【フォトストーリー】ロヒンギャの生きる力を見つめて──写真家が映すバングラデシュ・クトゥパロン難民キャンプの日常

2025年09月24日
「子どもたちの遊びと想像力は、難民キャンプの厳しい日常に束の間の安らぎをもたらしています」と語るフォトジャーナリストのサハット・ジア・ヒーロー氏 Ⓒ Sahat Zia Hero
「子どもたちの遊びと想像力は、難民キャンプの厳しい日常に束の間の安らぎをもたらしています」と語るフォトジャーナリストのサハット・ジア・ヒーロー氏 Ⓒ Sahat Zia Hero

2025年6月、ロヒンギャのフォトジャーナリスト、サハット・ジア・ヒーロー氏と、国境なき医師団(MSF)オーストラリアの写真家、ビクター・カリンガルは、共同で写真プロジェクトに取り組んだ。

このプロジェクトを通じて二人は、バングラデシュ・コックスバザール近郊のクトゥパロン難民キャンプで、ロヒンギャの人びとが困難な環境の中、日々の生活を形づくっていく姿を記録した。

ロヒンギャのフォトジャーナリスト、サハット・ジア・ヒーロー氏(右)とMSFオーストラリアの写真家、ビクター・カリンガル(左) Ⓒ MSF
ロヒンギャのフォトジャーナリスト、サハット・ジア・ヒーロー氏(右)とMSFオーストラリアの写真家、ビクター・カリンガル(左) Ⓒ MSF

一緒に写真を撮ることができたのは、とても素晴らしい経験でした。

私たちが選んだテーマは「生きている証を残す」というもの。なぜなら、私たちロヒンギャの「生きている証」、つまりアイデンティティや文化、歴史は消されつつあるからです。また、キャンプでの生活には多くの困難があります。教育アクセス、生計の手段、医療を受ける機会など、あらゆる種類の制約が私たちを取り巻いています。

だからこそ、私たちはアートや絵画、詩、写真を通じて生きている証を残そうとしています。

文化を生かし続けるため、アイデンティティを保ち続けるため、そして私たちが何者であるかを忘れないために──。私たちは、記憶に残る存在でありたいのです 。

──サハット・ジア・ヒーロー/ロヒンギャのフォトジャーナリスト

ジアとともにキャンプを歩くことができたのは、私にとって貴重な経験で深く心に残りました。

私たちは一日かけて撮影を行いましたが、記録できたのは都市のように広大なメガキャンプのほんの一部にすぎなかったと思います。それでも、その短い時間の中には、物語と命があふれていました。私たちが選んだ写真を通して、それが伝わることを願っています。

──ビクター・カリンガル/MSFオーストラリアの写真家

写真が語る──クトゥパロン難民キャンプとロヒンギャの人びと

クトゥパロン難民キャンプを歩くロヒンギャの男性 Ⓒ Victor Caringal
クトゥパロン難民キャンプを歩くロヒンギャの男性 Ⓒ Victor Caringal

2017年、ミャンマーでの暴力から逃れた70万人以上のロヒンギャの人びとが、バングラデシュに避難しました。その際、広大な森林地帯は伐採され、仮設住居の建設用地が確保されました。現在では一部の草木が再び生い茂り、人口密度の高いキャンプの暑さの中で貴重な日陰をもたらしています。しかしその緑は同時に、ロヒンギャの人びとが故郷から引き離されて過ごしてきた8年という歳月を静かに物語っています。

この写真は、仮設住居が密集するキャンプの様子を伝えるために選ばれました。キャンプは圧倒的に広大でありながら、閉鎖的で制限されており、息苦しささえ感じさせます。ジアは「美しく再生した緑の風景が、ロヒンギャが暮らす仮設住居の劣悪な環境と強い対照をなしている」と指摘します。

撮影:ビクター・カリンガル

ロヒンギャの女性が、クトゥパロン難民キャンプにあるMSFのバルカリ診療所へ歩いて向かう Ⓒ Victor Caringal
ロヒンギャの女性が、クトゥパロン難民キャンプにあるMSFのバルカリ診療所へ歩いて向かう Ⓒ Victor Caringal

この写真は、「ロヒンギャは世界に自分の存在や生きている証を残すことができない」という会話を思い起こさせます。女性は雨に打たれながら、足跡を残すことなくキャンプを歩いています。雨は宙に浮かび、まるで時間が止まったように見えます。それは、ロヒンギャの人びとが感じている現実──人生が止まり、未来が見えないまま立ち尽くしている感覚──を映し出しているかのようです。

撮影:ビクター・カリンガル

クトゥパロン難民キャンプで、仮設住居の修理を行う男性 Ⓒ Victor Caringal
クトゥパロン難民キャンプで、仮設住居の修理を行う男性 Ⓒ Victor Caringal

キャンプ内の細い路地を歩いているとき、この男性が竹でできた仮設住居を修理している姿を目にしました。モンスーンの嵐から家族を守るために必要な作業で、彼の身体的な力強さはひときわ印象的でした。こうした強さやたくましさは写真に収めやすいものです。しかし私には彼の姿が、ロヒンギャの人びとの生き方そのものに見えました。生き延びるために強くならざるを得ず、本来なら誰も背負うべきではない重荷を心に抱えて生きる姿です。

撮影:ビクター・カリンガル

不安定な斜面に建てられた仮設住居 Ⓒ Sahat Zia Hero
不安定な斜面に建てられた仮設住居 Ⓒ Sahat Zia Hero

ミャンマーのラカイン州で激化する暴力により、多くのロヒンギャが安全を求めてバングラデシュへと逃れています。人口密度の高い難民キャンプでは、もはや十分な空き地が残されておらず、人びとは地滑りの危険がある土地に住まいを築かなくてはいけません。新しい住居は、彼らが後にした家よりもはるかに狭いものです。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー

