海外派遣スタッフ体験談

子どもたちが安心して遊べる環境が早く戻ることを願って

畑井 智行

ポジション
薬局責任者・管理者
派遣国
リビア/チュニジア
活動地域
全域/チュニス
派遣期間
2016年10月~2017年1月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回イエメンでの活動終了後は、空爆や緊急避難による心身の疲労・体重減少からの回復のため、少し休養をとることにしました。その間、MSFに入るときからの目標である「緊急派遣チーム」にも再度応募しましたが、選ばれませんでした。しかし、最終面接でフランス語のミッションで活動できるように語学を上達させてきてくださいと明確な目標をもらいました。

その後、MSF日本が「病院を撃つな!」キャンペーンの一環で開催した写真展「"紛争地のいま"展」に参加した際、たくさんの方々から直に応援の声をいただき、また次の活動に参加しようという意欲が湧いてきたので、参加を決めました。いくつかのプロジェクトのオファーの中から、今まで興味のあったリビアでの活動に参加を決めました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回の派遣では、空爆がある地域でのハードな仕事内容だったため、よく眠れず、食欲も落ちてしまいました。回復のため、日本各地の友人を訪れたり登山を楽しんだ後、フランスで過去の派遣で共に働いた友人の家を訪れたり、モンブラン登山やお遍路などをして気分転換をしました。各地でおいしいものを食べ、今後の活動に必要なフランス語を練習しました。

派遣先が決定した後は、大阪での海外派遣スタッフ募集説明会で講演し、そのまま出発しました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?
物資の搬入を終えたところ 物資の搬入を終えたところ

当初の業務は現地の薬剤師を指導することでした。しかし現地に着くと、リビア・プロジェクト全体の薬局責任者の不在が数ヵ月続いていることから業務内容を変更してほしいと要望され、引き受けました。

私は看護師ですが、これまでにも薬局総合責任者(タンザニア)プロジェクト薬局管理者(南スーダン)、薬局の立ち上げ(エチオピア、イエメン、ネパール)を務めた経験があり、臨機応変な役割変更も5度目だったため、ためらうことはありませんでした。このため、任期の前半は薬局責任者を務め、後任の責任者が着任した後は、薬局の立ち上げと現地の薬剤師の指導を兼任しました。

プロジェクトの改善点や今後の展開案を議論する際にも、経験が大いに役に立ちました。過去の活動で作成した書類、システム、トレーニングなども役立てることができました。

医薬品なしでは医療活動は成り立ちません。薬局業務は、活動の生命線です。その国の活動全体を左右します。役割変更で運営に関わり、とても役に立てたと思っています。

医療援助のために、各プロジェクトや新たな場所を視察に訪れることもありました。ここでは、2016年に受けたPSP(Population in Precarious Situation)トレーニングが役に立ちました。援助の必要性を検討するための方法論を学ぶものです。その成果を活かし、今回の活動では、人口・ライフライン・アクセス・医療資源などさまざまな角度から現場とデータを観察・評価して決定をくだしていくことができました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
セスナで西リビア支援に向かう セスナで西リビア支援に向かう

MSFはリビアで、負傷者の治療、医療施設の支援、難民対応などの活動を行っている唯一の国際医療団体です。ほとんどの国民はNGOという存在や概念を知らず、そこから説明する必要を始めて体験・体感しました。

オイルマネーを求める海外からの出稼ぎ労働者によって支えられていた医療体制ですが、長引く内戦で経済は悪化、出稼ぎ労働者は減り、人手不足と物資の輸入に困難を抱えている現状です。医療は質・量ともに低下し、制度が十分に機能しているとはいえない状況が続いています。

私たちは、すべてフランスから、必要な医療品を輸入しました。また、スタッフを募集して指導し、独自の医療システムを基礎から作り上げる必要がありました。

薬局責任者としては、医療コーディネーターとともに現地視察、医療品の発注状況の確認、在庫管理、データ分析、医療戦略会議への出席などプロジェクトの運営に密に関わります。ロジスティック・コーディネーターとは配送手配や輸入品について話し合いを重ね、財務・人事コーディネーターとは、医薬品の費用の計上や現地スタッフ採用などを行います。

