海外派遣スタッフ体験談
スタッフとの交流でパキスタンを知る
白川優子
- ポジション
- 手術室看護師
- 派遣国
- パキスタン
- 活動地域
- ペシャワール
- 派遣期間
- 2011年7月~ 2011年12月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
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子供の時に「国境なき医師団」という名前を目にして衝撃が走りました。かなり昔の事になりますが、今でもその時の感覚を覚えています。以来、MSFは夢や憧れというよりは高嶺の花のような形で私の心の中にずっと存在していました。成人して看護師になり、いつまでも変わらぬ想いから英語の勉強を始め、海外経験を積み、その後いろいろな良いタイミングが重なってついに2010年にMSFに初参加することができました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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日本でトータル7年間、外科・産婦人科を中心に病棟と手術室で働いていました。その後、オーストラリアに留学し、現地で看護師の資格と永住権を取る事ができました。
その後は、MSFに初参加するまでオーストラリアの手術室で働いていました。チームリーダーや学生指導・新人指導なども時々担当していましたので、この指導経験がMSFの活動でとても役にたちました。
オーストラリアは多人種・多文化です。世界中の訛りの英語で鍛えられ、いろいろな国の文化や生活習慣の違いなども経験することができましたので、MSFでの生活には溶け込みやすかったです。オーストラリアで何回もキャンプの旅に出たり、東南アジアで3ヵ月の安宿1人旅をしたりという経験もMSFでの生活に役に立っています。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?
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手術室のスタッフと休憩タイム
MSFはペシャワールで、2011年5月にハイリスクと救急専門の産科病院を設立しました。難民キャンプを中心とした貧困層対象の病院です。私はそこへ、手術室のマネージャーとして6ヵ月間派遣されました。
私が到着したのは設立から約3ヵ月後です。前任者が現地の手術室ナース4人、掃除担当2人、滅菌担当係1人を雇っていて、現場教育をしていたところを引き継ぎました。設立されたばかりという事情のほか、さまざまな理由が絡みあって患者さんの数が少なく、手術室の稼働率が本当に低いものでした。
そんな中でも、いつ来るか分からない患者さんの為に、24時間いつでも救急が受け入れられる態勢を作っていくのが私の仕事でした。スタッフの教育、人員管理、物品や薬品の管理などです。新たにスタッフを増やし、24時間体制を完全にしていきました。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
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「私の週末料理をチームのみんなが楽しみにしてくれました」
パキスタンは本当に不安定な国ですが、幸いにもペシャワールは比較的治安が安定しており、狭い範囲ですが病院と家の他にも出かけていい場所がありました。その範囲内にはレストランやクラフトショップなどが含まれていましたので、みんなで週末に出かけていました。
治安状況で家からまったく出られない時もありましたが、そんな時でも家の中で、パーティ、映画鑑賞会、ゲームなど誰かが何かしら楽しい事を始めてくれ、飽きる事がなかったです。スリランカの初回派遣でもそうでしたが、私は料理をする事が大好きで、チームのみんなも大量に作る私の週末料理を楽しみにしてくれていました。
パキスタンでは1週間もらえる休暇は国外で過ごすように言われています。私は日本に帰国し、家族と過ごしました。他のスタッフは旅行許可の出ている近隣の国で休暇を取っていました。その他に首都イスラマバードでの2泊の休暇をもらえました。首都ではジーパンを履いた男性や、顔や頭を出して歩く女性の姿も珍しくなく、ショッピングモールや美術館などを自由に歩きまわりながら、オープンな都会のパキスタンを楽しむ事ができました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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庭つきの大きな家にチーム全員が共同で住んでいました。門には門番とドライバーが常に待機していてくれます。また料理人、洗濯・掃除係のスタッフが毎日私たちの世話をしてくれます。私の部屋にはなかったのですが(泣)、ほとんどの部屋にそれぞれトイレとシャワーがついていて、なんと全室クーラー付き。40度、50度の猛暑も乗り切れました。
とても素敵な庭にはテーブルとイスがあり、コーヒーを飲みながら読書、なんていう贅沢な時間も持てました。私がいた間にはとても寒い冬も到来しましたが、ホットシャワーも問題なく使え、それぞれの部屋に暖房もついていたので、本当に不自由のない生活を送れたと思います。他のプロジェクトに比べるととても恵まれた環境だったのではないかと思います。
- Q良かったこと・辛かったこと
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良かった事は、やはり地元パキスタンの人達と6ヵ月も一緒に仕事をすることができた事です。私が一番好きだった時間は、仕事の合間のティータイムでした。このティータイムでの地元のスタッフとたわいもないおしゃべりをしながら、本当の意味での生のパキスタン社会に接する事ができたと思っています。前回のスリランカミッションでも同じでしたが、私が接したパキスタン人も心から家族や友人を愛し、家族を守るために働き、テロや誘拐などの惨事に心を痛め、心から平和を願う人民でした。昔ながらの部族社会を保持しつつも、近代社会的な考えも備え持てる柔軟で寛容な人達でした。
辛かった事というか、大変悩まされた事は、地元スタッフの仕事に対する意識です。「仕事に就いている」という事が彼ら・彼女らにとっては重要で、「仕事そのもの」に対しての意欲はいつも私の期待より低いほうに差が生じてしまっていました。
毎日の遅刻、突然の欠勤は日常茶飯事。救急病院として24時間常にスタッフがそろっていないといけない状況の中、彼ら・彼女らなりの理由も毎日たくさんあり、私もどこまで厳しくし、どこまで柔軟になるべきかのバランスを保つ事が大変でした。
この事に関しては彼らの人生の歴史や社会的背景も絡んでいて、私としても考えさせられましたし、いい勉強になりました。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
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日本の実家でのんびり甘えた生活を楽しんでします。次の派遣の話が来るのを楽しみにしています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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MSFではいろんな体験ができるので、視野が一気に広がります。自分の人間的な成長や、世界情勢をまさに世界規模の視点で見られる事など、個人的に得られる事も毎回たくさんあります。
もちろん素晴らしい事だけでは決してなく、とても悲惨な体験をする事もありますし、また矛盾と思える事や理不尽と思えるような事にも対応していかなくてはならない場面にも遭遇します。職業人としての技術だけでなく、人間的な成熟も求められます。
でも、同じ志を持った仲間が世界中から集まり、助け合いながら1つの目標に向かって仕事をするという事は何よりも素晴らしい人生の宝になると思います。体験してみないと分からない事もありますので、希望されている方は、ぜひ思い切って参加してみる事をお勧めします。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2010年8月~2011年4月
- 派遣国:スリランカ
- プログラム地域:ポイントペドロ
- ポジション:手術室看護師