海外派遣スタッフ体験談

開業医から国境なき医師団へ──小児科医として世界の子どもの命を守る

2024年05月29日

金子 光延

職種
小児科医
活動地
タンザニア
活動期間
2023年4月~10月

1986年に大学卒業後、福岡、大分、神奈川、静岡の基幹病院にて小児科を中心に勤務し、2002年に小児科クリニックを開院。国境なき医師団の活動には2023年から参加。

クリニックを後任に譲り、国境なき医師団へ参加

これからの世界をつくる子どものための医療をしたい──。その思いから小児科医になり、複数の病院勤務を経て2002年に神奈川県で小児科クリニックを開院しました。それからおよそ20年にわたり、地域の子どもたちを診てきました。 

50代後半になって残りの人生を考えた時、厳しい環境で困っている子どもが今もたくさんいる海外で、自分の力を活かせないかという思いが強まりました。しかし、留学経験もない自分にできるのだろうか? 不安はありましたが、何もしなければきっと後悔するはずです。家族も私の思いに賛同してくれて、国境なき医師団(MSF)を目指すことを決意しました。 

そこから本格的に2つのことを進めました。一つはクリニックの事業継承です。MSFに参加するためには、最低半年は自由な期間が必要になります。そのため、クリニックは別の医療法人に譲渡することを決めました。 

もう一つが語学の勉強です。オンライン英会話で英語に触れる機会を増やすとともに、英語を話す患者さんを英語で診療したり、日々の治療について英語のサイトで調べたり、英語で論文を書いたりして医療英語を学びました。 

MSFで活動できるかなと思えるまで、5年近くかかったのではないでしょうか。2022年、採用が通り無事に登録されることができました。 

タンザニアの難民キャンプ内の病院の小児科病棟 © MSF
タンザニアの難民キャンプ内の病院の小児科病棟 © MSF

難民キャンプの病院 次々と命を落とす子ども

初めての派遣先となったのは、アフリカのタンザニアです。情勢不安の隣国ブルンジから逃れてきた人びとが暮らす、ンドゥタ難民キャンプ。ここでMSFが運営する病院において、現地の医師たちと診療にあたりました。難民と現地住民のおよそ10万人に対し、入院できる病院はこの病院ただ一つ。日本の感覚では信じられない数字です。 

マラリア、重症感染症、栄養失調、鎌状赤血球症……。さまざまな疾患で、子どもが次々と命を落とすのを目の当たりにしました。子どもたちが亡くなっていくのを看取るのはとても辛く苦しいことでした。 

現場では検査機材が限られていて、レントゲン検査や、細かい血液検査はできません。この点においては、検査をする前に重症度を見極める開業医としての経験が役に立ったと思います。 

私は小児集中治療室を中心に、新生児集中治療室、一般病棟、救急など全ての診療科で現地医師からの相談に対応しました。この病院では私が唯一の小児科専門医です。現地の医師が判断に迷うケースがあると、「ノブ、どうしたらいいかな」と、小児科医としての意見を求められます。自分の知識と経験から、次の診療の一手を探し出せるか。弱っていた子を無事に救命できた時の喜びは何にも代えがたいものでした。

小児集中治療室の様子。限られた機材で対応する © MSF
小児集中治療室の様子。限られた機材で対応する © MSF

未舗装の道を6時間 赤ちゃんを無事運べるか

ンドゥタで3カ月活動した後、当初の予定にはなかった、リワレという場所にある保健省運営の病院で働くことになりました。この病院の新生児患者の死亡率が高いので、改善のために小児科医として私が派遣されることになったのです。 

ここはMSFが運営している病院とは違い、看護記録の取り方などさまざまな面で課題が山積していました。看護師たちと一緒に新生児のバイタルサインを測定し記録するところから始め、少しずつ看護師の技術が改善。それまでは救命不可能だった低出生体重児や仮死児が助かるようになっていきました。 

ある日、心臓に病気があり、1500gと低体重の赤ちゃんを別の病院に搬送することになりました。未舗装の道を6時間、赤ちゃんは耐えられるか──。車両の後ろに赤ちゃん用のベッドを取り付け、酸素の機械を載せ、低体温症を避けるために炎天下でもクーラーを付けずに走ってもらいました。 

昼には着くはずなのに連絡がない……。やっと夕方、ドライバーから「赤ちゃんは無事だ!」との連絡が入り、皆で拍手して喜びました。道中で酸素が切れてしまったところ、彼らの判断で途中の病院で酸素を調達して、無事運ぶことができたそうなのです。ドライバーに「君の素晴らしい仕事のおかげだよ」と伝えると、とても嬉しそうでした。患者さんの命は、医療スタッフだけでなく、車両や設備、人事の担当者など、さまざまなスタッフの力で守られています。 

タンザニアの南部に位置するリワレの病院 © MSF
タンザニアの南部に位置するリワレの病院 © MSF

「お父さん、青春してるね」

今回、世界中から集まったMSFの仲間との出会いは、かけがえのないものとなりました。特に気が合ったのが、メキシコ出身のアドミニストレーターのカルロスです。仕事で感じた苦しい思いやこれからの夢などを、よく語り合いました。 

カルロスと一緒に笑顔で撮った写真を家族に送ったところ、娘から「お父さん、青春してるね」と言われました。本当にその通りだと思います。この年になって、「つらいけど一緒にがんばろうぜ」という仲間ができるとは、思ってもいませんでした。 

今回初めて参加したMSFの現場で、「小児科医になってよかった」と実感することができました。一人でも多くの小児科医の方がMSFに参加して、同じように感じてもらえたらと思います。 

ブルンジから逃れ難民キャンプで生活しながらMSFの病院で働いている看護師と。故郷が落ち着いたら日本に行きたいと話す © MSF
ブルンジから逃れ難民キャンプで生活しながらMSFの病院で働いている看護師と。故郷が落ち着いたら日本に行きたいと話す © MSF

ある一日の流れ

06:00
起床、朝食。
07:30
車両に乗り、宿舎からンドゥタ難民キャンプの病院に向けて出発。
08:00
病院に到着。小児集中治療室に入った患者の情報など、夜のシフトを引き継ぐ。
08:15
医師、看護師、薬剤師などによる医療ミーティング。重症患者の治療方針を話し合う。
09:00
診療開始。小児集中治療室を中心に、新生児集中治療室、一般病棟、救急など全ての診療科で現地医師からの相談に対応。息つく暇もないことも。
13:00
会議室に食事が運ばれてきて昼食。
14:00
午後から少し余裕が出る。軽症だが時間がかかるケースへの対応や、搬送の相談など。合間に遠隔診療や資料作成をすることも。
16:45
診療終了。車両でキャンプを出発。
17:15
宿舎に到着。
19:00
多国籍のメンバーとともに夕食。肉のシチューや豆の煮込みをライスにかけて食べるのが基本。トウモロコシの粉を練った「ウガリ」や、魚のフライ、ピラフ、野菜炒め、ポテトフライ、ゆでた青菜なども。食事の後は、治療に関する調べものなど。夜はキャンプに入れないため、夜間の呼び出しはない。
22:00
就寝。
調理スタッフが用意してくれる食事。地元の食材が活かされている © MSF
調理スタッフが用意してくれる食事。地元の食材が活かされている © MSF
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