海外派遣スタッフ体験談

止むことのない緊急事態に対応

白川優子

ポジション
手術室看護師
派遣国
シリア
活動地域
派遣期間
2012年9月~2012年12月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

子供の時に「国境なき医師団」という名前を目にして衝撃が走りました。かなり昔のことになりますが、今でもその時の感覚を覚えています。以来、MSFは夢や憧れというよりは高嶺の花のような形で私の心の中にずっと存在していました。

成人して看護師になり、いつまでも変わらぬ想いから英語の勉強を始め、海外経験を積み、その後いろいろな良いタイミングが重なって、ついに2010年にMSFに初参加することができました。以来、今回で4回目の派遣になります。

Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

日本でトータル7年間、外科・産婦人科を中心に病棟と手術室で働いていました。その後、オーストラリアに留学し、現地で看護師の資格と永住権を取ることができました。その後は、MSFに初参加するまでオーストラリアで働いていました。チームリーダーや学生指導・新人指導なども時々担当していましたので、この指導経験がMSFの活動でとても役にたちました。

オーストラリアは多人種・多文化です。世界中の訛りの英語で鍛えられ、いろいろな国の文化や生活習慣の違いなども経験することができましたので、MSFでの生活には溶け込みやすかったです。オーストラリアで何回もキャンプの旅に出たり、東南アジアで3ヵ月の安宿1人旅をしたりという経験もMSFでの生活に役に立っています。

今回は4回目の派遣でしたが、過去のすべての派遣経験があらゆる面で役に立ちました。特に今回は、前回のイエメンに引き続き2回目の外傷専門のプロジェクトで、イエメンでの技術経験を100%活かす事ができました。イエメンでの経験がなかったら乗り切ることが難しかったかもしれません。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?
負傷した人の治療にあたる白川さん(右)

シリア国内での情勢は報道でもご存知の通りの事かと思いますが、紛争はあちこちで繰り広げられ、兵士だけではなく多くの市民が現在も爆撃などの被害に遭っているという悲惨な状況です。公立病院は政府支持者しか受け入れない仕組みになってしまい、他の病院は攻撃の対象となっているような状況でした。けがをした市民は検問を避けながら徒歩で近隣国に逃れるか、反政府側が命がけで隠れて作った医療施設に行くしかありませんでした。

MSFはこうした状況の中、緊急プログラムを立ち上げました。ここはシリア政府の許可がなく、場所もいまだに表明していませんが、そこまでしてでも立ち上げたMSF病院の存在意義は非常に大きいものと感じています。

普通の家を改装して作った仮設病院ですが、救急・蘇生室・オペ室・リカバリー室・滅菌室・薬局・滅菌室・病棟にきちんと分けられていて、病院としてきちんと機能していました。

それでも、やはり患者さんを受け入れるには限界があり、普通ならばもっと長く入院しなくてはならない患者さんをほかの重傷な患者さんのために退院させるなど、優先順位をつけて対応するしかありませんでした。

私が3ヵ月活動した中で実際に目にした患者さんは、7~8割くらいが一般市民で、ほとんどが空爆の被害者でした。私が到着する以前は、戦闘が近くで起こり、銃撃戦に巻き込まれた患者さんも多かったようです。

手術室の様子

検問を逃れるために遠回りをしながら何時間もかけて病院に到着する市民をたくさん見ました。兵士が乗ったジープが勢いよく到着し、荷台から負傷した仲間を次々に病院に降ろした途端にまたものすごい勢いで戦闘に戻っていく、なんていう光景も見られました。

血だらけで運ばれてくる赤ちゃんも何人も見ました。銃で撃たれた妊婦さんも来ました。緊急搬送されて手術後に目が覚め、その時初めて、自分だけが助かり家族は死んでしまったことを知った患者さんたちも見てきました。アレッポなどの大都市で将来の夢を見ながら大学生活を送っていた若者たちが病院のベッドで絶望している姿は何度も見てきました。

私は今回も手術室看護師として派遣され、手術室・リカバリー室・滅菌室・清掃係(感染予防)・洗濯係の責任者として働いていました。現地では、手術室看護師の採用が難しく、ホントに忙しいミッションでした。

3ヵ月の間には資格を持った手術室のナースがそろってきたという事もあり、最後の方は何とか余裕をもってまわすことができました。

Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?

