ギリシャ:難民認定後も続く苦難──夢見た尊厳のある暮らしとその先に待っていた現実
2020年12月11日
暴力や紛争といった過酷な苦難から逃れ、第三国での保護を求めるために、中東やアフリカから大勢の人びとがトルコを経由してヨーロッパを目指す。彼らの多くはエーゲ海を挟んでトルコと向かい合うギリシャへ向かうために危険を承知で海を渡るが、たとえギリシャにたどり着き難民に認定されたとしても、その先には言葉の壁や雇用問題などさまざまな困難が立ちはだかる。
2020年2月、欧州連合(EU)はギリシャ政府に対し、難民申請者や難民を対象に本土の宿泊施設を増やすための資金を支給した。しかしギリシャ側はその責任を果たす代わりに、サポート付き宿泊施設に滞在している1万1000人以上の認定難民を退去させるという法律の改訂案を可決。これにより、難民認定を受けた人は認定を受けてから30日以内にギリシャ政府が用意した宿泊施設から退去しなければならないこととなり、多くの人が路上生活を余儀なくされた。
今年6月以降、国境なき医師団(MSF)はそのような難民のうち、医療を必要とする人びとのケアを行っている。
ギリシャのサモス島にあるバティ難民キャンプで妻と二人の子どもと暮らすオサマさんも、MSFが支援した難民の一人だ。紛争を逃れてシリアからギリシャへと渡り、一度は難民認定を受けて新しい生活を始めたはずの彼らだが、今は食料や医療などの援助もなく、再び劣悪な環境の難民キャンプで暮らしている。その苦悩に満ちた経緯と体験を、オサマさんが語った。
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安全を求めて各地を転々と
シリアで戦争が始まったとき、私たち家族は首都ダマスカス郊外の難民キャンプで暮らしていました。2012年から爆撃が始まり、2014年に政府軍に完全に包囲されると、食べ物もまったく手に入らなくなり、人間らしい生活は送れなくなりました。
難民認定を受け、息子の病気の治療を開始 しかし──
4カ月後、私たちはギリシャ北部のグレベナという町のホテルへと移され、そこでようやく息子のサラセミア治療を始めることができました。その後間もなく娘が生まれ、今年7月には難民認定を受け、やっと少し安定した生活を送れると希望を抱いたのですが、突然状況が一変しました。ギリシャの法律の改訂により、難民認定を受けた人は30日以内に宿泊施設から退去するよう通告されたのです。私たちには行くあてもなく、気が付いたときには無一物で路上にいました。お金も食べ物も、何も持っていないのに。

願うのは、未来を築く機会
6月から11月下旬までの間にギリシャ国内で立ち退きに直面したMSFの患者は少なくとも85人いるとされ、その中には慢性疾患を持つ人や高齢者、妊婦、子どもも含まれている。
ギリシャでMSFの医療コーディネーターを務めるマリン・ベルテは言う。「このコロナ禍のさなかに人びとを路上に放り出すことは、非人道的であるだけでなく、責任を放棄しているにほかなりません」
オサマさんは、最後にこう語った。「私が望むのは、尊厳を持って生きること、ただそれだけです。子どもたちには健康になって学校に通い、よりよい人生を送ってほしい。私も言葉を習い、働いて家族を養いたい。でも自分たちの努力だけで、この状況を変えることはできません。家族のために未来を築く機会が欲しいと切に願っています」

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