海外派遣スタッフ体験談

封鎖状態のガザで人びとの強さと明るさに触れる

白川 優子

ポジション
正看護師
派遣国
パレスチナ自治区
活動地域
ガザ
派遣期間
2015年12月~2016年4月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今回が10回目の派遣だったのですが、前回のイエメン派遣後からすでに次の依頼を受ける準備ができていました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

前回のイエメン派遣からの帰国後、3週間での出発でした。

その間に、看護学校の講義や講演、引っ越しなどが重なり目まぐるしい日々でした。年末の出発だったのでお正月に家族と過ごせない事もあり、空いた時間は家族との交流を大切に過ごしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

今回は初めて担う役割も含むポジションのオファーで、承諾するまでに躊躇(ちゅうちょ)があり、引き受けてからも不安はありました。

それでも、数多くの過去の派遣経験の中で、引き受けたポジション以外の役割をこなす事というのは多々あり、実際、今回の現場でもすべてが初業務だったという訳ではなく、過去の派遣経験は確実に役に立ちました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
到着初日、クリニックのスタッフに大歓迎を受ける 到着初日、クリニックのスタッフに大歓迎を受ける

MSFが運営する2つのクリニックで、銃創と熱傷の2つのケースを対象としたプロジェクトを展開していました。ここでは治療とリハビリをメインに提供し、私は両方のクリニックの全職員を管理する役割を務めました。

スタッフの職種は医師、渉外オフィサー(医療機関がたくさんあったのでお互いの連携・連絡係。情報交換をして患者を適正な場所にお互いに紹介しあうなどの業務を担う)、看護師、理学療法士、清掃スタッフ、滅菌担当スタッフ、受付担当など計50人ほどです。

業務内容は、職員の勤務の管理、業務の質の管理・改善、教育・トレーニングが主で、さらに3つ目のクリニックを開くための場所の視察、関係機関との交渉なども行っていました。

また下記にも述べますが、特に銃創の患者さんに対してはけがの治療を提供するだけが問題解決でない事に目を向け、患者さんの抱える精神的な問題を扱う新たなプログラムとしてヘルスプロモーターを雇用し、患者さんの精神的なサポートにも取り組み始めました。

この新たな取り組みは私が現地を去る1ヵ月前に実現したのですが、患者さんたちからはさっそく「われわれの抱えている思いを聞いてくれる、知ってくれる事がうれしい」との反応がありました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
仕事が一息ついて、女性スタッフとリラックス 仕事が一息ついて、女性スタッフとリラックス

朝は8時よりセキュリティ情報のシェアをメインとする朝礼がオフィスで行われます。オフィスから徒歩数分の場所に1つ目のクリニックがあり、ここが医療現場ではありますが、実際は管理業務のため、オフィスでのパソコンワークと半々でした。

2つ目のクリニックは車で45分離れた場所にあるため、週2回くらい訪問をして、スタッフの業務の管理を行いました。業務終了は夕方6時から7時でしたが、自分でコントロールをしていました。

勤務時間外で私が楽しみにしていたのはマンツーマンのアラビア語レッスンです。今までもアラビア語圏での派遣が多く、独自で学習をしていましたが、今回本格的に習ったことで語学力が飛躍的に伸びました。(この派遣後にイエメンに出発したのですが、イエメンの現地スタッフと外国人スタッフの間の英語・アラビア語の通訳ができるまでになりました)

Q現地での住居環境についておしえてください。
突然の停電、ライトで照らして処置をしたことも 突然の停電、ライトで照らして処置をしたことも

いわゆる団地のような建物の2フロアを借り切って、海外派遣スタッフ4~6人でシェア生活をしていました。キッチンとシャワー・トイレは共同でしたが、部屋は個室を割り当てられとても快適でした。

ほかのプロジェクトと同様に料理と掃除担当のスタッフがいました。うれしい事に野菜が割と手に入ったので、過去の派遣生活でありがちだったビタミン不足の悩みを抱える事はありませんでした。また地中海で採れるシーフードも楽しみにしていたメニューの1つでした。

