アフガニスタンで地元のドクターとともに子どもの命を守る! 【MSF Club:国境なき医師団スタッフの体験ストーリー】
2025年04月22日
金子光延先生のプロフィール

金子光延(かねこ・みつのぶ)
職種:小児科医
活動地:アフガニスタン
活動期間:2024年9月5日~2025年3月7日(約6カ月間)
1986年に大学卒業後、日本各地の病院にて小児科を中心に勤務し、2002年に小児科クリニックを開院。そのクリニックを後任にゆずり、2023年から国境なき医師団に参加。今回はタンザニアに続き2回目の派遣(はけん)。
どんな生活? 金子先生の一日 in アフガニスタン
金子先生はアフガニスタンでどんな生活をしていたのかな?
先生の一日の流れを見てみよう!
- 7:00
- 起床(きしょう)、朝食
- 7:30
- 宿舎からヘラート地域病院まで、車で移動
- 7:45
- 病院に到着(とうちゃく)。集中治療(ちりょう)室に入った子どもの情報など、夜のシフトを引きつぐ
- 8:15
- 医師、看護師とともに重症患者(じゅうしょうかんじゃ)の回診(かいしん:入院している患者のベッドをたずねて、診察【しんさつ】すること)。ベッドサイドで患者の家族と治療の計画を話し合う
- 11:00
- 診療(しんりょう)開始。他の医師からの相談にも対応
- 13:00
- いったん宿舎に戻り、チーム全体で昼食
- 14:00
- 再び病院に戻って診療。軽症(けいしょう)だが時間がかかるケースへの対応など
- 16:45
- 診療終了。車で病院を出発
- 17:15
- 宿舎に到着
- 19:00
- さまざまな国のメンバーとともに夕食。毎回食事はおいしく、特に印象に残っているのは、ぎょうざに似たマントゥと羊の肉を炊き込んだピラフなど
- 22:00
- 就寝(しゅうしん)

アフガニスタンでの体験ストーリー
アフガニスタンでは、紛争(ふんそう)や度重なる干ばつ、地震(じしん)の発生などで、人びとは長い間、大変な生活を強いられてきたんだ。特に医療(いりょう)システムが整っていなくて、多くの人びとが必要な医療を受けられない状況(じょうきょう)が続いているよ。そんな中、金子先生はどんな活動をしたのかな?
なぜ夏に栄養失調が多くなる?
2024年9月から約6カ月間、アフガニスタンのヘラートにあるヘラート地域病院で活動しました。ヘラートはアフガニスタンで三番目に大きな街で、人口も多く、経済も発展しています。ヘラート地域病院は、このヘラートと周辺で一番レベルの高い医療を提供している病院です。
私はここの入院栄養治療センター(ITFC:栄養失調の子どもが入院してケアを受ける場所)と小児集中治療室(PICU:命の危険がある子どもを、24時間体制で治療する場所)で、国境なき医師団(MSF)の小児科医として日々、赤ちゃんや子どもたち、そして、その家族と向き合いました。
私はここの入院栄養治療センター(ITFC:栄養失調の子どもが入院してケアを受ける場所)と小児集中治療室(PICU:命の危険がある子どもを、24時間体制で治療する場所)で、国境なき医師団(MSF)の小児科医として日々、赤ちゃんや子どもたち、そして、その家族と向き合いました。

栄養失調とは文字通り、必要な栄養が足りない状態のこと。そのせいで、十分に育つことができない、病気にかかりやすく回復も難しい、という状況になってしまいます。ヘラートでは夏の時期に、この栄養失調の患者さんが急増します。
なぜ、夏に栄養失調の患者さんが多くなると思いますか? 実はヘラートの周辺には山が連なる山岳(さんがく)地帯があり、冬は雪に覆(おお)われてしまって、そこで暮らす人びとはヘラートの街まで下りてくることができません。だから、雪が溶ける暖かい季節に、患者さんが押し寄せることになるのです。
患者さんは毎日1000人、入院は100人以上!
患者さんの数は、平均で一日なんと1000人。そこから約300人は入院が必要で、その中でも症状(しょうじょう)が軽い患者さんは地元の診療所(しんりょうじょ)へ送ります。そして、症状の重い患者さん──毎日、100人以上──が私のいる集中治療室にやって来ます。
これだけ多くの患者さんを、私ともう一人の国外から来たMSFスタッフと、アフガニスタン人のMSFのドクター(以下、地元のドクター)50人で対応します。どの患者さんも生きるか死ぬか、危険な状態なので、現場は大変です。一人の患者さんにかかりっきりになっていたら、他の患者さんが手遅れになってしまいます。
ですので、治療のガイドラインに従って、どんどん進めていくのですが、それじゃ間に合わないとか、別の治療を組み合わせなければならないとか、こっちの患者さんが先だとか、複雑なアレンジが必要になってきて、それが私たちMSFスタッフの手に委ねられているのです。
ですので、治療のガイドラインに従って、どんどん進めていくのですが、それじゃ間に合わないとか、別の治療を組み合わせなければならないとか、こっちの患者さんが先だとか、複雑なアレンジが必要になってきて、それが私たちMSFスタッフの手に委ねられているのです。

