コンゴ民主共和国:食い止められたエボラ拡大──派遣の日本人スタッフが語る感染対策の“鍵”

2025年11月28日
コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)で発生したエボラウイルス病(エボラ出血熱)について語る国境なき医師団(MSF)の村元菜穂=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF
コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)で発生したエボラウイルス病(エボラ出血熱)について語る国境なき医師団(MSF)の村元菜穂=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF

エボラウイルス病(エボラ出血熱)の発生が9月に宣言されていたコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)の中央南部で、感染疑いの患者の受け入れ件数が大幅に減り、状況に落ち着きを見せている。
 
緊急対応を続けていた国境なき医師団(MSF)は10月下旬、現地に新設したエボラ治療センターの運営を地元保健省へ引き継いだ。このまま新規の感染者が出なければ、11月末には「終息宣言」が出される見通しだ。
 
感染の封じ込めに成功した今回のエボラ対応。日本からはMSFのロジスティシャン、村元菜穂が現地に派遣されていた。

村元が目にしたという、「信頼と協働の現場」とは。

村元菜穂(むらもと・なお)

愛知県出身。2014年、ブリュッセル自由大学社会学部卒業。2016年から2年間、在ガボン日本大使館に勤務。2019年から国境なき医師団にロジスティシャンとして参加し、ナイジェリア、チャド、アフガニスタンなどで活動してきた。2024年~2025年にかけてパレスチナ・ガザ地区にも2回派遣されている。

致死率の高い感染症──エボラという病気

──エボラとはどんな病気ですか。

すでに症状が出ている患者さんの体液や、体液が付いた表面に触れることなどで感染します。空気感染はしませんが、飛沫感染はするため患者さんと距離を取る必要があります。

致死率が高く、いかに感染を防ぐかが重要です。

コンゴのブラぺ保健区域でMSFの現地スタッフらと新しいエボラ治療センターを建設した村元(中央)=2025年9月28日 Ⓒ MSF
コンゴのブラぺ保健区域でMSFの現地スタッフらと新しいエボラ治療センターを建設した村元(中央)=2025年9月28日 Ⓒ MSF


とても難しいのは、症状だけですぐにエボラかどうか分からないところです。最大21日間の潜伏期間を経て発症するとされていますが、初期に表れる症状は発熱やのどの痛み。現地で多いマラリアなどと見分けるのが困難です。
 
今回は、病院に一度入った場合、2回の検査で陰性にならないと出られなかったため、最低でも数日は入院する必要がありました。

──エボラはどのような地域で発生していますか。

エボラが流行しやすい地域性はあり、近年はコンゴと東隣のウガンダで発生することが多いです。

ウイルスを媒介するのはコウモリやネズミといった野生動物とされています。

基礎医療に乏しい農村地域──ブラぺ保健区域

──今回、エボラが発生したブラぺ保健区域はどんな場所でしたか。

コンゴの中央南部にある農村地域です。首都キンシャサからは東に1100キロ離れていて、森をかき分けながら車で3日間かけてたどり着きました。

エボラが発生したブラぺ保健区域に向かうため、森をかき分けながら進むMSFのスタッフら=コンゴで2025年10月12日 Ⓒ MSF
エボラが発生したブラぺ保健区域に向かうため、森をかき分けながら進むMSFのスタッフら=コンゴで2025年10月12日 Ⓒ MSF


住民たちは豆やトウモロコシ、アズキ、キャッサバ(タピオカの材料にもなる主食用のイモ)を育てて暮らしています。
 
農作物を収穫した後は、大きな袋に詰めて運びます。ときには150キログラムにもなる重たい袋を、ペダルの欠けた自転車に載せて押して歩いていました。

道のない森の中を進み、2週間ほどかけて他の村などへ売りに行くそうです。

農作物入りの大きな袋を自転車に載せ、他の村などへ売りに行くブラぺ保健区域の住民ら=2025年10月27日 Ⓒ MSF
農作物入りの大きな袋を自転車に載せ、他の村などへ売りに行くブラぺ保健区域の住民ら=2025年10月27日 Ⓒ MSF
──現地の医療体制はどうでしたか。

ブラぺ保健区域に限らず、基礎医療が充実していない地域がコンゴ全体であまりにも多い印象です。
 
この保健区域にある基礎診療所を最初に見たときは驚きました。建物全体がボロボロで、屋根と壁に穴が開いたままでした。分娩(ぶんべん)室の木製ベッドにはマットレスがなく、妊婦さんがそのまま硬い表面に寝るしかありませんでした。
 
基本的な医療すら受けられない現状は大きな課題だと思います。

──どの程度の地域にまでエボラ感染が広がっていましたか?

