、こうした難民が置かれた状況を把握し、診療や心のケア、清潔な水の確保、必要物資の提供など、必要に応じてさまざまな援助活動を行っている。

今日6月20日は「世界難民の日」。難民の保護と援助に対する関心を世界的に高めるために制定された日だ。家族の命を守るため、危険を承知で祖国を離れ、難民となった3人の女性たちの体験と思いを伝える。
※ 6月22日更新(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)「グローバル・トレンズ・レポート 2020」より)

足の骨が砕けるほど殴られた

ガザレさんは夫と子どもたちと共にヨルダンで
暮らしている © Hussein Amri/MSFガザレさんは夫と子どもたちと共にヨルダンで
暮らしている © Hussein Amri/MSF

シリア難民のガザレさんは、夫、子どもと一緒にヨルダンの首都アンマンで暮らしている。一家は当初アンマン東部にあるアズラク難民キャンプに滞在していたが、ガザレさんが体調を崩したため、首都の宿泊施設に移された。キャンプを離れた後も、一家の生活は苦しいままだ。

5人の子どもの母であるガザレさんは、2014年に母国の内戦を逃れ、ヨルダンに向けて危険な旅に出た。しかし道中、政権側の検問所で兵士に殴られ、足の骨が完全に砕ける重傷を負った。

18日間かけてようやくヨルダンとの国境を越えたが、その間ガザレさんはひどい痛みで立っているのもやっとの状態だった。

近年経済危機に見舞われているヨルダンは、増える難民への対応に頭を悩ませており、2018年には、ヨルダン政府がシリア難民への医療費補助の中止を発表。また新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が始まって以来、教育や医療など暮らしに欠かせないサービスはほとんど利用できなくなっている。

こうした状況は、ガザレさん一家にも影響を与えている。難民の再定住の手助けとなる総合的な援助は、1年前から届かなくなり、ガザレさんと夫のムスタファさんは仕事を得る機会も失った。いま彼らは、生活費を補うために家具まで売らざるを得ない状況に置かれている。

MSFはヨルダンの現場で、新型コロナウイルス感染症対応に加え、非感染性疾患の治療、母子保健・産科医療、暴力の被害者向けの再建外科手術などを提供し、ガザレさんたちのように、弱い立場に置かれた難民が必要なケアを受けられるよう援助にあたっている。

彼らにとっていま一番の心配事は、家賃を滞納していることによる強制退去だ。夫妻はMSFのスタッフと一緒に床に座り、アラビアコーヒーを飲みながら明るい表情でその体験を話してくれる。だが、その目からは、人生を立て直すための旅はまだ終わっていないのだという、不運な現実が垣間見えている。

祖国を離れたら、もう後戻りはできません

アフガニスタンでの紛争と暴力からギリシャに逃れてきた
ソマさん夫婦 ソマさんの夫はポリオの後遺症で左足が
まひしている © Enri Canaj/MSFアフガニスタンでの紛争と暴力からギリシャに逃れてきた
ソマさん夫婦 ソマさんの夫はポリオの後遺症で左足が
まひしている © Enri Canaj/MSF

「毎日爆撃があり、暴力を目の当たりにしていました。病院を受診することもできず、ここに家族の未来はないと思ったんです」。そう語るのは、アフガニスタンでの紛争と暴力からギリシャに逃れてきたソマさんだ。

ソマさんと彼女の夫、幼い2人の子どもたちは、ギリシャのレスボス島にある過密なモリア難民キャンプで、5カ月もの間、20人の他の難民と共に輸送用コンテナに収容されていた。その後一家は、ギリシャのアテネにある宿泊施設に移され、いまもそこに住んでいる。

2016年、欧州連合(EU)とトルコは協定を結び、難民、移民、難民申請者をトルコに足止めしてギリシャに来させないようにする一連の政策を実施。その結果、何千人もの人びとがギリシャの複数の島にある難民キャンプで劣悪な環境に無期限で閉じ込められることになった。さらに2019年には、より厳格な新しい法律が施行され、難民申請者が医療にアクセスすることが一層困難になった。

2020年に入ってからは、新型コロナウイルスの流行が、人びとをより過酷な状況に追い込んだ。難民キャンプの過密状態を緩和するために、当局はソマさん一家を含む1万1000人余りを、それまでの住まいから無理やり移動させたのだ。

「ある日、私たちの部屋に知らない人がいて、『あなたたちの荷物はすべて建物の入り口に移動しました』と言われたのです」とソマさんは話す。

現在ソマさん一家は、難民を対象とした語学学習、仮住まいの提供と就職支援プログラムなどの支援を受けているが、これらは一時的な支援であり、半年後には打ち切られてしまう。しかしソマさんは、どのような状況にあろうと後ろを振り返りはしないという。「祖国を離れた私たちは、もう後戻りできません。子どもたちのために、よりよい未来を見つけようと決めたのです」

MSFは長年にわたり、ギリシャ当局に対し、キャンプの代わりに安全で人間らしく暮らせる場所を提供すること、公正な難民申請手続きを認めること、そして暴力や紛争によって体と心に傷を負った人びとに適切な医療を確保することを求めてきた。これらの要請が実現するまで、MSFは難民の健康を支える診療を提供していく。 

突然の連行 収容センターに運ばれて

アルジェリアから強制的に送還された、妊娠4カ月の
サフィさん © Mariama Diallo/MSFアルジェリアから強制的に送還された、妊娠4カ月の
サフィさん © Mariama Diallo/MSF

「憲兵がドアを打ち破って入ってきて、お金も携帯電話も全部取られました。そして警察に連れて行かれたのです」。そう話すのは、マリから移民として隣国アルジェリアに入り、香辛料を売って生計を立てていたサフィ・ケイタさん。妊娠4カ月だ。

アフリカ北部のアルジェリアでは、彼女のような移民が突如逮捕され、国に強制送還されるというケースが後を絶たない。2011年にリビアで民主化運動を受け独裁政権が崩壊して以降、多くの移民がニジェールを経由してリビアやアルジェリアを北上し、欧州へ向かっている。しかし欧州・アフリカ諸国は国境管理体制を強化し、“不法”とみなされた移民の帰還を強制的に進めているのだ。

「翌日、満員のトラックに押し込まれました。ぎゅうぎゅう詰めで、大勢一緒にいたのに、誰もマスクをしていませんでした」

送られた先は収容センターだった。到着すると、トラックから地面に飛び降りるよう命令された。妊娠中のサフィさんも従って飛び降り、お腹には痛みが走った。その後4日間、サフィさんは収容センターに留め置かれ、不衛生な環境で、パンだけが与えられた。「妊娠していても、特別扱いはありません。看守は私の体調など気にかけてもいませんでした」

そしてサフィさんは、他の移民とともにアルジェリアとニジェールの国境に連れて行かれ、無残にも砂漠に捨て去られたのだ。

MSFはニジェール北部のアガデス州で、サフィさんのようにアルジェリアから追放された移民を救助し、医療援助を提供している。2020年にMSFが行った外来診療は4万1801件に上り、患者の多くは、暴力を振るわれ、時には拷問にかけられていた。MSFは989人の移民を治療し、1914人の移民の心のケアにあたった。

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