地元のドクターと上手にやっていくために、金子先生はある戦略を考えたんだって。
どんなことだったのかな?
ドクターの信頼を勝ち得た“秘策”とは?
地元のドクターに指示を出す立場ではあるのですが、それは、彼らからの信頼(しんらい)なしには成り立ちません。彼らにとっては、国外から来るMSFスタッフが医師としてどれほどの実力があるかはわからないし、一日何百人も入院してくる厳しい現場を経験している先進国の医師なんて普通はいませんから、大変な状況でテキパキ対応する能力は彼らの方が断然、上なのです。
でも、ドクターはみんな若く完ぺきではないし、これだけの患者さんに対応していたら、当然、行き届かない部分も出てきます。間違いや不足は補いつつ、彼らを前に進ませる。それも、「ノブが言ったことだから、やらないとな」と思わせないといけない。それが信頼ですよね。
でも、ドクターはみんな若く完ぺきではないし、これだけの患者さんに対応していたら、当然、行き届かない部分も出てきます。間違いや不足は補いつつ、彼らを前に進ませる。それも、「ノブが言ったことだから、やらないとな」と思わせないといけない。それが信頼ですよね。

では、どうやってその信頼を得たのかというと、まず彼らを「受け入れる」ということ。「そのやり方はちょっと違うな」と思うことも、まずは受け入れて、じゃませず見守る。その後、彼らの足りていない部分があったら、あえて何も言わずに、こっそりやっておくんです。そして、少しずつ、彼らより先に動いたり、困っているときにアドバイスをしたりする。
これを続けていると、「ノブは良く見てくれているね。おかげで仕事がスムーズになったよ」と感謝されるようになります。ここまでに3カ月をかけました。ゆっくりと時間をかけて築いた彼らとの信頼関係は、帰るころには「もっと一緒に働いてほしい!」と言ってもらえるまでに、確かなものとなりました。
これを続けていると、「ノブは良く見てくれているね。おかげで仕事がスムーズになったよ」と感謝されるようになります。ここまでに3カ月をかけました。ゆっくりと時間をかけて築いた彼らとの信頼関係は、帰るころには「もっと一緒に働いてほしい!」と言ってもらえるまでに、確かなものとなりました。
写真のジアさんとラフィさんはとても勉強熱心で、時間があると「ノブ、教えてよ」と頼まれて、心臓病の検査の指導をしました。彼らと一緒に仕事をしたことで、子どもの心臓病に関して病院全体のレベルを上げることができました。
地元のドクターとともに、日々たくさんの患者さんと向き合った金子先生。中でも印象的だった患者さんについて聞いてみたよ。
再入院した赤ちゃんとお母さんの苦悩
ある日、6カ月くらいの赤ちゃんが、「ハーハー」と苦しい息をする状態で入院してきました。診察すると心臓病を患(わずら)っていて、肺炎(はいえん)にもかかっていました。
先に肺炎を治してから、心臓の治療を始める計画でしたが、肺炎がある程度良くなったところで、お母さんが「ハーハーが全く治らない」と言って、赤ちゃんを連れて家に帰ってしまったのです。でも、結局すぐ戻ってきて、再入院することに。ただ、お母さんは「どうせ治らないなら、帰りたい」と言って、泣いているんです。
赤ちゃんを治療するには、お母さんを説得しなければなりません。私は「この子は時間はかかるけれど、薬や注射で治せます。治るチャンスを、この子に与えてください。治療が終われば、お家に帰れますから」と根気強く話しました。すると、何とか信じてくれて、治療をスタートすることができました。

