海外派遣スタッフ体験談

空爆された病院を再建、人びとの温かさに触れる

畑井 智行

ポジション
正看護師
派遣国
イエメン
活動地域
サアダ
派遣期間
2016年6月~2016年8月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

タンザニアでの活動後、長い間受けたかった念願の緊急対応トレーニング(MSF主催)に参加してから帰国しました。トレーニング中から次の活動のオファーがいくつかありましたが、どれも現場の事情により延期や中止になりました

MSFに入るときからの目標である「緊急派遣チーム」に応募もしましたが、今回は選ばれませんでした。次の活動が決まりかけた時、熊本地震が発生し、MSFもすぐに緊急対応が立ち上がったため、立ち上げから撤収まで活動しました。

その後、いくつかのプロジェクトをオファーされた中から、最も緊急度の高いイエメンでの活動に参加を決めました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

初めてMSFに参加してから約3年間、まとまった休みを取っていなかったので、国内外の登山やダイビングを満喫して過ごしました。その間も、今後の活動に必要なフランス語を学習し始め、次の活動参加の決定を待ちました。決定後は、ビザ発行まで約2週間の空き時間があったため、フランスで旅行をしながら、語学実践練習をしていました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

今回の活動は新規プロジェクトの立ち上げでした。去年10月にイエメン北部で空爆されたMSFの支援病院の再建を含む、この地域の包括医療支援です。立ち上げは何度も経験している(エチオピアで難民キャンプ内外の病院・診療所立ち上げ、ネパールで震災後の病院再建)ので、自信をもって仕事ができました。

国は違っても手順や内容は同様のため、これまでの経験を生かし、先を見越して計画を立て、ほかのスタッフをリードし、実践していくことができました。過去の活動で作成した書類、システム、トレーニングなども、個々の場所に合わせて微調整し、役立てました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
薬局の立ち上げ、現地スタッフとともに 薬局の立ち上げ、現地スタッフとともに

イエメン北部のサアダ州で、空爆されたハイダン病院の再建と地域の医療支援を目的にしたプロジェクトでした。海外派遣スタッフは、プロジェクト・コーディネーター、医師、看護師、ロジスティシャンの4人でした。まず医師と役割分担をし、薬局管理と医療スタッフ指導を私が受けもちました。

MSFの活動は医療品がなければ始まりません。初めにすることの1つは、拠点となる中央薬局を立ち上げること。私は看護師ですが、これまでにMSFで薬剤マネジャーとして活動した経験があり、ここで大いに役立ちました。

中央薬局の立ち上げでは、薬剤倉庫として建物を借りることもありますが、今回の現場では、倉庫のような大きな建物はほぼ空爆で破壊されていること、海外派遣スタッフが居住する5階建ての住居には薬局として利用可能な小さな部屋がいくつもあること、治安は良い街だが別の倉庫への移動時間やコストも考えて、住居内に薬局を設置することになりました。

空爆で破壊されたハイダン病院 空爆で破壊されたハイダン病院

トラック数台で、MSFの別のプロジェクトがある街から薬剤を運び、受け取り確認から整理整頓までには時間もかかります。よく使うもの、そうでないもの、温度管理が必要なものなどに分けて、異なる部屋で管理するため、猛暑の中みんなで汗だらけになりながら運びました。

さらに、現地スタッフの薬剤師だけでなく地域の薬剤師も呼んで、薬剤管理のトレーニングも行いました。また、今後約1年間に必要な医療品の量を計算し追加で海外発注することも、過去に行った経験からスムーズにできました。

今回の活動では、この地域全体の医療支援のため、情勢を見ながら、町や村を視察に訪れることもありました。ここでは、今年受けた緊急対応トレーニングが役に立ちました。人口、ライフライン、アクセス、医療資源など、現場とデータをみてさまざまな角度から評価する視点をもって観察評価し、支援につなげていきました。

再開されたハイダン病院には多くの人が訪れた 再開されたハイダン病院には多くの人が訪れた

ハイダンの街は、空爆以降廃虚と化していたそうですが、半年以上経った今年の4月ごろから人びとが徐々に戻り始めたそうです。6月から、がれきと化した部分の撤去と残った建物の修復が始まりました。病院は、MSFが救急救命室(ER)を、現地保健省が外来だけ、簡易的にまず再開させました。その後ラマダンがあり、工事は予定より時間を要しました。

その間、準備段階として、医師、看護師、助産師、清掃担当者などのリクルート、勤務表制作、トレーニング、各科(ER、婦人科、産科、入院病棟、小児科)に合わせた医療品の設置、医療品以外(ベッド、カーテン、机、棚、カルテファイル、文房具など細部に至るまで)の手配を行いました。スタッフを集めるのには苦労しましたが、私の活動終了時までに病院再開を果たすことができました。

サウジアラビアとの国境が近い地域では銃撃戦も起こっているため、外傷では銃による創傷と交通事故が多く、呼吸器・消化器といった内科系疾患、栄養失調も見られました。この地域は山間部で雨期は短いのですが、それでも雨期にはマラリアも見られました。近辺には医療施設がないため、病院再開と同時に多くの方たちが受診に、また見学に訪れました。

