「医療者が逮捕され、殺されている」現地に派遣された日本人医師 ミャンマー政変1年【後編】
2022年02月04日
「ビデオ通話でも大丈夫ですよ」
現地でのネット接続が不安定になっているため「音声のみ」と聞いていたが、さわやかな笑顔でオンライン上に現れた森岡慎也。国境なき医師団(MSF)の救急医として昨年8月末からミャンマーで活動中だ。「フライング・ドクター」である森岡は、ニーズに応じて場所を移動し、現地の医師や看護師への技術指導や医療の質の向上を担っている。
激動のミャンマーでひっ迫する医療現場の状況を伝えるシリーズ(前編はこちら)。後編は、医療危機の実態や現地の様子を森岡に聞いた。
コロナ感染がピークに 最大の危機
森岡が最初に向かったのは北部のカチン州。ちょうど、同国で新型コロナウイルス感染が最大のピークに達していた時期だった。ミャンマーでは、政変を起こした国軍に抗議するため、公的病院で働く医療関係者のほとんどが職務を離れている。もともとぜい弱だった医療体制は崩壊状態にある。
感染が猛威を振るう中、MSFはカチン州都ミッチーナに新型コロナ治療センターを開設。患者はすぐに押し寄せた。だが、重症患者の紹介が必要になっても、搬送先で万全の治療を期待できない。かつては50人ほど医師がいた病院も、いまでは抗議活動で2人しか残っていないからだ。

息子とその家族と © MSF
ただ森岡らスタッフの尽力は患者の家族に伝わったようで、母親と祖母を新型コロナで失った30代男性は、感謝のしるしに自宅での食事に招待してくれた。「父親は幸い無事退院しました。ミャンマー人には親日家が多いので招かれたのかもしれません。この家族との出会いは心に残っています」
一方、政変後の街は治安が悪化していった。路上強盗などの犯罪が増えたばかりでなく、少数民族武装勢力や民主派の武装組織と国軍との戦闘が激しくなっているからだ。「爆撃機が診療所の真上を通過することもある。爆弾が積まれた実戦機だと思うと怖いですね」
物資調達で数々の壁に直面
中国と国境を接するカチン州は、少数民族が住む辺境の地。インフラが発達しておらず、慢性的にものが届きにくい。新型コロナ治療で最も必要となる酸素も不足していた。電源も安定しないため、MSFスタッフは巨大な発電機と酸素を濃縮する装置を購入し、自前の供給を可能にした。
だが医薬品の供給は、物流が途絶えてしまうとどうしようもない。政変後、通関手続きの制約が増し、物資の輸入で多大な困難が続いている。「抗議運動で医師が足りていない国家エイズ対策プログラムから、MSF診療所に患者が一気にやってきたのです。でも薬が全く入ってこないため、担当医は苦労しながら分配を工夫しています」
HIV/エイズを患う人が多いミャンマー国内でも、カチン州のパカンは特に感染率が高い。世界有数の翡翠(ひすい)産地であるパカンでは、過酷な環境で働く鉱山労働者が、毎年のように起こる洪水や地滑りの犠牲にもなっている。貧しい労働者たちの間でHIV感染が広がる原因は、注射器を用いた麻薬使用にある。MSFはここで20年以上、HIVや結核の診療を提供してきた。

ロヒンギャの人たちのさらなる苦難
ラカイン州では、MSFはロヒンギャの人びとやアラカン人が身を寄せる避難民キャンプで移動診療を行っている。森岡がロヒンギャの同僚から聞いたのは、政変後さらに厳しくなった移動制限だ。ミャンマーで国民と認められず身分証明書を与えられていないロヒンギャの人たちは、町のあちこちに設置された検問所を自由に通過することができない。
「コントロールが厳しくなったせいで、ロヒンギャの人びとは近くの病院で受診するのも大変なんです。身分証明書の代わりを作るのにも、検問を通るのにもお金がかかり、医療へのアクセスでも不平等が起きている」。その結果、病院への紹介が遅れ、亡くなった患者もいたという。
一緒に歌った日本の歌も
ミャンマーは歴史的に日本と深い関わりがある。日本のアニメやテレビ番組が放送され、街中で走る車の多くは日本車。「ミャンマー人は日本をアジアの繁栄の象徴として見ていて、『あなたは日本に生まれて幸せだね』と言われた」と森岡。歌好きが多いミャンマー人と長渕剛の『乾杯』を共に熱唱したこともある。
「君に幸せあれ、と。平和とか安全を願い、家族や友人の健康や幸せを願う気持ちは一緒。ただ同じアジアの片隅で、民族や信条を理由に差別を受け自由を奪われる人たちがいる。抗議運動から民兵組織に入って撃ち殺された医師もいる。空爆で故郷を破壊されて、怯えながらジャングルで身を潜めている人も、この国にはいます」
ミャンマーは森岡にとってMSFに参加して初の派遣地。その辛い現実を知って、同じアジアの一員としてできることを続けたいと語る森岡。日本の人たちにも「ぜひミャンマーのことを知ってほしい」という言葉で結んだ。
