海外派遣スタッフ体験談

看護師・薬剤師の兼任で新たな学び

畑井 智行

ポジション
正看護師
派遣国
南スーダン
活動地域
マラカル
派遣期間
2015年3月~2015年5月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回、リベリアでのエボラ対策プログラムへ参加し、活動終了後の潜伏期間を終えて、次の活動参加を自宅で待っていました。

自分は看護師ですが、マラカルのプログラムではちょうど薬剤師の仕事を引き継ぐ後任者の期間調整の都合がつかず、2ヵ月弱の間が空いていたため、今回のオファーが来ました。今後の活動に生かせる新しい経験が得られると思ったため、派遣を決めました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

リベリアから帰国後は、オンラインでフランス語の学習をしたり、友人と食事をしたりして、のんびり暮らしました。また、地元で農家の手伝いをしたり、息子の学校で講演会をしたり、家族や友人とキャンプをしたりと、少し医療活動から離れ気分転換をしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

過去にエチオピアのプログラムに参加した際、病院立ち上げの業務で、病棟看護師長と薬局管理の兼任という形で携わりました。日本では看護師は薬剤師としては働けないため不安もありました。しかし、別の町のMSFの薬剤師の遠隔サポートや病院のほかのスタッフのアドバイスに助けられ、薬局管理を務めることができました。

今回は、この時の経験や過去の看護師としての活動を踏まえて、薬局管理の与えられた仕事だけではなく、看護師の目で見て、薬局と病棟との懸け橋になるべく、データをとり、業務改善をしていきました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
国連民間人保護区域内に避難するマラカルの人びと 国連民間人保護区域内に避難するマラカルの人びと

2013年より内戦の続く南スーダン東北部・上ナイル州の州都マラカルにて、MSFは内戦前より病院支援という形で活動していました。現在は国連や他NGOとともに活動しており、国連の民間人保護区域内に現地の人びと2万人以上が避難しているなか、MSFは避難民を対象とした仮設病院と、人口4万人の近郊の町での診療所にて、結核とカラアザール病(内臓リーシュマニア症)とER(救急救命)を担当しています。この地域の薬局の管理が今回の業務でした。

アシスタントの現地スタッフが1人、一緒に仕事をしていました。国連民間人保護区域内に与えられているスペースは限られており、コンテナ3台とMSFの自設の大テントで、医療物資の在庫の一部は首都のジュバで管理しなければならない状況でした。しかも救援物資の飛行機が到着するのは月に1回のみです。昼間の気温は日陰でも43度に達し、電気も数日に一度は供給が止まる環境のため、在庫の数と温度管理にとても気を使いました。

複数の避難民の家族が同じテントで暮らしている 複数の避難民の家族が同じテントで暮らしている

仮設病院は小児と大人用で20床ずつと、重症結核の治療室に6床あります。このプログラムでは医師・看護師の海外派遣スタッフ数が少なく、彼らの負担を減らすため、自分も看護師として夜間当直のローテーションに加わり、2~5日に1回は当直をしていました。私たち看護師が判断できないケースや重症例の場合は、医師に相談していました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
医薬品の配達でナイル川を船で進む 医薬品の配達でナイル川を船で進む

朝6時台に起床していましたが、朝方は気温が20度まで下がるのでとても寒く感じ、皆ブランケットを被っていました。7時半頃から、朝食を食べながら全スタッフのミーティングに参加し、各自の大まかなスケジュールを伝えあいます。その後は2台の車にわかれて病院へ、あるいは船で近郊の町へ向かいます。

薬局では、まずは冷蔵庫・冷凍庫・薬局内の温度チェックをします。規定以内で管理するために、電気が止まる際には予備電源につなげたり、動いている冷蔵庫やコールドチェーン用の保冷ボックスに移し替えたり、迅速に行わなければなりません。

また、病棟からの薬剤の注文に対して、過去の消費量と照らし合わせて配達量を細かくチェックしたり、棚卸しや使用期限の近いものを病棟の在庫と交換する作業を行います。さらに時間があるときを見つけては、コレラのアウトブレイクや内戦の負傷者急増など、有事の際に備えたキットを準備する作業を行います。

業務終了が午後6~8時で、あとは自由に過ごしていました。基本的に、MSFの活動は日曜休みですが、日曜日も薬局の温度チェックには行っていました。
勤務時間外は、仲間と散歩をしたり、読書をしたり、インターネットで日本のニュースを見たり、家族と連絡を取って過ごしました。

届けられる食品がほとんど乾物に限られているため、料理は思うようにはできませんでしたが、毎日誰かが作っていました。私もカレーやチャーハンなどをつくりました。ただ日中は暑すぎるため、日曜日はだれも活動せず横になっていました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

基本的に、住居と薬局の往復の毎日でした。住居は簡易テント内に蚊帳とベッドがあり、男女別の雑魚寝でした。住居用テントが4張と共有スペースと台所があり、トイレ・シャワーのコンテナはほかのNGOと共同です。シャワーは夕方込み合ったり、たまに水不足にもなりましたが、お湯も出るし、清掃担当スタッフが毎日清掃するので、基本的には問題なく使えました。

食事は毎日、米とパンで、料理スタッフが缶詰と手に入る限られた野菜でソースを作ってくれました。料理スタッフが作ってくれるのは基本ランチのみで、朝食は有り合わせのもので済ませ、夕食は誰かが皆の分を作るというルールでした。地中海系の海外派遣スタッフが大多数だったせいか、毎晩夕食は9時からと遅めでした。お腹がすいた時はこっそりランチの残りを夕方食べていました。

MSFのほかの活動と同様、洗濯は係のスタッフにお任せで、朝出して夕方かえってきました。インターネットはほとんど毎日通じましたが、携帯電話は不安定でした。空いている時間にはみんなで映画を見たりしました。今回初めてチェスを習い、将棋との違いを感じつつ遊ぶ時間もありました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
以前一緒に仕事をした看護師と偶然の再開 以前一緒に仕事をした看護師と偶然の再開

2013年に参加した初めてのMSFの活動で南スーダンに赴任した際、到着初日にそのまま現地スタッフの面接を行うことになったのですが、その時に採用して現地で一緒に5ヵ月働き、内戦激化の際には一緒に避難した現地看護師が、驚いたことにMSFの薬局の隣のコンテナでほかのNGOスタッフとして働いており、偶然の再会を果たしました。

避難時にあげた腕時計を彼がまだ身に着けてくれていたことが嬉しく、これをきっかけによく他団体の現地スタッフと一緒にお茶を飲み交流することができました。

普段看護師として働いていると、医薬品について薬剤師からサポートを受ける側なので、今回サポートをする側にたち、システムを理解する機会を得ることができました。温度管理や在庫管理など、知らなかった苦労を学び、感謝の気持ちと、新たな学びを得られたことを嬉しく思います。

Q今後の展望は?

ネパールの震災対応へ向かいます。今回もまた看護師・薬剤師のポジションのため、今回の経験を活かします。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

過去の記事にも書いていますが、まずはチャレンジしてみることをお勧めします。壁にぶつかって、試行錯誤の繰り返しで、楽なことはあまりありませんが、できることが少しずつ増えていき、やりがいと充実感も最後についてきます。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年3月~2014年9月
  • 派遣国:エチオピア
  • 活動地域:ガンベラ州
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年8月~2014年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:アウェイル
  • ポジション:看護師

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