スマホは使えず声をあげられなかった 日本メディアはもう報じない悲惨な現実

2019年08月24日掲載

「2017年9月11日。バングラデシュに着いた日を正確に覚えています。妻と子4人を連れて逃げました」

ロヒンギャ難民の男性メタンさんは、バングラデシュのコックスバザール県にあるクトゥパロン=バルカリ難民キャンプで暮らす。ミャンマーのラカイン州に住んでいたときは、現地のNGOに勤めていた。現在はNGOのボランティアとして、コックスバザール県内にある複数の難民キャンプで活動している。 

メタンさん=2019年6月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Dalila Mahdawi/MSFメタンさん=2019年6月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Dalila Mahdawi/MSF

「ラカイン州では常に脅されていました。ミャンマーに比べると、ここバングラデシュは天国のようです。それでもこの生活環境は人間的じゃありませんよ。部屋は小さく、トイレは共同、屋根はビニールシートで通気も悪いんですから。移動の自由もなく、バングラデシュ人のように働くこともできません」 

2019年6月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Dalila Mahdawi/MSF2019年6月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Dalila Mahdawi/MSF

「キャンプ内は全体的に前ほど安全ではなくなってきています。稼げず、教育は受けられず、働く先もなく、生きていくために不法行為に手を染める人もいます。今では、過激派集団まで現れて、拉致、脅迫、強盗などをやっています。人身売買業者は未婚の女性や子どもを標的にしています。ギャングに頼んで、気に入らない人を殺してしまう人さえいます。小さなお店を切り盛りしている人や、NGOでボランティア活動をしている人は、いくらか収入があるばかりに、狙われるんです」

「キャンプの周囲にフェンスが設置されるという噂が流れ、みんなすごく不安に思っています。実際にそうなったら、身分証明書を見せないと(キャンプ内の)ブロック間を行き来できなくなります。精神的な影響があるでしょう。キャンプ内の争いや不穏な動きが増すでしょう」 

2018 年11月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Vincenzo Livieri2018 年11月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Vincenzo Livieri

ミャンマーへの帰還

「ここにいる人は1992年と同じ目に遭うのではないかと恐れています。あのときロヒンギャは強制送還されました。今の状況は1992年とは違いますが、それでも不安が広がっています。私たちはどうすればいいのでしょう。数日前、私はラカイン州に残っている人たちから連絡を受けました。ここバングラデシュに逃げた私たちがどういう扱いを受けるかじっと見ています。全ロヒンギャの運命の試金石だと言うんです。ここで社会正義が貫かれれば、ミャンマーでもそうなるだろう、でも前回と同じように送還されれば、みな危険な状態に置かれる、と。聞いていられませんでした。安心できません。バングラデシュ政府から圧力がかからないことを願っています」

「この大規模な難民発生まで、ロヒンギャのことは聞いたことさえなかった国が多いでしょう。2017年8月まで、私たちを標的にした迫害を知っている人は限られていたんです。ミャンマーでは、スマホを使うことが許されていなかったので、世界に向けてどんな状況にあるのか情報発信することさえできませんでした。昨年はたくさんのNGOとメディアが私たちの行く末を報じてくれました。でも現在、その関心は薄れていて、来年は、もっと薄れるものと思われます。このままだと、数年以内にバングラデシュ政府がしびれを切らして、私たちを送還する可能性もあります。国際社会が関心を持ち続けてくれるよう、願い続けるばかりです。こうしたことは解決に時間がかかることは分かっています」

正義を

「ロヒンギャは民族です。ですが、ミャンマーでは(西から来た人を意味する)カラと呼ばれます。不法移民、ベンガル人と呼ばれ、バングラデシュから来たかのように扱われます」  

2018年7月、コックスバザールの難民キャンプ ©Kate Geraghty/Fairfax Media2018年7月、コックスバザールの難民キャンプ ©Kate Geraghty/Fairfax Media

「ミャンマー政府は『国籍未審査者向け身分証明書(NVC)』を申請するよう求めています。調査票で最初の質問は『いつバングラデシュから来たか』。次いで『(ミャンマーに)来た理由は』『バングラデシュでの村長は誰か』。どう答えろというのでしょう。当局は私たちをまとめて閉じ込めておくつもりなんです。だから誰も帰還したがりません」

「帰還すれば、強制的にNVCの審査を受けさせられるでしょう。これは両足を火に突っ込むような行為です。審査では、父方と母方の親族3世代の身分証明書が求められるのですが、あるわけがありません。私たちは意図的に公的文書がない状態に追いやられたんです。これまでミャンマー政府は様々な文書を返還するよう求めてきました。村も焼き払われ、手元に残っていた公的文書も焼けてしまいました」

「子どもたちの将来も明るくありません。学校に通うべきなのに、ここには一校もありません。ここに長くいればいるほど、次世代は失われるも同じです。正義が行われることを望んでいます。国籍、移動の自由、教育、2次医療、信教の自由が欲しい。ミャンマーにいる他の民族と同じように」 

竹のボールを使って裸足で遊ぶ子どもたち=2018年11月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Vincenzo Livieri竹のボールを使って裸足で遊ぶ子どもたち=2018年11月、クトゥパロン=バルカリ難民キャンプ ©Vincenzo Livieri

※文中仮名 

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