レバノン:イスラエル軍の攻撃激化から1年——いまも続く恐怖と医療の空白
2025年09月26日
昨年11月の停戦合意後も、イスラエル軍による攻撃は続いており、いまや日常の一部のようになった。人びとは生活を立て直せず、医療を受けることもままならない。さらにイスラエル軍は国境沿いにあるレバノン南部の一部地域を占領し続けており、自宅に戻れない8万2000人以上が避難民として取り残されている。
国境なき医師団(MSF)は攻撃の激化に伴って緊急援助を始め、活動を南部に広げた。移動診療の運用、基礎診療所の再建などを通じ、人びとに医療や心のケアを届けている。
失った暮らし、続く恐怖
「家を修理するために戻ってきました」
レバノン南部ナバティエ県。県内で最も被害が大きかった地域の一つ、ビント・ジュベイル地区に戻ってきたアブドルカリームさんはこう話す。

現在、アブドルカリームさんはMSFの移動診療で慢性疾患の薬を受け取っている。レバノンでは数千世帯が大切な人やものを失い、避難し、不安にさいなまれながらも生活を立て直そうとしている。だが、医療すら思うように受けられないのが現状だ。
アブドルカリームさんは言う。
安全も、薬のような基本的なものを買う余裕さえないのに、どうやって生活をやり直せるというんですか。
MSF移動診療の利用者 アブドルカリームさん
ハムゼさんは戦闘が激化した際、周辺で爆撃が始まったためすぐに家を出た。子どもと孫だけを連れて命からがら逃れたが、空爆はその後の道中でも続いたという。
ハムゼさんは「あの日、半日近くを路上で過ごしました。娘には子どももいますが、私たち全員が恐怖に震えています。家族みんなが心に深い傷を負っているのです」と嘆く。

壊滅的な医療インフラ
戦闘が激化した時期には、南部を中心に病院8カ所で避難を余儀なくされた。さらに全国の約13%にあたる病院21カ所が損壊し、機能を大幅に縮小するか、閉鎖する事態に追い込まれた。
また、基礎診療所133カ所が閉鎖され、ナバティエ県だけで病院収容能力の40%を失った。現在も多くの施設が閉鎖されたままで、再建を必要としている。

この攻撃は、レバノン人だけでなく、レバノンに暮らす難民・移民にも壊滅的な打撃を与えた。
レバノンには100万人を超えるシリア難民、数十万人のパレスチナ難民、そしてすでに不安定な状況で暮らしていた多くの移民がいる。戦闘が激しくなったとき、彼らも食糧や住まい、医療を必要としていたのに、多くの援助から取り残されてきた。攻撃から1年がたったいまも、難民・移民の声は置き去りにされたままだ。

人道援助団体を通じて受けられていた2次医療も、いまや途絶えかねない状況にある。
移動診療の展開、基礎診療所の再建
攻撃の激化に伴い、MSFは最も被害の大きかったナバティエ県、南レバノン県、バールベック・ヘルメル県で新たに援助を始めた。同時に、ベイルート市、ベッカー県、北レバノン県でもこれまで通り活動を続けている。

特に南部では、戻ってきた人びとの多くが経済的な理由から既存の医療サービスを受けられていない。そのためMSFは移動診療を始め、地域に不可欠な医療や心のケアが確実に届くようにしている。さらに基礎診療所3カ所の再建と支援を進め、途絶えていた医療の再開に取り組んでいる。
MSFは活動する中で、戦闘激化がもたらした犠牲と、終わりの見えない攻撃の爪痕をいまも目の当たりにしている。多くの患者は恐怖と不安の中に取り残され、回復に向けて歩み出すことすらできない。精神的な負担も深刻で、子どもも大人も絶え間ないストレスや不安にさらされている。

攻撃の爪痕、人の心にも
しかし、本当の意味で再出発できるのは、人びとが恐怖から解き放たれ、医療や心のケア、生活に欠かせない体制が整ってからだ。
ナバティエ県の移動診療で活動するMSFの心理士、サルワト・サラエブは 「戦争は、直接被害を受けた地域に計り知れない代償をもたらします」と強調する。
ここでは、人びとが破壊の記憶を思い出さない日はありません。ドローンの音、土地の占領、絶え間ない空爆……その全てが、苦しみをさらに深めているのです。
現地のMSF心理士 サルワト・サラエブ