仮設住居で勉強するロヒンギャの少女 Ⓒ Sahat Zia Hero
仮設住居で勉強するロヒンギャの少女 Ⓒ Sahat Zia Hero

最近の援助削減により、キャンプ内の学習センターは閉鎖され、1179人の地元教師の契約が打ち切られました。教育は、ロヒンギャの若者たちが自らの状況を少しでも改善するために残された、数少ない希望の一つです。

この写真を選んだのは、ロヒンギャの若い世代のもろさと希望が映し出されていたから。そして、今なされる選択が、これからの世代の人生にも深く関わっていくことを、この写真が伝えているようにも思えます。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー

キャンプで暮らす子どもたち Ⓒ Sahat Zia Hero
キャンプで暮らす子どもたち Ⓒ Sahat Zia Hero

子どもたちの遊びと想像力は、難民キャンプの厳しい日常において束の間の安らぎをもたらしています。彼らの想像する明るい未来は、希望であると同時に、困難な日々を乗り越えるための心の支えにもなっています。

キャンプを歩いていると、子どもたちの姿をあちこちで見かけました。笑い声をあげて遊び、ときには叱られながらも、彼らはキャンプに命を吹き込み、小さな喜びを与えていました。ジアは、子どもたちの数が特に多い理由として、援助削減によって学校が閉鎖されたことを挙げています。

 撮影:サハット・ジア・ヒーロー

雨の影響で地滑りを起こした丘の上からキャンプを見渡す子ども Ⓒ Sahat Zia Hero
雨の影響で地滑りを起こした丘の上からキャンプを見渡す子ども Ⓒ Sahat Zia Hero

この写真は、モンスーンによる豪雨や洪水によって引き起こされる地滑りの危険性、そしてキャンプ内の土壌の浸食状況を伝えるために選びました。かつてこの場所には仮設住居が建てられていましたが、地滑りによって失われました。ここは今も地盤が不安定で誰も住んでいません。それでも子どもは丘の上に立ち、笑顔を見せています。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー

仮設住居で食堂を営むロヒンギャの女性、ライハナさん Ⓒ Victor Caringal
仮設住居で食堂を営むロヒンギャの女性、ライハナさん Ⓒ Victor Caringal

ライハナさんが限られたスペースのキッチンで、多くの料理を作っていたことに驚きました。彼女は家族を支えるために、キャンプ内で小さな食堂を開いています。キャンプでは食料配給制度があるものの、現在の支給額は1人あたり月10米ドル(約1480円)に過ぎず、生活を維持するには到底足りません。援助削減により、今後この金額がさらに減る可能性もあります。

撮影:ビクター・カリンガル

タープの隙間からこちらを見つめる幼い子ども Ⓒ Sahat Zia Hero
タープの隙間からこちらを見つめる幼い子ども Ⓒ Sahat Zia Hero
仮設住居の前に置かれた鶏小屋の鶏 Ⓒ Victor Caringal
仮設住居の前に置かれた鶏小屋の鶏 Ⓒ Victor Caringal

この2枚の写真を選んだのは、視覚的に「閉じ込められている感覚」を強く伝えているからです。ロヒンギャの人びとは、キャンプの有刺鉄線のフェンスの内側で暮らす中で、そうした閉塞感を日々語っています。

また、農業はジアの幼少期におけるロヒンギャの暮らしの重要な一部でした。難民キャンプでは人があふれていて、人びとには定住できる住まいや土地、ゆとりあるスペースがほとんどありません。そのため、家畜を育てたり、暮らしを支える野菜を作ったりすることは、非常に難しい状況です。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー、ビクター・カリンガル

日雇いで働く作業員が、仮設住居の建設や修理のため竹材を準備する Ⓒ Sahat Zia Hero
日雇いで働く作業員が、仮設住居の建設や修理のため竹材を準備する Ⓒ Sahat Zia Hero

ジアによると、竹はロヒンギャの文化において伝統的な建築資材として使われてきました。この写真に写る竹は、見た目には青々として新鮮に見えますが、ロヒンギャの人びとがアラカン(ラカイン州)で住居や建物に使用していたものに比べると品質が劣るといいます。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー

クトゥパロン難民キャンプでは、竹の橋がキャンプの地区を分ける境界となっている Ⓒ Victor Caringal
クトゥパロン難民キャンプでは、竹の橋がキャンプの地区を分ける境界となっている Ⓒ Victor Caringal

私たちがこの竹の橋を眺めていると、2人の少女が慎重に足を運びながら渡り、2人の少年が橋の先まで駆け上がっては水へと宙返りをしていました。ジアは、この橋をキャンプで過ごした8年にわたり撮影してきました。かつてはもっと幅の広い橋が設置されていましたが、度重なる雨期の洪水によって浸食され、流されてしまったといいます。見た目には不安定に映るものの、この新しい橋は隣接するキャンプ同士をつなぐ重要な道となっています。

撮影:ビクター・カリンガル

医療施設へ搬送される男性 Ⓒ Sahat Zia Hero
医療施設へ搬送される男性 Ⓒ Sahat Zia Hero

NGO職員や外国からの訪問者は、主要な広い道路を使ってキャンプに入るのが一般的です。しかし、キャンプの奥深くに入ると道幅は急激に狭くなり、ジアによれば多くの場所が徒歩でしかアクセスできません。医療が必要な状況になると、人びとは最寄りの病院まで担いで運ばなければならず、特に雨期にはその道のりが何時間にも及ぶことがあります。

撮影:サハット・ジア・ヒーロー

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