現地の医療スタッフは、地元の経験者は大きな街の病院か別の場所に移ってしまっており、集まったのは経験の浅いスタッフがほとんどでした。そのため基礎の指導(清潔操作、薬の基礎知識、疾患と症状など)から必要でしたが、内戦環境による経験からか、外科系の手技はとてもよく身についていました。

また、集団災害対策(MCP:マスカジュアリティー・プラン)の準備やトレーニングも、以前内戦時の南スーダンやネパールでの経験を活かし、短期間で準備をスムーズに行うことができました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
空爆を避けるため移動の車にもMSFの旗を掲げる 空爆を避けるため移動の車にもMSFの旗を掲げる

毎朝4時から住居前のレンガ工場がエンジンを稼働し、巨大な音と地響きで目が覚めます。その後、礼拝を呼びかけるアザーンを聴きながら、6時までは横になり、起床後まず行うことは、薬局の電源交換(充電機から発電機へ)をします。そのまま薬局で冷蔵庫の温度点検も済ませます。その後シャワーと朝食を済ませます。

住居を出発する時間はセキュリティーの都合もあり不定にしてあります。7時から11時まで予定によって変わりました。8時以降に出発の時は、それまでに首都・サナアのコーディネーション・チームや別のプロジェクトの医療スタッフとメールでの情報交換をします。現地スタッフは8時から始業なので、薬局助手(ストアキーパー)にその日やその週の業務を説明・確認します。

行先は、車で片道30分程の街もあれば、4時間ほどの国境近くの村までさまざまでした。

病院を再建するハイダンの街までは、一部舗装されてはいますが何度も峠を越えるジグザグの道を車で片道約2時間弱かかります。チェックポイントの開く朝7時に出発しても、9時前に到着するとすでに外来には長蛇の列がありました。週に1度のペースで支援に行く街の診療所へは、空爆で橋が壊れているため、水位の低い所を探して川を渡り、未舗装のガタガタ道を片道約1時間半かけて、砂まみれになりながら行きました。

昼食は、現地で手配できる時は現地スタッフや工事の職人さんたちとみんなで一緒に食べます。時間がなくて、コーラとビスケットで済ませる時も多々ありました。

プロジェクト・コーディネーター、医療系の海外派遣スタッフの2人、ロジスティシャンは、それぞれ現地での予定は異なりますが、帰りのチェックポイントの通過の時間も事前申請で決まっているため、制限時間いっぱいまで会議、視察、指導、改善などをおこない、みんなで一緒に戻ります。

病院再建中、スタッフや工事の職人さんと囲む昼食 病院再建中、スタッフや工事の職人さんと囲む昼食

戻ってからは、まずは薬局に行き業務確認をします。出発が遅い時や帰宅が早い時など、まとまった時間が取れる時には、現地スタッフに対し、整理する時のコツや理由を指導・説明しながら一緒に作業をしたり、在庫管理用のストック・カードの記入指導、医薬品の内容を説明したりしました。

夜は、海外派遣スタッフの会議、データ分析、医師と打ち合わせ・指導計画・資料準備、薬局データ入力、ロジスティシャンと書類整理・会計処理、コーディネーション・チームとのメールのやりとりなどをします。

夕食は夜7~9時頃に、お腹がすいた人が食器を並べて号令をかけ、みんなでとります。車2台でチームが別々の活動をした日は、食事時にも仕事の話になりますが、それ以外の日はUEFAユーロ(サッカー)、ウィンブルドン(テニス)、ツール・ド・フランス(自転車競技)の話題になります。私以外は全員フランス人のため、話題の中心は各競技でどれだけフランス人が活躍しているか、フランス人が優勝するにはどうなればいいか(どうすれば、ではなく、若干、他力本願なところが面白い)でした。

白熱するとフランス語に切り替わるので、私のフランス語ではついていけないことも。落ち着きを取り戻してからは英語でまた、それぞれのスポーツで、最近の日本人の活躍選手の話題なども食い込ませながら、夕食を楽しみました。

イエメン料理は、油がやや多めですが、野菜もフルーツも豊富で、米や魚が出る時もあり、大満足でした。

夕食後は少し休息をとってから、残りの翌日準備やデータ入力・データ分析などを行いました。夜11時には薬局の電源を発電機から充電機に切り替えをします。就寝は12時から2時くらいでした。

イスラム教では金曜日が休日です。休日は、薬局の点検以外は、読書や音楽を聴いてのんびりしました。午後は料理スタッフがお休みのため、料理好きな医師と台所の取り合いになりました。結局は週交代制とし、2週間毎に料理を作っていました。

近くにMSFの別の活動チームも滞在しているので、月に1度ほど、食事の交流会をしました。日本のカレーや味噌汁、沖縄料理(自分が長く沖縄に住んでいたので)を作って招待もしました。運動不足のため、ジョギング機や縄跳びも時々していました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