感染はブラぺ保健区域のみにとどめることができました。

「ブラぺ」はその区域で1番大きい街の名前でもあり、ブラぺと周りに点在する村との両方でエボラが発生していました。

周辺の村と言っても距離は遠いため、MSFのスタッフや地元保健省の職員が1時間ほどかけて迎えに行き、ブラぺの街に建てた治療センターまで搬送していました。

ブラぺ保健区域で建設途中だった新しいエボラ治療センター(当時)=2025年9月25日 Ⓒ MSF
ブラぺ保健区域で建設途中だった新しいエボラ治療センター(当時)=2025年9月25日 Ⓒ MSF


現地は救急車もない地域です。普通の車の助手席に酸素ボンベを置いて、そこから患者さんに酸素を吸入するなど、救急車に似せたものをつくって運用することもありました。

治療センターの建設指揮──現地での活動

──現地ではどのような役割で活動しましたか。

私がブラぺに着いたのは9月下旬で、新しいエボラ治療センターの建設を任されました。
 
地元の健康な人たちを計100人ほど雇って、患者さんが入院するテント14基を作りました。また、私たちスタッフが使う事務所や休憩室なども木とプラスチックのシートで組み立てました。

MSFのスタッフと協力してエボラの治療センターを建設する地元住民ら=2025年10月15日 Ⓒ MSF
MSFのスタッフと協力してエボラの治療センターを建設する地元住民ら=2025年10月15日 Ⓒ MSF


完成した治療センターのベッド数は計32床。症例が確定した患者さんと、まだ感染が疑われる段階の患者さんを分けて入院してもらう形でした。10月9日に開設することができました。

──患者さんはどのような様子でしたか。

その開設日に、早くも2人の患者さんが搬送されて来ました。

2人とも重症で、1人はずっと意識不明でした。もう1人も苦しさからか急に暴れてしまい、点滴のポールを予備のため2本に増やす必要があるほどでした。

完成した新しいエボラ治療センターの病室=2025年10月9日 Ⓒ MSF
完成した新しいエボラ治療センターの病室=2025年10月9日 Ⓒ MSF


治療を尽くしましたが、1人の方は搬送の翌日に、もう1人も2日後に死亡しました。とても悲しかったのは、1人は家族の中の8人目の犠牲者で、一家がほぼ全員亡くなられたことです。
 
それほど感染力が強く、怖いウイルスだということを痛感しました。

新しい治療センターの集中治療室で、エボラに感染した患者を診察するMSFスタッフ(奥)ら=ブラぺ保健区域で2025年10月9日 Ⓒ MSF
新しい治療センターの集中治療室で、エボラに感染した患者を診察するMSFスタッフ(奥)ら=ブラぺ保健区域で2025年10月9日 Ⓒ MSF
──今回の活動で特徴的だった点を教えてください。

ウイルスとの接触を避けるため、感染対策がとりわけ厳格だったところです。
 
例えば、ウイルスから身を守る防護具の着用について、公衆衛生の専門家から厳しく指導されました。防護具に少しでも隙間や穴が開いていたら、そこから感染するリスクが高まってしまいます。

特に、患者さんの吐しゃ物や汚物をきれいにする担当のスタッフは、細心の注意を払わないといけません。

患者のいる区域(レッドゾーン)から外(グリーンゾーン)に戻る際には、防護具を脱ぐたびに消毒液を全身に浴びせ、慎重に洗浄する必要があった=ブラぺ保健区域のエボラ治療センターで2025年10月17日 Ⓒ MSF
患者のいる区域(レッドゾーン)から外(グリーンゾーン)に戻る際には、防護具を脱ぐたびに消毒液を全身に浴びせ、慎重に洗浄する必要があった=ブラぺ保健区域のエボラ治療センターで2025年10月17日 Ⓒ MSF


