コンゴ民主共和国:食い止められたエボラ拡大──派遣の日本人スタッフが語る感染対策の“鍵”
2025年11月28日
村元が目にしたという、「信頼と協働の現場」とは。
村元菜穂(むらもと・なお)
愛知県出身。2014年、ブリュッセル自由大学社会学部卒業。2016年から2年間、在ガボン日本大使館に勤務。2019年から国境なき医師団にロジスティシャンとして参加し、ナイジェリア、チャド、アフガニスタンなどで活動してきた。2024年~2025年にかけてパレスチナ・ガザ地区にも2回派遣されている。
致死率の高い感染症──エボラという病気
──エボラとはどんな病気ですか。
致死率が高く、いかに感染を防ぐかが重要です。
とても難しいのは、症状だけですぐにエボラかどうか分からないところです。最大21日間の潜伏期間を経て発症するとされていますが、初期に表れる症状は発熱やのどの痛み。現地で多いマラリアなどと見分けるのが困難です。
──エボラはどのような地域で発生していますか。
エボラが流行しやすい地域性はあり、近年はコンゴと東隣のウガンダで発生することが多いです。
ウイルスを媒介するのはコウモリやネズミといった野生動物とされています。
基礎医療に乏しい農村地域──ブラぺ保健区域
──今回、エボラが発生したブラぺ保健区域はどんな場所でしたか。
コンゴの中央南部にある農村地域です。首都キンシャサからは東に1100キロ離れていて、森をかき分けながら車で3日間かけてたどり着きました。
住民たちは豆やトウモロコシ、アズキ、キャッサバ(タピオカの材料にもなる主食用のイモ)を育てて暮らしています。
道のない森の中を進み、2週間ほどかけて他の村などへ売りに行くそうです。
──現地の医療体制はどうでしたか。
──どの程度の地域にまでエボラ感染が広がっていましたか?
「ブラぺ」はその区域で1番大きい街の名前でもあり、ブラぺと周りに点在する村との両方でエボラが発生していました。
周辺の村と言っても距離は遠いため、MSFのスタッフや地元保健省の職員が1時間ほどかけて迎えに行き、ブラぺの街に建てた治療センターまで搬送していました。
現地は救急車もない地域です。普通の車の助手席に酸素ボンベを置いて、そこから患者さんに酸素を吸入するなど、救急車に似せたものをつくって運用することもありました。
治療センターの建設指揮──現地での活動
──現地ではどのような役割で活動しましたか。
完成した治療センターのベッド数は計32床。症例が確定した患者さんと、まだ感染が疑われる段階の患者さんを分けて入院してもらう形でした。10月9日に開設することができました。
──患者さんはどのような様子でしたか。
2人とも重症で、1人はずっと意識不明でした。もう1人も苦しさからか急に暴れてしまい、点滴のポールを予備のため2本に増やす必要があるほどでした。
治療を尽くしましたが、1人の方は搬送の翌日に、もう1人も2日後に死亡しました。とても悲しかったのは、1人は家族の中の8人目の犠牲者で、一家がほぼ全員亡くなられたことです。
──今回の活動で特徴的だった点を教えてください。
特に、患者さんの吐しゃ物や汚物をきれいにする担当のスタッフは、細心の注意を払わないといけません。
また、患者さんの区域(レッドゾーン)と、それ以外の区域(グリーンゾーン)を明確に分けていました。患者さんにご飯や水を提供する際も、木製の滑り台を両区域の間に作り、グリーンゾーンから滑らせて渡す方法にしました。
他にも、スタッフがレッドゾーンに入る際は、防護具に入域時間を油性ペンで記入して、45分以内には必ず出るようにしました。
さらに、私たちスタッフの間でも「ノータッチポリシー(直接触れない原則)」が徹底されており、握手することさえも禁じられていました。
地域住民との信頼関係──感染拡大防止の鍵
──活動全体を振り返って良かった点はどこでしょうか。
──感染の広がりが抑えられた理由はなんでしょうか。
──なぜ信頼関係の構築が重要なのでしょうか。
今回の地域には、亡くなられた方のご遺体を触って弔う伝統的なお葬式のやり方がありました。しかし、ご遺体に残るウイルスも感染力が高く、危険な行為になります。
──今回の対応では、現地で活動していた他機関・団体との協働もうまくいきました。
先遣隊が9月頭に到着した際、すでに数人の医療従事者が亡くなっていましたが、病院の導線を整理するなどの応急措置をとることで、その後の感染を最小限に抑えることができました。
物流の壁と文化理解──今後の課題と対策
──今回の活動の課題はなんでしょうか。
今回は、人の往来や接触が激しい都会ではなく、感染経路をたどれる農村地域だったことで、感染を最小限に抑え込めた側面があったと思います。
その一方で、交通の便がかなり悪い地域なので、物資調達に時間がかかってしまいました。もし円滑に物資を搬入できたら、治療センターをもっと早く開けていたかもしれず、そこは今後の課題だと感じます。
──エボラを流行させないため、これから現地ではどのような対策が求められますか。
もしエボラが発生してしまっても、現地の文化や価値観を理解した上で、どうすれば最も良い感染対策をとれるか。それを一緒に考えていくことが重要だと思います。
MSFによる一連のエボラ対応
他機関・団体と連携
9月4日──。今回、コンゴ中央南部・カサイ州ムウェカ地域のブラぺ保健区域でエボラの流行が宣言された日だ。
MSFはその直後からコンゴ保健省の緊急対応チーム(COUSP)やWHOと現地入りし、協力して対応にあたってきた。
最初に始めた活動は、この区域で最も大きいブラぺ総合病院への緊急援助と、専用の治療施設の仮設だった。
並行して、WHOと連携しながら新しいエボラ治療センターを建設し、感染が確定した患者と、まだ疑われる段階の患者の両者を治療した。
さらに、区域内を回って感染予防の啓発活動をしたほか、ブラぺの街から離れた村に一時治療センターを設置した。ブラぺに搬送する準備が整うまでの間、患者を治療するための施設だ。
11月末、「終息宣言」へ
最後に患者が退院したのは10月19日。地元保健省とWHOの規定により、このまま新たな症例が確認されなければ、最終退院日の42日後にあたる11月30日に「流行終息」が宣言される見通しだ。
残念ながら、全体の患者64人(うち感染確定53人)の中で45人(同34人)が亡くなってしまったが、感染が確定した患者は19人がブラぺの治療センターで回復した。
「地域全体の保健体制強化を」
一方で、キンシャサのMSF医療コーディネーター、マリア・マシャコ医師はこう強調する。
今回はエボラ流行を抑えることに成功しました。ただ同時に、効果的な緊急対応の土台となるのは、基礎医療の質とアクセスの改善です。こうした危機をより良く予防・発見・対応するためには、地域全体の保健体制を強化する必要性が改めて明確になったと考えています。
キンシャサのMSF医療コーディネーター マリア・マシャコ医師
MSFは、もし再びコレラが流行した場合にもコンゴを支援する用意があること、そして公衆衛生を守って今後の対応をより強固にするため、国内外のパートナーと協力し続ける姿勢を改めて明確にする。