他にも、各プロジェクトの在庫管理、各地の病院への支援物資の準備や配送の指揮、地方の医療施設の遠隔支援、緊急対応の準備、医療品の現地調達、月刊レポートの作成、MSF経験の浅い外国人派遣看護師の指導、現地の薬剤師の指導などなど多岐にわたりました。

ときにはネズミ退治が必要なことも ときにはネズミ退治が必要なことも

後半の薬局の立ち上げプロジェクトは、ある都市(8万5000人)の病院の産婦人科への支援の一環でした。その病院の対応人口は周辺地域を含め40万人にも上ります。

ベースになる中央薬局を立ち上げ、病院なども含めシステムを整えることがまず重要です。前回のイエメンでの活動や、ネパールで大規模な医療品輸送を行った経験も大いに役に立ちました。

次にシステム作り。現状調査から始まります。リビア厚生省病院での活動は、病院薬局との協力事業でした。病院内では、産婦人科用薬局の部屋を病院薬局と共有運営、数週間分の医療品を管理します。概念の説明から始まり、使用状況や在庫確認の棚卸しの指導、各場所の必要物品の週間最低必要数を設定、といった具合にシステムを整えました。

支援している産婦人科病棟は54床で、分娩室2床、待機室8床、帝王切開などの手術室3室で、産後の滞在日数0~1 日(術後1~2日)、毎週平均120件の正常出産と平均45件の帝王切開があるとフル稼働の状態でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
現地の薬剤師やロジスティシャンと外食 現地の薬剤師やロジスティシャンと外食

午前7時起床、シャワーと朝食の後、8時以降に出発し、オフィス/病院へ。午後1~3時に昼食をとり、7~9時頃の夕食までまた働きます。

前半のコーディネーションの期間は、業務上時間を合わせることが難しく、昼食は"持ち帰り"が主でしたが、時々みんなで時間を合わせて近所のレストランで一緒に食べました。

夕食は各自レストランに行ったり自炊をしたりします。脂っこい料理が多く野菜不足にならないためにも、私は毎日自炊にしていました。外国人派遣スタッフが、着任時/離任時に数日滞在するときには、私を含む誰かが号令をかけパーティーを開きました。

後半のプロジェクトでは、コックさんが昼食を作ってくれました。毎日がクスクスや米の野菜巻きなどのリビア料理です。夜は自炊で、料理が好きな(僕も含め)3人が日替わりで作りました。

食材は豊富なのでクリスマスや正月などには、本格的に鶏を煮込んだり、カレーをルーから仕込んだり、ホッケの塩焼き、魚のから揚げやタイカレー風にしたり。停電の中、ランプの明かりでみんなでパーティー料理を作って楽しみました。

私の着任時は各自が別々に夕食をとっていましたが、できるだけ毎晩みんなで食べるように呼びかけました。一日中ばらばらに働いているみんなが顔を合わせ、情報を共有したり、世間話や過去の派遣での体験談で談笑したりすることで、心休まる時間になり、チーム・スピリットが生まれました。

これは共に生活していく上で大事なことで、毎回、活動地で心がけています。ムードメーカーがいれば自然にまとまりますが、そもそも異なる国民が共に働くのは難しいことなのです。夕食後は仕事に戻る日もありましたが、みんなで映画を見たり、ゲームをしたりする日もできました。10時ごろには各自部屋に戻り、12時就寝でした。

イスラム教では金曜日が休日です。休日は、薬局冷蔵庫の温度点検以外は、読書や音楽を聴いたりお昼寝をしたりなどのんびりしました。午後の天気がよい日は、近所の遺跡にみんなで出かけたり、買い物へ行ったりもしました。

Q現地での住居環境について教えてください。

前半のコーディネーションのオフィスは、リビアの隣国のチュニジア、その首都チュニスにあります。新市街の住宅地にアパートがあり、台所とシャワーは共有ですが、必要なものは一通りそろっている静かな生活環境でした。

後半のプロジェクトでは、セキュリティーが十分で手ごろな大きさの住居を見つけることが困難だったため、巨大な3階建ての家を借りて住居兼オフィスにしていました。台所は大小3つ、トイレ・シャワー室5つ、7部屋あった居住スペースを改築して10部屋、階段2つ、サロン、運転手の待機部屋、車庫(薬局として使用)や巨大地下室もあり、迷宮でした。

