海外派遣スタッフ体験談

厳しい環境でも看護の基本をもとにエボラ患者をケア

畑井 智行

ポジション
正看護師
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
派遣期間
2014年12月~2015年2月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

エチオピアでMSFの活動参加中に、西アフリカのエボラ出血熱の拡大を知りました。恐ろしさと同時に、この感染症に対する自分の無知を認識し、興味を覚えました。

エチオピアでの活動終了時、アムステルダムのMSFの事務所で活動報告をしたのですが、その際、西アフリカ派遣のオファーを頂きました。行きたい気持ちが強かったのですが、活動終了直後で心身ともに疲労困憊(こんぱい)していたので、帰国後2ヵ月ほどは日本で家族と過ごした後に、決めました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

エチオピアから帰国後は、平日は以前勤務していた職場で日雇い契約の仕事をし、週末は家族や友人とキャンプや海遊びなどをして、のんびり過ごしました。

今回の派遣へ出発する際、ベルギーで2日間、エボラについての講義と、実際に防護服を着て業務をする練習をしました。これは、それまでの認識を覆すもので、実際とても役に立ちました。

その後、受講生はそれぞれ各国の現場へ散りましたが、リベリアで同じ時期に活動したほとんどの医療者はここで共に学んだため、とても心強く、活動しやすかったです。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
訪問診療で訪れた村で同僚と 訪問診療で訪れた村で同僚と

過去の派遣活動では、管理業務が主な役割でした。今回は、看護師として直接患者とかかわる実務や、現地スタッフへ指導が主でした。過去の技術指導の経験だけでなく、マラリアなどの熱帯医学や栄養失調の知識と経験は実際に患者の治療の際に役に立ちました。

また、エチオピアの活動で病院や診療所の立ち上げに関わりましたが、遠隔地にいるロジスティシャン水・衛生管理担当者(WATSAN)のアドバイスを受けながら、飲み水・手洗い用の水・消毒用の水をそれぞれ準備したり、守衛の管理や発電機の操作、呼吸器のメンテナンス、雨水がたまらないよう高低差をつけながら溝を作るなど、ロジスティック面の仕事を少し手伝ったので、その知識・経験も、都市から離れた農村部への追跡調査の活動の際に立ちました。

エボラに感染した人との接触があった人びとは、エボラと疑われたくないため、症状が出ていてもそれを隠すことが多々あります。追跡調査では、まずは医療物資の供給が崩壊している診療所に物資を提供し、週に1度、訪問診療所を設置します。その近くに住む調査対象者は地域住民から隔離されており、風邪薬やマラリア薬を受け取るために診療所に来ることすらできないので、体調の変化がないか、発熱はしていないかなど、訪問診療を行います。エボラではなく、通常の健康診断のような雰囲気を作りながら観察すると、自分の症状について打ちあけてくれました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
防護服を着用して業務にあたる筆者 防護服を着用して業務にあたる筆者

モンロビアの「ELWA-3」という、MSFのエボラ治療センターとしては、今回のアウトブレイクで設置されたなかで最も規模の大きい施設にて勤務しました。ただ、患者数のピークは過ぎ、徐々に減少傾向の時期でした。

私は看護師として、外来(トリアージ)、感染疑い患者病棟(エボラ検査前・マラリア・肝炎・チフスなど)、エボラ確定患者病棟(重症期・回復期)の運営と診療援助、現地スタッフの指導を担当しました。

海外からは医師3人、看護師4人、他職種も含めると、20人前後が派遣されており、さらに、リベリア国内の他施設も管理しているコーディネーター等を含めると、海外派遣スタッフの数は30人以上でした。

現地の医療スタッフ(医師助手、看護師、看護助手、完治した患者で小児患者の付き添いやアシスタント業務を担うスタッフ)は、患者数の減少によって縮小しましたが、それでも各勤務30人強が働いており、全体で150人程度が4チームのローテーション制度を組んでいました。

エボラ出血熱の症状は不特定です。発熱、接触歴、その他いくつかの症状で判断され、入院後に検査し確定します。エボラ以外にもマラリアなどの他疾患にて発熱を伴う疾患があり、トリアージでの判別は非常に困難でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
現場ではこまめな消毒が行われる 現場ではこまめな消毒が行われる

