海外派遣スタッフ体験談

医療チームリーダーとして前回派遣地ネパールへ再び

畑井 智行

ポジション
医療チームリーダー
派遣国
ネパール
活動地域
チャーリーコット
派遣期間
2015年7月~2015年10月

Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

前回の派遣は、ネパール大震災の災害救援活動に参加させていただきました。ヘリコプターでしかたどり着けない村々への救援・医療物資の配布を主に行いました。この活動の終了時に、地域拠点病院の立ち上げの活動のオファーを受け、ログ・チームがテントなど設備の準備をする期間(約10日間)に一度帰国し、休息準備期間にあてることとなりました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

前回の派遣中、今回の活動場所は何度か訪れていたため、環境についてわかっていたことで、活動に必要な防寒具、非常食、雨具、ヘッドライトなどを準備するのに助かりました。あとはつかの間の休日を、家族と暮らす石垣島の海を眺めて過ごしていました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
大規模集団災害に備えたトレーニングを行った 大規模集団災害に備えたトレーニングを行った

今回のポジションは現場の医療チームリーダーで、初めての体験でした。過去のすべてのMSFでの活動経験に加え、同僚や過去のリーダーの行動も参考にしました。

今回は病院の立ち上げを行う活動だったので、過去の派遣経験(エチオピアでの病院・診療所の立ち上げや、南スーダンでの病棟看護師長や薬局管理、他にも医療スタッフの採用や指導の経験など)は、準備期間・運営期間ともに、とても役に立ちました。具体的な行動・計画がイメージしやすく、ほかのスタッフとの話し合いにも活かせ、現地人の文化・環境に合わせて調整し、活動をスムーズに進めることができたと思います。

また、マスカジュアリティー・プランといって、大規模集団災害が発生したケースを想定した対策計画を立てた経験も役に立ちました。病院立ち上げ初期に、緊急物品の準備と連絡系統を明確にし、医療者だけでなく、全スタッフにトレーニングを行い、数時間の訓練を行いました。

その後、実際にバス事故が発生したのですが、その際、現地スタッフは的確に行動できました。これは援助活動の運営という点だけでなく、地域住民の命を救うのにとても役に立てたと思います。

海外派遣スタッフの数は、私のほかに医療スタッフ6人(外科医、麻酔科医、内科医、手術室看護師長、指導看護師、検査技師)、非医療スタッフ4人(プロジェクト・コーディネーター、ロジスティシャン、水・衛生管理担当、アドミニストレーター)でした。現地スタッフは、医療スタッフ32人(内科医、看護師、レントゲン技師、薬剤師など)に加え、経理補助員、ロジスティシャンなど10人程でした。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
開院の準備をするスタッフ 開院の準備をするスタッフ

ネパールの首都カトマンズより東へ約130kmの場所に、ドラカという山岳の州があり、州都の町チャーリーコットでは、州で唯一の公立病院を建築中に2度目の大震災が起こりました。

大地震とその余震で被害を受けた地域は、数ヵ月たった後も、雨期による土砂崩れの影響もあり、そこから奥地への交通のほとんどが遮断されていました。震災当初は、MSFとネパール軍のみが、この町からヘリコプターで救援活動を行っていました。孤立して最も支援を必要とする地域が対象でした。

幸い建築中の病院施設では、強固な建物はほとんどダメージを受けず、一部に修復をした後、7月中旬に開院することが出来ました。MSFは、ER(救急)、手術室、IPD(入院病棟)を担当し、OPD(外来)、産科は州保健省が担当しました。検査室とレントゲン室は共同で担当しました。

私はこの中で、医療チームリーダー、薬局管理、ER看護師長として活動しました。医療チームリーダーとしての業務は、共同で運営する州保健省の責任者との打ち合わせ、世界保健機関(WHO)やユニセフ、赤十字などほかのNGOとの定期会議に出席すること、MSFの医療会議を定期的に行うほか、週ごとの統計やレポートを作成、首都やヨーロッパのMSF運営事務局との連絡調整です。

開院後、初手術の前にボードの記載を指導する(筆者右) 開院後、初手術の前にボードの記載を指導する(筆者右)

ほかにも、夜間も対応できるよう医療参加者での当直管理、医療スタッフの相談やアドバイス、他病院との連携調整、整形外科・脳外科・心臓外科・循環器内科・神経内科など、この病院で対応できない患者の転送調整および救急車の手配、現地スタッフのリクルート(募集・試験・面接)などを行いました。

薬局管理者としては、現地薬剤師を雇い、MSFの基準やシステムを教え、医療品や麻薬・劇薬の在庫管理、使用期限管理、冷蔵庫の温度管理、使用薬品の統計、海外発注の請求、他NGOとの寄贈の調整および書類作成を行いました。

ER看護師長としては、州保健省が担当する外来部門との調整(患者のトリアージ)、スタッフ指導、物品管理、勤務調整などを行いました。途中から、現地看護師を昇格させ、教育しながら任せていきました。

患者の症例は、内科疾患が主で呼吸器・消化器がほとんどでした。外科では帝王切開とバイク事故や転落による骨折の手術が主でした。ほかには、ヘビや犬による擦傷、地震によるPTSD(トラウマ)といった精神疾患もみられました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
現地の薬剤師、レントゲン技師、検査技師と 現地の薬剤師、レントゲン技師、検査技師と