また、患者さんの区域(レッドゾーン)と、それ以外の区域(グリーンゾーン)を明確に分けていました。患者さんにご飯や水を提供する際も、木製の滑り台を両区域の間に作り、グリーンゾーンから滑らせて渡す方法にしました。

他にも、スタッフがレッドゾーンに入る際は、防護具に入域時間を油性ペンで記入して、45分以内には必ず出るようにしました。

グリーンゾーン(手前側)からレッドゾーン(奥側)へは、木製の滑り台を使って物資を渡していた=ブラぺ保健区域のエボラ治療センターで2025年10月12日 Ⓒ MSF
グリーンゾーン(手前側)からレッドゾーン(奥側)へは、木製の滑り台を使って物資を渡していた=ブラぺ保健区域のエボラ治療センターで2025年10月12日 Ⓒ MSF


さらに、私たちスタッフの間でも「ノータッチポリシー(直接触れない原則)」が徹底されており、握手することさえも禁じられていました。

地域住民との信頼関係──感染拡大防止の鍵

──活動全体を振り返って良かった点はどこでしょうか。

感染の広がりをブラぺ保健区域のみに抑え込めたところです。
 
残念ながら、感染が疑われる段階だった方も含めて45人が亡くなりましたが、患者さんは全体で64人にとどまりました。

旧治療センターに入院したことでエボラから回復し、最初に退院できた患者の女性(中央左)。MSFのスタッフと抱き合って喜びを分かち合った=2025年9月16日 Ⓒ Sylvie Jonckheere/MSF
旧治療センターに入院したことでエボラから回復し、最初に退院できた患者の女性(中央左)。MSFのスタッフと抱き合って喜びを分かち合った=2025年9月16日 Ⓒ Sylvie Jonckheere/MSF
──感染の広がりが抑えられた理由はなんでしょうか。

いくつかあります。一つには、地域住民との信頼関係をいち早く構築できたことです。
 
緊急援助を始める段階で、健康教育を担うMSFのヘルスプロモーターが村の有力者をピンポイントに探して、活動の趣旨を丁寧に説明しました。その有力者から他の住民たちに代わりに説明してもらうことで、活動への十分な理解を得るためです。

旧エボラ治療センターから患者(中央左)が初めて退院し、喜んで出迎える地元住民たちとMSFのヘルスプロモーター(中央手前)=ブラぺ保健区域で2025年9月16日 Ⓒ Sylvie Jonckheere/MSF
旧エボラ治療センターから患者(中央左)が初めて退院し、喜んで出迎える地元住民たちとMSFのヘルスプロモーター(中央手前)=ブラぺ保健区域で2025年9月16日 Ⓒ Sylvie Jonckheere/MSF
──なぜ信頼関係の構築が重要なのでしょうか。

住民による理解は欠かせません。過去には別のエボラ対応の際、治療中の患者さんが医療施設から何も言わずに出て行ってしまい、村に戻ることで感染を広げた事例もあったそうです。

ブラぺ保健区域の新しいエボラ治療センターで病室として使われたテント=2025年10月9日 Ⓒ MSF
ブラぺ保健区域の新しいエボラ治療センターで病室として使われたテント=2025年10月9日 Ⓒ MSF


今回の地域には、亡くなられた方のご遺体を触って弔う伝統的なお葬式のやり方がありました。しかし、ご遺体に残るウイルスも感染力が高く、危険な行為になります。
 
そのやり方ではお葬式もしないように納得していただきました。その代わりに、ご遺体が安置された部屋に透明な窓を作って、外からお見送りできるようにするなどの環境づくりを心がけました。

エボラ治療センターで亡くなった患者の遺体を安置する部屋。透明な窓をつくることで、健康な住民たちが接触せずに外から見送れる作りにした=ブラぺ保健区域で2025年10月9日 Ⓒ MSF
エボラ治療センターで亡くなった患者の遺体を安置する部屋。透明な窓をつくることで、健康な住民たちが接触せずに外から見送れる作りにした=ブラぺ保健区域で2025年10月9日 Ⓒ MSF
──今回の対応では、現地で活動していた他機関・団体との協働もうまくいきました。

それぞれの強みを生かして協働できたのは良かったです。世界保健機関(WHO)は大量のワクチンをすぐに確保してくれたので、たくさんの人びとに予防接種することができました。
 
