海外派遣スタッフ体験談

子どもの頃から夢見た「人道支援」の現場に初参加 戸惑いつつもつかんだ達成感と希望

2024年12月09日

石山 友莉佳

職種
ロジスティシャン(サプライ・アクティビティ・マネジャー)
活動地
コンゴ民主共和国
活動期間
2024年6月17日~9月16日

中学生の頃から人道支援に関心を持ち、大学では国連公用語のフランス語を学ぶ。その後、一般企業に就職したが「人びとの基本的なニーズのために働きたい」という気持ちが大きくなり、今回、現職のボランティア休暇を取得して国境なき医師団に初参加した。(写真:本人右)

中学生の時に芽生えた「人道支援」への思い

人道支援に関心を持ったのは、中学1年生の時です。数学の先生が、青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)でブータンから帰ってきたばかりの人で、現地での話をたくさんしてくれました。当時の私は中学受験を経験し、勉強と成績がすべて、常に競争の中にいました。でも、先生の話を聞くうちに「上を目指すことも素晴らしいけれど、私は人として大事なことをして生きていきたい」と思ったのが、人道支援を志すきっかけになりました。
 
大学の学部を決める際も、人道支援というキーワードは自分の中にあったものの、国際法や人権問題、経済開発など何を専門としたいかはまだ分かりませんでした。そこで、まず英語以外の国連公用語を学ぼう、専門は大学で見つけよう、という気持ちでフランス語学部を選びました。
 
大学卒業後はテクノロジー系の会社に就職し、クラウドサービスやAIなどに携わりました。最先端の世界を走るのも誰かのためになるのですが、やはり困難な立場にいる人びとのために働きたいという思いがどんどん大きくなり、複数のNGOに応募、そして国境なき医師団(MSF)への参加を決意しました。 

派遣先となったコンゴ民主共和国東部ゴマの街並み © MSF
派遣先となったコンゴ民主共和国東部ゴマの街並み © MSF

宿舎の前には、大きな湖が広がっていました。こんなに自然豊かで美しいのに、平和だけがないんです。毎朝、宿舎の階段を下りながら、少しでもここに暮らす人びとのために何かしたい、と思っていました。

初めての活動に戸惑う日々 それでも得られた達成感

記念すべき最初の派遣は、コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)東部の都市ゴマ。現職のボランティア休暇を取得して約3カ月間、主に物資の供給や管理を行うサプライ・アクティビティ・マネジャーとして活動しました。
 
配属先はゴマの緊急プロジェクトの一つで、3つのクリニックと1つの病院、そして70キロメートルほど北にある現場のサポートをするというもの。患者さんは紛争や性暴力で傷ついた人びとや、栄養失調の人が主でした。そして、当時流行が始まったエムポックスの対応も行いました。
 
エムポックスは世界保健機関(WHO)から緊急事態宣言が出た後、患者さんが急増しました。隔離エリアを作ったり、手洗い場をたくさん設置したり、基本的な衛生用品も足りていなかったので、その手配を行いました。「急いで動かなくては!」という現場の意識が高かったので、サプライヤーを選んで物資を購入し、現場に届けるまでを2日間で終わらせようと必死に働きました。本当に大変でしたが、医療チームから「やってくれてありがとう」と言ってもらえて、うれしかったですね。
 
また、紛争が激しくなるにつれて、他のNGOが徐々にいなくなり、MSFだけがサポートに入っている状況も経験しました。他団体の協力がないので、物資のリクエストは更に膨大になります。そんな状況で、どうにか物資を用意したにも関わらず、ルートが危険で送れない、送っても「これは必要なかった」と言われるなど、すんなりいかない場面もありました。それでも、最終的には全て手配し、やれることはすべてやり切った、という達成感を得ることができました。 

性暴力被害に遭った患者に配るキットを準備していた倉庫内の様子。「地道な作業でしたが、チーム一丸となって必死に作りました」 © MSF
性暴力被害に遭った患者に配るキットを準備していた倉庫内の様子。「地道な作業でしたが、チーム一丸となって必死に作りました」 © MSF