住居を置いた街は、旧市街は空爆で多くの建物が破壊されていました。街の外れにある5階建ての家を借りていました。海外派遣スタッフは蚊帳付きベッドと棚と机だけの小さいけれど十分な個室で過ごせました。水シャワーはときどき水不足で止まりましたが、翌日までに水の補給がありました。大忙しのレンガ工場の向かいで、金曜日以外は騒音との戦いでもありました。

電気は自家発電と充電機。ソーラーパネルも設置しましたが不調でした。インターネットは、WiFiは接続許可が下りたり下りなかったりで、使えませんでした。USBキーのもので、接続は不安定で限られており非常に遅く、繋がりやすい時間を狙って作業をおこないました。仕事上のメールの送受信程度は可能でしたが、ネット検索もできず、家族や友人との交信には非常に苦労しました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
支援していた診療所に、家族の薬をとりにきた子どもたち 支援していた診療所に、家族の薬をとりにきた子どもたち

昔バックパッカーをしていたころ、パキスタン、バングラディッシュ、モロッコ、トルコといったイスラム教の国々を長期間旅したことはありますが、アラビア半島に来るのは今回が初めてでした。当時、バックパッカー仲間からもイエメンは勧められており、渡航を計画していた頃に内戦が始まり、中止せざるを得ませんでしたが、いつの日か絶対に行きたいと心に残っていました。

イスラム教の国々の人びとの人柄の良さ、料理のおいしさ、過ごし易さは、良い思い出として残っていましたが、イエメン派遣前は、初めてのアラビア半島ということで、ほかの派遣者から情報を得ていながらも、正直少し身構えていたところもありました。

しかし、いざ到着すると今まで訪れたイスラムの国々と同等以上の好印象で、本当に来て良かったと感じました。とにかく人が良い。北部の雄大な大自然は圧巻でした。ただ、美しい建築物が内戦で破壊されている姿と、長期化する内戦で町中がゴミだらけになり異臭を放っている環境で、子どもが育ち、人びとが生活している現状には心が痛みました。

仕事上で戸惑ったのは、男女の扱いの違いについて。医療スタッフは時に例外とされますが、男性看護師として、女性患者に接するときはやはり気を使います。IPD(入院病棟)も男女で建物が分かれているだけでなく、ERも男女別の部屋を作り、スタッフもできるだけ女性を配置するなど、現地の人たちの意見を聴き、考慮しました。

ハイダン病院が再開したときは、長老がわざわざ山を越えてお礼にきてくれた ハイダン病院が再開したときは、長老が
わざわざ山を越えてお礼にきてくれた

生活上でも、一般的に女性の写真を撮ることは禁止されており(カメラを出していると刑務所入り、夫や父親に撃たれる、などの話も聞きます)、よって街中の写真は禁止どころか、カメラも持ち歩けません。女性に触れてはいけなかったり、同室に入るのにも細かいルールがあったりしました。実際には、すべての行動の前に、聞いて許可を得る習慣が染み付きました。

また、これまで参加した活動では、現場で生活し、指導・支援が目の前で行えていましたが、今回は地域の移動に事前申請が必要なため、行動制限内での活動によるリモート・コントロールの難しさを実感しました。

空爆が続いたときは移動を中止するので、毎日臨機応変に計画修正していました。不安定な電話で通訳を通して情報を得たり依頼をしたりする状況も多く、その場にいるのといないのとでは、進行のスピードも異なり、情報の正確さも異なります。そのような状況の中、いかに予測し、信頼して依頼するか、試行錯誤の日々でした。

そこで、準備を入念にし、限られた1回の電話、1回の訪問の質を上げることに努力し、改善につなげていきました。活動が長期化すると信頼関係も成熟し、もっと向上していくと期待します。

Q今後の展望は?

休養しながら、次の派遣のオファーを待ちます。その間、活動中は時間がとれなかった、フランス語の学習を再開します。
(周りがフランス人ばかりだったので、ヒアリングだけは派遣中に上達しましたが)

MSFの活動中、最大の注意を払うことの1つが「歯」です。歯の治療ができない国がほとんどだからです。必ず虫歯の治療をしてから参加します。休養中は歯医者に診察に通います。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
活動終了時、現地スタッフがイエメン衣装をプレゼントしてくれた 活動終了時、現地スタッフがイエメン衣装を
プレゼントしてくれた

過去の記事にも書いていますが、まずはチャレンジしてみることをお勧めします。壁にぶつかって、試行錯誤の繰り返しで、楽なことはあまりありませんが、できることが少しずつ増えていき、やりがいと充実感も最後についてきます。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年7月~2015年10月
  • 派遣国:日本
  • 活動地域:熊本県
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2015年11月~2016年2月
  • 派遣国:タンザニア
  • 活動地域:キゴマ
  • ポジション:薬局責任者・管理者
  • 派遣期間:2015年7月~2015年10月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:チャーリーコット
  • ポジション:医療チームリーダー
  • 派遣期間:2015年5月~2015年6月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:カトマンズ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2015年3月~2015年5月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:マラカル
  • ポジション:看護師兼薬剤マネジャー
  • 派遣期間:2014年3月~2014年9月
  • 派遣国:エチオピア
  • 活動地域:ガンベラ州
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年8月~2014年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:アウェイル
  • ポジション:看護師

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