水道からの水はしょっぱく、飲用ができませんでしたが、シャワーはその水で浴びるしかありませんでした。電力不足は不便でしたが、時間を決めて発電機を使えていたのでお湯のシャワーも浴びる事ができました。ただ、その冬はとても寒く、電気が通らない多くの一般家庭では極寒の夜を過ごさなくてはならず、われわれスタッフも含め上気道炎が大流行していました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
知り合ったばかりでも明るく接してくれるガザの人びと 知り合ったばかりでも明るく接してくれるガザの人びと

ガザはほぼ完全に封鎖をされてしまっている地区です。いつか開放される事ばかりを願って閉じ込められている住人が約180万人います。そんな閉ざされた地区で、2014年に起きた空爆は多くの命と家や仕事場を失い、上下水道や電力供給システムが破壊され、人びとが避難をしている間に畑が荒地となり、そしてまた多くの人が傷つきました。

今回、私がガザに到着したときの第一印象で、びっくりした事でもあるのは、ガザの人びとがとにかく明るくオープンだった事です。道を歩くと誰もが「こんにちは」と笑顔で話しかけてくれます。でも、そんな彼らがいまだに心に大きな悲しみと傷を負っている事を理解するのに時間はかかりませんでした。

クリニックでは老若男女さまざまな患者さんが日々通っていましたが、長年封鎖されている事に加え、前回の戦争の傷をまだ負い続けている人びとの間では、次の戦争がそろそろ勃発するのではないかといううわさやそれに対する恐怖を語る事が日常の会話だったのです。

また、狭いガザ地区の中には6つの大学があり、高い専門教育を受けた市民が多いにも関わらず卒業後は慢性的な雇用の問題に直面し、大学卒業後にまったく職に就くことができずにいる、行き場のない若者が目立ちました。

そういう若者を中心とした人びとが、外界との境目で開放を訴えるデモ活動を行い、銃で弾圧され、そして身体も精神も傷ついてしまいます。そういう患者さんを多く診てきました。身体の傷が治って動けるようになったらまた新たにデモに参加し、そして新たな傷を負ってクリニックに戻ってくる事を繰り返す患者さんを診ながら、医療提供をするだけが問題の根本解決に繋がらないのでは、というジレンマを抱え続けた4ヵ月でした。

Q今後の展望は?

今回初めて担う新しい任務をこなし、今まで手術室看護師として参加してきた活動での、手術室中心の枠を超え、医療施設の全スタッフを管理する業務に自信が持てました。今後の派遣活動にも幅が広がり、今後どんな依頼が来るのか楽しみにしているところです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

世界には医療を必要としているにも関わらず、医療アクセスのない人びとがいます。そういう現場では私たちのような派遣スタッフ一人ひとりの価値が大きく、出向けば必ず援助につながります。

もちろん矛盾や非人道的な事が行われている現実に目を向けなくてはならない事もあり、精神的につらく心が痛む事も多々あります。しかしそういう現場だからこそMSFのような団体が出向いて活動する事に意義があり、実際の活動を通じてやりがいを感じる事が出来ると思います。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年4月~2015年5月
  • 派遣国:ネパール
  • 活動地域:バクタプル、アルガト
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2014年12月~2014年12月
  • 派遣国:フィリピン
  • 活動地域:レイテ島
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2014年2月~2014年4月
  • 派遣国:南スーダン
  • 活動地域:マラカル
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2013年6月~2013年9月
  • 派遣国:シリア
  • 活動地域:-
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2012年6月~2012年8月
  • 派遣国:イエメン
  • 活動地域:アデン
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2011年7月~2012年1月
  • 派遣国:パキスタン
  • 活動地域:ペシャワール
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2010年8月~2011年4月
  • 派遣国:スリランカ
  • 活動地域:ポイント・ペドロ
  • ポジション:手術室看護師

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