仲間からもらった意外な言葉 誰かの希望になることができた

MSFの活動は初めてでしたし、スタッフの中で圧倒的に若かったということもあって、仲間からは本当にかわいがってもらいました。みんなとても仲が良く、いつも一緒にご飯を食べていましたし、休日はカードゲームをしたりもしました。
 
ただ、マネジャーとしては「全然できていない」と派遣中ずっと思っていました。現職でサプライチェーンのシステムを担当していたので、親和性も高いし、色々やれると思っていたのですが、実際は教えてもらうことばかりでした。
 
でも帰国前、自分に対する評価を聞いたら、「間違いはちゃんと謝ってくれたし、問題が起きた時は今後のために対処してくれた。アクティブに動いてくれてすごく助かった。帰らないでほしい」と引き留められたんです。
 
また、最後の日曜日の夜に「ありがとう」の気持ちを込めて、スタッフみんなに小さなプレゼントを用意しました。現地の生地で作ったポーチにお茶とキャンディを入れ、手紙を折り紙にして添えた、本当にささやかなものでしたが、「ユリカの温かい心が詰まっていてうれしい」と、びっくりするくらい喜んでくれたんです。
 
「絶対にコンゴを忘れないで、戻ってきて!」と言ってもらえて、私も何か貢献できたのかな、誰かの希望になれたのかなと感じることができました。 

掃除や洗濯をしてくれた現地スタッフと。「疲れて帰ってきても、彼らのやさしさにとても救われました」 © MSF
掃除や洗濯をしてくれた現地スタッフと。「疲れて帰ってきても、彼らのやさしさにとても救われました」 © MSF

ゴマの現状を少しでも知ってもらいたい そして、また戻りたい

私がいた宿舎はもともとホテルだったと思われるところで、MSFが活動する地域の宿舎としては驚くほどきれいでした。ゴマは本来、観光地として素敵な場所なのだろうと思います。だからこそ余計に、「ゴマにないのは平和だけ」と感じたことが残念です。
 
武力抗争、ぜい弱な医療体制、感染症の流行など多くの問題を抱えて、人びとは長年、困難な生活を強いられています。MSFの病院に来る人びとは、本当に何も持っていません。家もない。靴さえない。そこまでいくと、頑張ってもどうしようもなくて、その状況を自力で抜けられないのです。
 
そんな中でもMSFの現地スタッフはもちろん、荷下ろしに来てくれる日雇いの方も、みんな一生懸命に働いています。あれだけ働いても、現地の平均時給は1.5米ドル程度。一方で食べ物の価格は日本とさほど変わらないので、生活は本当に大変です。でも、子どもは元気に遊んだり泣いたりしているし、悲しいことを吹き飛ばすように、みんな歌って踊って、日常を生きています。
 
そんな世界があることを、そこで生きている人びとがいることを、少しでも知ってもらえたらと思っています。そして、機会があればまた活動に参加したい。「帰らないで」「戻ってきて」と言ってもらえたので、その気持ちにいつか応えたいですね。 

一緒に働いた仲間たちと © MSF
一緒に働いた仲間たちと © MSF

最終日に撮影しました。チームメンバーだった手前左の2人は、私が帰国するのが本当に嫌だったようで、最後の写真なのに全然笑ってくれませんでした(笑)。

ある一日の流れ

05:50
起床
06:45
オフィス着
07:30
承認作業やTodoリストの確認、メールのやり取りなど
10:00
チームメンバーとの仕事
11:00
病院、在庫管理、市場など外部との仕事
13:00
昼食
14:00
チームメンバーまたは外部との仕事
17:00
承認作業など
18:30
帰宅
19:30
夕食、スタッフとおしゃべり
22:00
就寝
「フランス人スタッフと現地にあるものでラーメンを作りましたが、全然違うなって感じでした(笑)」 © MSF
「フランス人スタッフと現地にあるものでラーメンを作りましたが、全然違うなって感じでした(笑)」 © MSF
スタッフとの食事風景 © MSF
スタッフとの食事風景 © MSF

普段のコミュニケーションはフランス語でしたが、滞在中にスワヒリ語の基本的なワードは分かるようになりました。それで、「だめだよ」と伝えるときに、「Hakna(スワヒリ語のNo)」と言っていたのですが、なぜかみんな笑っていました(笑)

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