ゆっくりですが確実に良くなっていく──その様子を毎日、病棟(びょうとう)に見に行っていたら、お母さんも温かく迎(むか)えてくれるようになりました。「先生、見て! この子、こんなに元気なの」と。みんな笑顔で退院できたときは、私もうれしかったですね。
日本でもそうですが、患者さんやその家族に、治療についてわかりやすく伝えるのはとても大事です。特にアフガニスタンでは、貧しい大家族というケースが多く、ひとりの子どものために家族全体を不幸にしたくない、と考える人もいます。つまり、病気が治るか治らないか、いつ治るか、家に帰れるか、そういったことをとても気にしています。
こういった先々についての説明は、若いドクターには中々できないことなので、まさに私の役割だと思っていました。先ほどのお母さんにも、退院するときに「まだ少しハーハーしているけれど、ミルクが飲めていれば大丈夫。もう少し大きくなれば、手術できちんと治せますよ」と伝えて、安心して帰宅してもらいました。
とは言え、うまくいくケースばかりではありません。脳性麻痺(のうせいまひ:生まれる前や生まれた時に、脳に異常が起こり、体が自由に動かなくなること)などでミルクが飲めない赤ちゃんは、体の中にチューブを入れてミルクを投入しますが、今後口から飲めるようになるかはわからないし、チューブが入っている限り、退院はできません。それを伝えると「帰る」と言うお母さんもいて、それに対して私たちは止めようもないのです。それはやっぱり、つらかったですね。
6カ月の活動をかけぬけた金子先生。
活動後に感じた思いを語ってくれたよ。
平和を守ることが、医療を守ること
私たちは今、日本中どこに行っても同じ価格で、高いレベルの医療が受けられます。それは教育をふくめ、経済や福祉(ふくし)、すべてに関して日本の先人たちが一つ一つ積み上げてきたものの上に、成り立っていると思います。
アフガニスタンでは、お話した栄養失調や肺炎のほかに、はしかや結核(けっかく)などの感染症(かんせんしょう)のまん延や、先天性疾患(せんてんせいしっかん:生まれた時からの病気)をかかえている人も多くいます。そういった本当に医療が必要な人びとが、十分に治療が受けられない、お金がなければ治療できない(※)、住む場所によって医療に差がある、治療して治っても生活に困る、というような状況に置かれています。


日本も昔はそうで、長い年月をかけて今の医療システムを作ってきました。当たり前のことと思うかもしれませんが、医療システムは戦争や内戦が起きれば、一瞬(いっしゅん)にして消えてしまうものです。だからこそ、平和を守る、その意思を持ち続けてほしいと思います。その上で、もし余裕(よゆう)があれば、医療が足りない地域にぜひ、目を向けてみてください。
※アフガニスタンにはヘラート地域病院のような公立病院は少ない一方で、私立の病院はたくさんあります。しかし、日本と違って私立病院は治療費が高額で、お金のある人しかかかることができません。また、医療の質についても問題があると指摘(してき)されています。
最後に、MSFをはじめ、人道援助(えんじょ)活動に参加したい、国際協力をしたいと思っている皆さんへ、金子先生からメッセージをもらったよ!
たくさんの出会いが待っている!
もしあなたが、世界に対して何かしたい、何かできそう、と思っているなら、深く考えすぎずに、とにかくトライしてみましょうと伝えたいです。日本にいるよりも、世界でやれることはもっといっぱいあるし、たくさんの人との出会いが待っています。

MSFで私はフランス人、アメリカ人、中国人、ロシア人、アラブ人などなど、山ほどの人に出会いました。この出会いこそ、私の幸せです!
それから、日本で生きづらさを感じている方にも、海外へ出ることをおすすめします。自分の立ち位置が分からない、居場所がない、シニアでは定年後は自分の存在価値がない、と思う方が多くいると聞きます。もしそんな風に思っているなら、ぜひ世界に目を向けてほしいです。日本でうまくいかない自分が、世界で通用するのかなって思うかもしれないけれど、それは逆です。世界の人口は80億、あなたを受け入れてくれる人は必ずいます!
帰国直前に、フランス人の小児科医バレリーさんとともに、さよならパーティを開いてもらいました。診療については私、全体のマネージメントについては彼女が主に担当しました。苦しいこと、悲しいこと、つらいことなど、すべてを分かち合った同志です。

赤ちゃんや子どもの病気やけがを治す小児科医。皆さんにとっては、一番身近なお医者さんだね。その小児科医として、アフガニスタンで活動した金子光延(かねこ・みつのぶ)先生の体験ストーリーを紹介するよ!