家族5人の命を奪ったエボラ出血熱。「それでも看病を続けた」母親の思い

2018年06月28日

感染制御のため防護服で全身を覆うMSFスタッフ感染制御のため防護服で全身を覆うMSFスタッフ

 2018年5月8日、 コンゴ民主共和国北西部でエボラ出血熱の流行宣言が出された。エボラ・ウイルスは患者との接触で感染し、ウイルスの型によっては致死率が90%に達する。

感染すると血中でウイルスが増殖するが、2~21日間の潜伏期がある。そのうえ発症しても、高熱や頭痛、筋肉痛、おう吐といったエボラの症状は現地の風土病であるマラリアと似ており、判断が遅れがちだ。そのため、患者が発見されたときには既に感染が広がっていることもある。

今回のエボラ流行の発生源となった赤道州の町イティポでは、家庭内感染した家族が次々と発症し、多数の犠牲者が出た。生き残った女性は「何もかも失いました」と無念さを滲ませた。

「息子が病気になったら看病するのが母親です」

 「初めはエボラなんて信じていませんでした」赤道州ビコロ町にある国境なき医師団(MSF)のエボラ治療センターを退院したばかりのマリーヴァンサンさんはこう振り返る。人生経験豊かな初老の女性だ。

ビコロ町のエボラ治療センター。一帯には熱帯雨林が広がるビコロ町のエボラ治療センター。一帯には熱帯雨林が広がる

最初に病に倒れたのは、息子のシャルルさんだった。11人兄弟の1人であるシャルルさんは看護師で、イティポのへき地診療所を切り盛りしていた。

「シャルルの病気の原因が気にかかったのは、病院の同僚の方々から『彼に近づかない方がいい』と言われた時です。それでも私は看病を続けました。息子が病気になったら看病するのが母親です」

内科や産婦人科の看護に長年携わってきたシャルルさんは、エボラの流行宣言が出た翌日の5月9日に亡くなった。ウイルス検査は行われなかったものの、死因はエボラ出血熱の可能性が高い。遺体は丁重に洗い清められた後、埋葬のために故郷の村へ運ばれた。

マリーヴァンサンさん(写真左)と夫マリーヴァンサンさん(写真左)と夫

息子だけでなく孫たちも……

 エボラ患者の遺体は極めて感染力が強い。埋葬から数日のうちに、シャルルさんを看病した家族にエボラ・ウイルスの猛威が襲った。

「あの子を埋葬してすぐ、私たち家族は次々に体調を崩したんです。熱とおう吐、下痢がありました。それで、『これは呪いではなく本当に病気なのではないか』と考え始めたんです。地元の村々で不自然な亡くなり方をした人やエボラにまつわる噂を耳にしたことはありましたが、その時はまだ(自分たちが感染しているとは)思い至りませんでした」

医療者に消毒スプレーをかける衛生スタッフ。ビコロのエボラ治療センターで医療者に消毒スプレーをかける衛生スタッフ。ビコロのエボラ治療センターで

やがてマリーヴァンサンさんの容体は悪化し、検査を受けることに。長男とその妻、別の息子と親戚の男性も次々と発症した。続いてシャルルさんの妻と2人の息子、息子の若い婚約者が発熱した。親族全員の検査結果は「陽性」。車で数時間離れたビコロにあるエボラ治療センターに入院し、数週間を過ごした。

「スタッフの皆さんはとても優しくて、私たちが命を取り留めるために手を尽くしてくださいました。諦めそうになった時も励ましてくれ、回復への望みをつないでくださったんです」

帰宅し、夫と退院を喜び合うマリーヴァンサンさん帰宅し、夫と退院を喜び合うマリーヴァンサンさん

残念ながら、マリーヴァンサンさんの孫にあたるシャルルさんの息子2人と婚約者は死亡。妊娠中だったシャルルさんの妻は回復したものの、お腹の赤ちゃんは助からなかった。エボラ・ウイルスが胎盤経由で母体の免疫系の届かないところまで侵入し、守りきれなかったのだ。

「私は治りましたが、家には何も残っていません。持ち物は全て焼き払わないといけなかったんです。もう若くはないのに、一から生活を立て直さなくては。今日から身一つで再出発です」

現地保健当局によると、赤道州ではこれまでに合計38人がエボラと確定、28人が死亡した。MSFは流行宣言に先がけて5月5日に現地入りし、医師や疫学者、ロジスティシャンなどで編成された緊急チームを派遣。現在は国内5ヵ所に拠点を置き、スタッフ470人を配置している。首都キンシャサで新たに10床のエボラ治療センターを建設したほか、流行地となった赤道州では、州都ムバンダカ市およびビコロ、イボコに入院治療施設を備えたエボラ治療センターを設置。患者と直接・間接的に接触した人びとの追跡調査や地域での啓発活動を行い、予防策や安全な埋葬手順について説明している。 

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