海外派遣スタッフ体験談

プロフェッショナルな出会いに感謝!

小島 毬奈

ポジション
助産師
派遣国
イタリア
活動地域
シチリア島、地中海
派遣期間
2016年11月〜2017年2月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回のレバノンでの活動を終える2016年9月頃には、年末は次の活動地で過ごそうかなと考えていました。たまたま、希望していた期間とあった活動が見つかり、自分が思っていた予定よりも早く出発しました。

なぜ再び参加しようと思ったのかは、難しい質問です。毎回、活動地ではうんざりする事もあるものの、最後には達成感を味わうなど言わずと知れたこと。そのため、また行こうかなと思ってしまうものです。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

これまでと同じく、都内の産科クリニックでアルバイトをしていました。友だちと旅行に行ったり、日本食を食べていたりしたら、あっという間に次のミッションになりました。日本にいると、時の流れが早くて驚きます。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

前回、前々回とシリア人難民を対象とした活動でした。今回、初めてアフリカ系の人たちと出会うことができて新しい体験になりました。

活動経験を重ねると、自分のストレスサインがわかってきます。限られた人たちと慣れない環境での共同生活でストレスをためないことは不可能ですが、距離感を大切にして早めに対処できるようになった気がしました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
無事に救助された子どもを抱っこ 無事に救助された子どもを抱っこ

イタリアのシチリア島を拠点とする捜索・救助船に乗り、地中海にボートで出航して漂流している人びとを見つけ、助け出す活動でした。救助した人びとに医療ケアを提供し、イタリアに無事送り届けるところまでを手がけていました。

その活動の中で、私の担当は、主に女性と子どものケアにあたることでした。救助された人びとの出身地であるアフリカ諸国や渡欧の中継地点となっているリビアで、性暴力を受けている女性が多くいました。私はそうした方々のカウンセリングを行っていました。また、妊娠している女性がいれば妊婦検診をし、船内での分娩介助もありました。

カメラに笑顔を向ける子どもも カメラに笑顔を向ける子どもも

船内ではMSFスタッフのほか、水難レスキューの市民団体「SOS メディテラネ」のチームや、船の操縦管理をするクルーと共同で働きました。MSFは7~8人、SOSが10人前後、クルーが10人、常時30人ほどの体制でした。

船は定員700人で、最大678人を乗せた時には、寝る間も食べる間も惜しむほど忙しく、とにかく、救助した人びとと自分たち全員が安全に生きてイタリアに着くことが目的でした。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
甲板をデッキブラシでせっせと掃除 甲板をデッキブラシでせっせと掃除

船は、シチリア島東部のカターニャを起点とし、出港から帰港までの1ローテーションが3週間でした。

港にいる時は、食糧の補充、レスキューキットの補充、船の掃除をします。出港すると、まずはリビア沖のレスキューゾーンと呼ばれている地点に向かいます。天候にもよりますが、到着まで1日半ほどかかります。

航行中は船酔い防止のためにひたすら寝たり、合同ミーティングをしたり、集団災害対策(マス・カジュアリティー・プラン)の練習をしたり、甲板で皆で食事をしたりしました。

救助された人びとを出迎える 救助された人びとを出迎える

遭難しているボートを見つけると、できるだけ接近してから小型ボートを下ろし、救助に向かいます。救助した人は、治療の優先度を判断するトリアージを受けます。ボートの燃料が漏れていることもあり、ガソリンの臭いがする人はシャワーと着替えをしてもらいます。救助されると間もなく、多くの人は疲れと恐怖から解放され深い眠りにつきます。

救助者が一定の人数に達するまでレスキューゾーン内を巡航して活動を続けます。船内では食事の配給の準備や巡視をします。一定人数に達すると帰港し、救助した人びとを送り届け、物品の補充をし、翌日か翌々日にはまたレスキューゾーンに戻る、という繰り返しでした。

陸に戻った時には、みんなで近くのレストランに行って、陸生活を楽しみました。シチリアの色んな港に行けたのは楽しかったです。

Q現地での住居環境について教えてください。
日常生活もデスクワークも船の中 日常生活もデスクワークも船の中

船の中に住んでいました。キャビンと呼ばれる部屋が1人ずつ割り当てられ、プライバシーは守られていました。シャワー、トイレは共有ですが、シャワーもお湯が出ますし、ジムもあり、食堂には常に食事があり、ビュッフェ形式でとても美味しかったです。

基本的な生活に苦労はしなかったですが、最初の2日間は船酔いに苦労しました。あまり酔うタイプではないので、きっと平気だろうとタカをくくっていたのですが、初日は出港20分でトイレで撃沈しました。それ以降は慣れて、問題なかったです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

一番印象に残っているのは、お産があったことです。その女性は夜中に救助され、明け方に陣痛が始まり、昼間にお産になりました。ヘリで港まで搬送する可能性が頭をよぎりましたが、最低5時間かかると聞いてその可能性は消えました。経産婦だったので最後は一気に追い上げ、元気に生まれてくれて良かったです。みんなかなり疲れていた時期だったので、赤ちゃんの誕生には誰もが興奮し、良い思い出になりました。

SOSのイタリア支部が母子の身元を引き受けてくれたため、施設に入居した母子に会いに行くことができました。彼女も性的被害者でした。人身売買で売られた境遇だったのですが、洗脳されていたのか、このような状況になってもまだ、密入国・人身売買ビジネスの業者の電話番号を持っていました。

女性の性的被害、特に強姦から妊娠にいたるケースがかなり多かったです。リビアでの女性の人身売買の実情は、鳥肌が立つほどの怒りを覚えます。

黒人差別がひどく、女性の多くは、イタリアにいる密入国・人身売買ビジネスの業者に売られて地中海を渡ってきたのです。

「イタリアに来たくて来たんじゃない、銃で脅され、行きたくないといえばその場で銃で撃たれる」
「ボートの周りには死体が浮いていて、ボートに乗るしかなかった」
「イタリアに向かってるけど、でも、もう帰れない、どうすればいいかわからない」

そんな女性たちを目の当たりにしてとても無力に感じました。救助した中でどれだけの人が人身売買業者に捕まることなく、言葉のわからないイタリアで幸せな生活ができるのか。私たちの活動は送り届けるところまでですが、実際にはその後の課題がたくさん残っていると思います。

イタリアに限らず、"難民"があまり歓迎されていないのが現状です。どこの港に送り届けるか、交渉が難航することもしばしばでした。また、地元の人とレストランで会話していて、捜索・救助船で働いていると話すとあまりいい顔をされないこともありました。

初めて他の援助団体と働き、たくさんの職種の人と出会うことができ、世界は広いなーと再認識しました。たくさんのプロフェッショナルな人との出会いに感謝です。

Q今後の展望は?

しばらく、日本の臨床で働いてまた派遣要請を受けたいと思っています。今回もまた、片言のフランス語で悔しい思いをしたので、もっとフランス語を……ぼちぼちがんばります。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

待ってます。

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