電気は市の供給と自家発電を併用。2016年末から電気回路の故障が各プロジェクトの住居や施設で発生し、現地の電気工事士では十分な修理ができなかったため、フランスから専門家が修理のために派遣されてきました。

インターネットは、天候に左右されましたが比較的良好でした。水は海水を淡水にする施設が近郊の町にあり、十分入手できました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
近くの古代ギリシャ遺跡で子どもたちと 近くの古代ギリシャ遺跡で子どもたちと

ガソリンが破格に安く、ワゴン車に満タン(50リットル)入れても数百円でした!

今回は複数の役割を担当し、さまざまな街・施設を訪れる機会があり、たくさんの人たちに接する機会に恵まれました。

外国人といえば出稼ぎ労働者か観光客で、NGOに対する認識も低い状況に現れたMSF。困惑したと思いますが、必要な人に援助が届いたときには心からの感謝の声が聞こえます。

医薬品の輸入から医療を求めている患者さんや妊産婦さんたちに最終的に使用されるまで、私たちの援助が届いている様子を、毎日直接、確認することができました。患者さんたちからも多くのありがとうの声を聞きました。

紛争地では廃棄物処理場は標的となることがあります。街に汚物があふれ生活が疲弊するためです。MSFの支援先病院がある街には、長年、処理場がなく、医療廃棄物も適切に処理されていませんでした。

私たちは、再度破壊されないよう、狙われにくい場所を選び、認識されにくいように配慮を重ねて医療廃棄施設を建設し、寄贈しました。病院内の医療分別にも苦労しましたが、意識が低かった当初に比べ、廃棄施設の設置後は少しずつ改善がみられました。

現地の看護師や病棟師長からも、たくさんの喜びの声を聞きました。中でも「長年の夢がかなった。何年も何年も申請書を出し続け、認証スタンプは押されるけれども、何も起きなかった。本当にうれしい。安全に働ける環境をこれから私たちは目指せることがうれしい」という声は印象的でした。

所変われば文化や習慣も変わる。新しい場所に行くと、時には驚きの光景を目にすることもあります。病院内で喫煙が普通に行われていることに少し驚き、医療スタッフまでもが病棟で喫煙している姿には、大きな驚きよりも教育指導の大切さを実感しました。

また、現地スタッフの採用には苦労しました。看護師、薬剤師、クリーナーなどは"使用人"の仕事という概念があったためです。やっと採用しても、一般的に"書く"習慣がなく、医師も看護師もカルテを記載しない人が多いといった状況でした。

抗生剤や医療物品を本来の適切な用法・用途で使用しない人もいました。学びたいと思う人に教えるのは簡単ですが、学ぶ必要性を認識しない人や学ぶことを拒否している人に教えることは、一筋縄には行かず、チームは困難の連続でした。

リビアには数々の古代ローマ遺跡やさらに昔の古代ギリシャ遺跡が点在しています。内戦前は大勢の観光客を受け入れにぎわっていた国ですが、長期化する内戦により現地の人が少数訪れるだけのさびしい現状となっています。治安が安定し、街がにぎわい、子どもたちが安心して遊べる環境が早く戻ることを願っています。

Q今後の展望は?

3つのオファーがあって悩みましたが、後任が来るまでリビアミッションを延長し、パリでトレーニングを受けた後、イラク派遣に参加することに決めました。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

「MSF海外派遣歴」のところから、過去の記事をご参照ください。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年7月~2015年10月
  • 派遣国:日本
  • 活動地域:熊本県
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2015年11月~2016年2月
  • 派遣国:タンザニア
  • 活動地域:キゴマ
  • ポジション:薬局責任者・管理者
  • 派遣期間:2015年7月~2015年10月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:チャーリーコット
  • ポジション:医療チームリーダー
  • 派遣期間:2015年5月~2015年6月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:カトマンズ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2015年3月~2015年5月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:マラカル
  • ポジション:看護師兼薬剤マネジャー
  • 派遣期間:2014年3月~2014年9月
  • 派遣国:エチオピア
  • 活動地域:ガンベラ州
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年8月~2014年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:アウェイル
  • ポジション:看護師

活動ニュースを選ぶ