また、MSFは緊急対応の強みを生かして、エボラの発生後すぐに現地に入れました。

先遣隊が9月頭に到着した際、すでに数人の医療従事者が亡くなっていましたが、病院の導線を整理するなどの応急措置をとることで、その後の感染を最小限に抑えることができました。

ブラぺ保健区域の活動を地元保健省に引き継ぐため、医薬品の残量を確認する村元(右)=2025年10月31日 Ⓒ MSF
ブラぺ保健区域の活動を地元保健省に引き継ぐため、医薬品の残量を確認する村元(右)=2025年10月31日 Ⓒ MSF

物流の壁と文化理解──今後の課題と対策

──今回の活動の課題はなんでしょうか。

今回は、人の往来や接触が激しい都会ではなく、感染経路をたどれる農村地域だったことで、感染を最小限に抑え込めた側面があったと思います。

今回のエボラ対応を振り返る村元=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF
今回のエボラ対応を振り返る村元=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF


その一方で、交通の便がかなり悪い地域なので、物資調達に時間がかかってしまいました。もし円滑に物資を搬入できたら、治療センターをもっと早く開けていたかもしれず、そこは今後の課題だと感じます。

──エボラを流行させないため、これから現地ではどのような対策が求められますか。

エボラの感染をまったく無くすことはできないかもしれません。現地の人びとは野外での畑仕事で生計を立てていて、野生動物との接触を完全に断つことは難しいためです。
 
大切なのは、私たちの価値観を彼らに押し付けないことです。

もしエボラが発生してしまっても、現地の文化や価値観を理解した上で、どうすれば最も良い感染対策をとれるか。それを一緒に考えていくことが重要だと思います。

「現地の文化や価値観を理解し、感染対策を考えることが重要」と話す村元=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF
「現地の文化や価値観を理解し、感染対策を考えることが重要」と話す村元=東京都内で2025年11月20日 Ⓒ MSF

MSFによる一連のエボラ対応

他機関・団体と連携

9月4日──。今回、コンゴ中央南部・カサイ州ムウェカ地域のブラぺ保健区域でエボラの流行が宣言された日だ。

MSFはその直後からコンゴ保健省の緊急対応チーム(COUSP)やWHOと現地入りし、協力して対応にあたってきた。

最初に始めた活動は、この区域で最も大きいブラぺ総合病院への緊急援助と、専用の治療施設の仮設だった。

並行して、WHOと連携しながら新しいエボラ治療センターを建設し、感染が確定した患者と、まだ疑われる段階の患者の両者を治療した。

さらに、区域内を回って感染予防の啓発活動をしたほか、ブラぺの街から離れた村に一時治療センターを設置した。ブラぺに搬送する準備が整うまでの間、患者を治療するための施設だ。

11月末、「終息宣言」へ

エボラの症例が最後に確認されたのは9月26日だった。その後、ブラペのエボラ治療センターで受け入れる患者の人数や、感染が疑われる症例の件数は大幅に減っている。

最後に患者が退院したのは10月19日。地元保健省とWHOの規定により、このまま新たな症例が確認されなければ、最終退院日の42日後にあたる11月30日に「流行終息」が宣言される見通しだ。
 
MSFは撤収に伴い、現地での活動を地元保健省へと引き継いだ。
 
コンゴでエボラ流行に対応したのは、1976年にウイルスが初めて確認されて以降、これで16回目となった。今回は、地元保健省、経験豊富な組織、地域住民による迅速な連携が功を奏して、感染拡大を封じ込めることができた。

残念ながら、全体の患者64人(うち感染確定53人)の中で45人(同34人)が亡くなってしまったが、感染が確定した患者は19人がブラぺの治療センターで回復した。

「地域全体の保健体制強化を」

一方で、キンシャサのMSF医療コーディネーター、マリア・マシャコ医師はこう強調する。

今回はエボラ流行を抑えることに成功しました。ただ同時に、効果的な緊急対応の土台となるのは、基礎医療の質とアクセスの改善です。こうした危機をより良く予防・発見・対応するためには、地域全体の保健体制を強化する必要性が改めて明確になったと考えています。

キンシャサのMSF医療コーディネーター マリア・マシャコ医師

MSFは、もし再びコレラが流行した場合にもコンゴを支援する用意があること、そして公衆衛生を守って今後の対応をより強固にするため、国内外のパートナーと協力し続ける姿勢を改めて明確にする。

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