朝6時台に起床し、朝食。7時から全スタッフによるミーティングを行い、その後医療従事者の短いミーティングがあります。

エボラ治療センターへは車で約10~20分で、チームみんなで向かいます。消毒・着替え後、任務を開始します。情報収集や現地スタッフとの会議、高リスク区画内での診察と患者のケア、現地スタッフへの指導などを行います。

その後、医療チームの会議で、海外派遣スタッフと現地スタッフのリーダーが一緒に症例について話し合います。会議後、患者の状態によって、再び高リスク区画へ入り患者のケアをすることもあります。

午後1~3時に昼食に戻ります。その間、現地スタッフの勤務交代があるので、時には、申し送りの観察・指導を行います。

夕方、回診・患者のケアのため高リスク区画へ。基本的にスタッフは交代で高リスク区画にて活動し、それ以外のスタッフは、外部から物資の準備、記録、会議など、やることがたくさんあります。高リスク区画から戻ると、脱水状態のため水分補給や更衣の時間が必要です。

午後6~8時にホテルまたは宿舎へ戻り、夕食後はフリーです。全体会議と医療チーム会議がそれぞれ、週に1度、夜にあります。

あとは、週に1度のオンコール、週に1度の休日があります。休日は、ビーチでバレーをしたり、海を眺めたり、読書やインターネット(激遅)をしてのんびり過ごしました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

基本的に、ホテルと治療センターの往復の毎日でした。自分たちの宿舎が完成するまでは、治療センター近くの、ビーチ沿いのホテルに滞在していました。

日中は何もしなくても汗が噴き出る暑さです。さらに完全防御服を着ての活動はサウナ状態。初めは10分過ごすのも大変でした。高リスク区画内での活動は最大1時間に限られていましたが、次第に慣れて、1時間活動できるまでになりました。高リスク区画を出るころには、長靴に汗がたっぷりたまっています。

このようなハードな仕事環境の一方で、住宅環境は何不自由なく整えられており、医療活動に専念できました。環境を整えてくれた後方支援の方々に感謝しています。海外派遣スタッフの食べ慣れているパスタなどの洋食が、昼食・夕食に用意されているだけでなく、昼食後に短時間でもエアコンが効く部屋で休めることは、1つのミスが命取りになる活動中にはとてつもなく重要で、ありがたかったです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
完治した500人目の患者の退院をみんなで祝う 完治した500人目の患者の退院をみんなで祝う

事前研修を受けるまで、エボラに関して、自分でも間違った認識を持っていたことに気づきました。現地での活動で、エボラについてさらに理解を深めることができました。

二重の手袋、曇るゴーグル、サウナ並みの体感温度の防護服での活動が、いかに難しいかを体験しました。特に点滴のラインを確保する時は、駆血帯が手袋に絡んで巻きにくく、破れないために注意を要します。自分だけでなく、仲間も全員、手が震える状態での挿入でした。

ただでさえ血管の見えにくい患者もおり、やっと血管が感じられても、防護服を着ての状況ではさらに困難です。一方、点滴で補液をすることで、脱水・電解質異常が改善し、たくさんの患者が回復することができたことはよかったです。

エボラには治療薬がいまだありませんが、基本的な対症療法、自己免疫の強化、基本の看護を行うことで、たくさんの患者が完治し退院する場面に関わることができたのは、とてもうれしかったです。クリスマスや新年の祝い、エボラ完治500人目の祝いなどのイベントを行う事も出来ました。これらすべてが貴重な経験です。

Q今後の展望は?

エボラとの戦いは、感染がゼロになるまで続くので、今回の経験を活かして再度エボラ対策プログラムに参加できればと思います。

また、緊急プログラムには常に参加したいと思っています。フランス語圏にも活動が多くありますので、今後のためにフランス語の学習を一から始めます。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

参加してみたいけど……と悩んでいる方は、まずはチャレンジしてみることをお勧めします。壁にぶつかって、試行錯誤の繰り返しで、楽なことはあまりありませんが、できることが少しずつ増えていき、やりがいと充実感も最後についてきます。

さまざまな文化・価値観を持った世界中の仲間とともに協力しながら仕事をするで、難しい課題に直面したことも、ともに悩んだ時間が後で楽しい思い出に変わります。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年3月~2014年9月
  • 派遣国:エチオピア
  • プログラム地域:ガンベラ州
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年8月~2014年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:アウェイル
  • ポジション:看護師

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