近隣の国に行き2泊の休暇を取る事ができました。毎日止むことのない緊急の連続で24時間オンコールをしていましたから、この休暇は体と精神を休める為には本当にありがたかったです。この休暇以外でも、時には現地スタッフのお家に招待され楽しく食事をご馳走になったり、近所のバザールに行ったりする時間もありました。

Q現地での住居環境についておしえてください。
病院のバルコニーにマットを設置

病院内に場所をみつけて生活していました。屋上が人気ありましたが、私はバルコニーにマットを敷いて寝ていました。徒歩1分以内の場所にスタッフ用の家もありましたが、その家も狭くて雑魚寝状態に変わりはなかったこともあり、手術室チームは夜の緊急に備え、敢えて病院内で寝泊まりすることを選んでいました。

私が到着した9月はとても暑く、帰国1ヵ月前の11月はとても寒かったです。寒さしのぎにペットボトルにお湯を入れ、それを抱えて寝ていました。ここまで寒くなるのを想定していなかった私の準備不足でした。

シャワーは今では条件付きでお湯が出るようになりましたが、お湯が出なくても水シャワーで平気なスタッフもたくさんいました。私はお湯が出る時だけシャワーを浴びていました。

狭い病院で、さらに現地スタッフもたくさん勤務している病院で寝泊まりするということは、プライバシーはほとんどのぞめない状態でした。特に、私が寝ていたバルコニーはスタッフの休憩所で、冷蔵庫もあり、喫煙所でもあり、さらにはミーティングにも使われていた場所でもありましたので、しょっちゅう人の出入りがありましたし、1人の静寂な時間というのはまずありませんでした。それでも、その時は全く不自由という概念は湧きませんでした。難民キャンプで生活する人々に比べるとこれでも恵まれた生活環境だったことに間違いありません。

Q良かったこと・辛かったこと

新しい土地で新しい仲間と出会えることは毎回素晴らしいことだと感じています。いつもながら、今回もまた、新しく出会った現地の人々に温かい心で迎えられ、そんな彼らとみんなで一緒に仕事ができたことは人生の財産です。

病院が小さく、とてもアットホームだったこともあり、患者さんや現地スタッフたちとの距離も近く、そういう意味では現地の人々とより深く交流を深められました。緊急のない夜は雑談を交わしたり、夜食を買ってきてもらって一緒に食べたりなど、特に夜はスタッフと交流を深める最適の時間でした。

今回一番嬉しかったことは、自分のアラビア語がだんだん上達してきたことです。アラビア語習得もスタッフや患者さんとの交流で得られました。感動した場面もたくさんあります。

こういう状況下だからなのか、それともイスラムという文化がそうなのか、現地スタッフも患者さんも他人同士が自分の家族のように心から助け合う姿は本当に感動し、心を打たれました。一緒に働いた外国人メンバー達も素晴らしい人達ばかりで、ホントに気持ちよく仕事ができました。

辛かったことは、こんな温かい人びとと別れ、現地を去ったことです。帰国がだんだんと迫り、お互いに別れが辛い中、予定よりも早く別れが来てしまいました。病院を去って帰国してからも、しばらく頭の中は、別れもろくに言えなかった現地スタッフたちとの思い出や、やり残してきた業務の事ばかりでいっぱいでした。

Q派遣期間を終えて帰国後は?

今回は本当にハードなミッションでしたから、しばらく実家で何も考えずにゆっくりしたいと思います。

これを書いている現在は帰国して3週間が経ちました。残してきたスタッフたちや被害に遭っている市民が、しばらく心配でその事ばかり考えていたり、飛行機の音に敏感に反応してしまったりしてましたが、最近ようやく平常に戻りつつあります。また、MSFでは現地で経験したことを世間に伝えることもミッションの1つとされており、私も実際に取材に応じたり、講演を引き受けたりしています。今後もそのようなお話があれば引き受けていきたいと思っています。あと1ヵ月くらいはゆっくりして、その後、また次の派遣の話が来ればいいな、と思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

今までの「派遣者の声」も参考にして下さいね。

世界には、助けを必要としている場所がたくさんあります。私たちは日本という恵まれた国でたくさんの技術や知識を培っています。私たちが持っているものを用いて、それを必要としている世界にぜひ貢献してみませんか?

MSFではこのような同じ志を持った仲間が世界中からたくさん集まり、1つの目標を持って活動しています。その一員となって活動することによって自分自身が得られるものはとても大きいですし、ぜひ思い切って1歩を踏み出してみて下さい。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2012年6月~8月
  • 派遣国:イエメン
  • プログラム地域:アデン
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2011年7月~12月
  • 派遣国:パキスタン
  • プログラム地域:ペシャワール
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2010年8月~2011年4月
  • 派遣国:スリランカ
  • プログラム地域:ポイント・ペドロ
  • ポジション:外科看護師

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