「一晩で人生が変わった」 夫を洪水で亡くし被災した看護師 心に生まれた決意

2019年05月20日

サイクロン「イダイ」で自宅を破壊された被災者の女性 © Giuseppe La Rosa/MSFサイクロン「イダイ」で自宅を破壊された被災者の女性 © Giuseppe La Rosa/MSF

2019年3月から4月にかけて2つの大きなサイクロンに見舞われた、アフリカ南部の国モザンビーク。3月に上陸したサイクロン「イダイ」で夫を失った国境なき医師団(MSF)の現地看護師は今、直撃を受けた港湾都市ベイラを始め、被災した町で援助活動に参加している。夫と最後に交わした言葉。破壊されてしまった自宅。残された3人の子どもたち…。打ちひしがれた彼女を突き動かしたのは、自分と同じような悲しみを味わっている人びとの存在だ。その夜、何があったのか語ってくれた。 

私は小さな町で生まれ、看護師の勉強をするため引っ越しました。夫とは、サッカーの試合で出会いました。まさにこの運動場で。今はヘリポートとして移動診療の運営に使われています。彼は教職課程の学生でした。看護学と教育学の学生同士で組まれた試合で出会って、恋に落ちたんです。

私たちは2015年に卒業し、間もなく結婚しました。それから彼の家に引っ越して、義理の両親に近い場所で家庭を持ったんです。息子が生まれ、今は2歳になります。私には最初の結婚で生んだ2人の娘がいて、夫は娘たちの子育ても手伝ってくれていました。

夫はブジ地区で小学校の教職に就き、単身赴任を始めました。毎月会いに来てくれて、子どもたちに教える仕事の喜びにあふれていました。子どもたちの手助けができるからと。私は家庭のことを引き受け、あちこちで仕事もして、ささやかな暮らしを営んでいました。幸せでした。

それが 3月14日、何もかも変わってしまったんです。 

サイクロン「イダイ」で壊滅的な打撃を受けたブジ地区 © Pablo Garrigos/MSFサイクロン「イダイ」で壊滅的な打撃を受けたブジ地区 © Pablo Garrigos/MSF

ラジオでサイクロンのニュースを聞いていたので、暴風雨が来るのはわかっていました。でもあんなにすさまじいなんて…準備なんてできませんでした。夫はサイクロンの直撃寸前に電話してきて、安全にしているように私たちに言ったんです。すごく心配していましたが、みんなでなんとかするから大丈夫と伝えました。夫は、自分もそうする、愛している、と答えました。それが彼と話した最後の会話です。

夜10時に雨が降り出しました。どれほど激しい雨だったか…言葉では言い表せません。これまでの私の人生、両親や祖父母の代にさかのぼっても、あのような豪雨は誰も見たことがありませんでした。水は私たちの家の中まで上がってきて、家具が漂いました。子どもを台所の食卓に上げて濡れないようにして、本当に怖くて、祈りました。夫のことを想いました。

夫がどうなったかは、彼の同僚と友人に聞きました。あの夜、一緒にいた人たちです。学校の中にも水が入り、水位が上がりつづけて首まで浸かったため、泳いで屋根へ上がったそうです。それから間もなく、屋根にも水がきて、流れも強く、人びとは近くの木まで泳いでよじ登り、祈ったそうです。その木が、ものすごい風雨に持ちこたえてくれるように……。でも夫が登った木、他の大勢の人が登った木も、ダメでした。木は水中に倒れて、彼は押し流されていったそうです。木につかまって何時間も経っていたから、泳ぐ力は残っていませんでした。その学校では、多くの子どもたちが同じようにして亡くなりました。子どもたちは腕の力が弱くて、強い水流に逆らって泳ぐことはできなかったからです。 

ブジ地区の医療施設も洪水で完全に壊されてしまった © Pablo Garrigos/MSFブジ地区の医療施設も洪水で完全に壊されてしまった © Pablo Garrigos/MSF

 翌日、たくさんのご遺体がベイラの岸に打ち上げられました。夫は2日間音信不通で、兄弟が浜に出て探しました。まる1日、暑い日差しの中で探しましたが、見つかりませんでした。見つかった人は幸いです。ご家族が最後の別れを告げられるのですから。私はそうした機会に恵まれませんでした。

被災してから2日間は、横になったきりでした。動けなかったし、何も手につかなかった……。家は壊れ、夫はいなくなり、一晩で人生が全く変わってしまったのです。ある朝、はっとしました─—。私は無職でたった一人、でも3人の子どもがいると。人生と戦わなければならないのだと。

困難を乗り越えていく力は、私が看護師であることから来ています。看護師は強くなくてはいけませんから。悲しみと痛みを毎日見ていますし、世界の中で果たしていくべき役割は、助け、治療すること。苦しんでいる人を励ますのが仕事なのに、泣いてなんかいられません。悲劇に見舞われたのは私と私の家だけじゃない。辺りには、被災して本当に多くのものを失った人ばかりです。起きたことは決して忘れないでしょう。でも私は前向きに生きていきます。自分のためだけでなく、他人のためにも。

移動診療で被災者の母子と話すMSFの看護師 © Giuseppe La Rosa/MSF移動診療で被災者の母子と話すMSFの看護師 © Giuseppe La Rosa/MSF

MSFの仕事でいくつもの被災地に行くと、私よりもはるかに多くのものを失った人に出会います。自分と同じモザンビークの人びとが、どんな被害を受けたかよく分かるんです。みなさんの国でも、ヘリからの被災地の光景、なぎ倒された木々の様子をテレビで見ているでしょう。でも、そこには映らないものがたくさんあります。水の下、折れた木枝の下には、被災した私たちがいます。それぞれの物語、それぞれの悲しみ、そして生きる決意があるのです。

息子にはまだ、父親が亡くなったことを話していません。伝えようとしても、気力が出ないんです。あんな小さい子にどうやって伝えたらいいでしょう。お父さんに電話してと言われたら、夫の兄弟に電話して、父親のふりをしてもらっています。子どもたちには、勉強して学業を終えてほしい。私は家を直し、うまくいけば、食品を売る小さなお店を建て増しできないかと、時々、夢に描いています。夫にも喜んでほしい。自分がこの世を去った後、私たちはよく頑張っているって。 

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