ベースとなるテントで朝6時前に起床し、チームやヨーロッパのMSF運営事務局とメールでの情報交換をしました。7時から朝食。(開院前後は8時前にミーティングもありました。)8時から車で片道15分かけて皆で出勤。到着後、病院内各部署や離れた場所にある薬局テントを見て回り、9時からIPD回診。12時から昼食をとりにベースキャンプまで戻る人もいましたが、私は毎日近所の食堂でネパール版の焼きそばか蒸し餃子で済ませていました。

手術で人手が必要な時は、手術の外回り看護師もしました。レントゲン技師が1人しかいないため、夜間や週末はレントゲンを撮ることもありました。午後には、週に1度のNGO会議や、MSFの医療会議やスタッフ会議など、ほぼ毎日会議がありました。また政府や他団体の要人訪問の際には、病院案内を行っていました。

夕方6時に勤務は終わり、ベースキャンプに戻りました。夕食後は、メールや電話での情報交換や、薬局のデータ入力を行いました。時には、ビールを飲みながらゲームや雑談をして、気分転換する時間も持ちました。就寝は深夜11時から2時くらいでした。

海外派遣スタッフのチーム 海外派遣スタッフのチーム

また、週に1回は交替で夜間当直を組んでいたので、患者対応で夜中に病院に行くこともありました。当直ではない夜でも、症例によっては、お互い相談・報告が必要なこともあり、電話で起こし・起こされることもありました。

ネパールの休日は週に1度、土曜日です。いつもどおり朝6時に起き、まだ涼しいうちに海外派遣スタッフの同僚や現地スタッフと2時間サッカーをしました。芝生はなく、ヘリポートにもなるグランドで、雨期の水たまりの中、泥だらけになって皆で走り回っていました。

昼間は暑いので木陰で睡眠。午後は街で買い物をしたり、お茶を飲みに行ったりと、気分転換をしてすごしました。土曜日は調理担当のスタッフも休日のため、インドネシア人のロジスティシャンか私が、隔週に夕食を作るか、皆で外食をしていました。

Q現地での住居環境についておしえてください。
現場の住居はテント 現場の住居はテント

街の建物は地震で亀裂の入ったものが多く、安全性に問題があるため、MSFは郊外に土地を借り、コンクリートで地ならしをし、テントを建てて生活していました。湧水は豊富なため、水・衛生管理担当者(WATSAN)が水道を引き、水シャワーをつくってくれました。

山あいの郊外なので静かな環境でしたが、幹線道路沿いのため、早朝はトラックやバスの音で目を覚ましました。雨期が終わり10月になると、天気が良い日は6000m級の山々が目の前に見える素晴らしい景色の所でした。

食事や洗濯物も安心して任せられ、仕事に集中できたことはとてもありがたかったです。電気は毎日停電のため、自家発電。インターネットは天候や時間に左右され、試行錯誤の毎日でした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
チームの協力で無事に病院が開院。式典にて(筆者は前列中央の帽子姿) チームの協力で無事に病院が開院。
式典にて(筆者は前列中央の帽子姿)

今回初めて、医療チームリーダーというポジションを任されました。当初は薬局・ER看護師長との掛け持ちのため、計画通りに時間が割けず、苦労の毎日でした。しかし、過去の経験やほかのスタッフの協力のおかげで、優先順位を時間の経過とともに行え、なんとか開院・運営をすることができました。

開院2日前、医療品の配置が間に合わず、開院延期も検討しましたが、ほかのスタッフや現地スタッフ、近隣の診療所の協力のおかげでなんとか時間内に回収・代品補充でき、予定通り開院できました。

近隣の診療所の医師たちは、「ネパールのために来てくれてありがとう。そんなあなた方が困っているときに、助けあうのは当たり前です」と、無償で医薬品を提供しようとしてくれたことには、感銘を受けました。(もちろん後日医薬品は補完しました。)

現地の医師とともに 現地の医師とともに

また、ネパールは自然や農作物がとても豊かな国ですが、経済的には、特に地方には貧しい方たちが多い印象です。そんな中でも、困っている人には、家族や友人でなくても関係なく、笑顔で食物を分け合う姿をよく目にしました。

MSFは医療を無償で提供しており、現地の人びとから寄贈を受けることはありません。患者や家族にもそのように説明しますが、それでも「金銭はないから代わりに」と、農作物や布をお礼に持ってきてくれる人たちが多数いました。(再度説明して、受け取ることはしないのですが、なかには魚や家畜を持ってくる人も!)さらに、普段生活している中で、病院でも街中でも、怒ったり喧嘩をしている姿はまず目にすることがなく、その意味で、とても豊かな国民性を感じました。

Q今後の展望は?

今回の活動終了時(10月)にパキスタン・アフガニスタンで大地震が起きるなど、MSFの活動が検討される状況が世界中で起きています。ほかにも、シリアやブルンジや南スーダンなどからの難民救援活動も続いています。

すでにいくつか派遣のオファーをもらっているので、これらの中から派遣先を決めたいと思います。また、今回経験した医療チームリーダーというポジションで今後も活動できるよう、来年はMSFの研修に参加する予定です。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

過去の記事にも書いていますが、まずはチャレンジしてみることをお勧めします。壁にぶつかって、試行錯誤の繰り返しで、楽なことはあまりありませんが、できることが少しずつ増えていき、やりがいと充実感も最後についてきます。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年5月~2015年6月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:カトマンズ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2015年3月~2015年5月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:マラカル
  • ポジション:看護師兼薬剤マネジャー
  • 派遣期間:2014年3月~2014年9月
  • 派遣国:エチオピア
  • 活動地域:ガンベラ州
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年8月~2014年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:アウェイル
  • ポジション:看護師

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