海外派遣スタッフ体験談
初回派遣で多くの学びが自信に
小島 毬奈
- ポジション
- 助産師
- 派遣国
- パキスタン
- 活動地域
- ペシャワール、ハングー
- 派遣期間
- 2014年3月~2014年7月、2014年10月~2014年12月
- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
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旅行好きの父の影響で、幼い頃から海外に行く事が多く、「将来は海外で働きたい」とぼんやりと思っていました。テレビや本で、開発途上国で働く人のドキュメンタリーを見ることも好きで、高校を卒業し助産師の道を選んだのもそれがきっかけになったのかもしません。バックパック旅行も何度かして、将来は途上国で働けたらいいな、と理想を思い描いていました。
いざ助産師として病院で働き始め4年目を迎えたとき、このまま一生、日本の病院で助産師として働くのはやっぱりものたりない、自分の技術を世界で試すなら今しかない!と感じ、インターネットでMSFの寄付広告を見つけ寄付したのがきっかけです。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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正直、現地に行ったら何とかなる、いや何とかするしかないと思っていたので、特別に準備したことはなかったですが、少しMSFのプロトコルの本を読んだりしていました。実際に現地に行って、英語の医療用語や言い回しに始めは苦労しましたが、現場で実践するにこした事はないです。
- Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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助産学校を卒業して、そのまま付属の総合病院に就職して5年目で退職しました。助産院や郊外の産科クリニックでアルバイトをしたりもしました。通常、日本の病院では少ない逆子経膣分娩や、帝王切開後の経膣分娩(VBAC:Vaginal birth after cesarian section)も、田舎のクリニックでは産婦人科医が行っていて、こういった産科技術も学べました。
MSFに入る前に、違うNGOでアフリカに行き、そこで会陰縫合や吸引分娩、ハイリスクの症例を学びました。海外では、助産師が会陰縫合をすることも日常的にあるようですが、日本では、助産学校で練習はするものの、実際には医師が行う場合がほとんどです。
会陰縫合や吸引ができないと助産師としてMSFの活動には産科できないと思っていましたが、初回の参加であれば産婦人科医から学ぶこともできます。私の場合、ほかのNGOなどでこうした知識や経験を積んでいた点で、海外の助産師さんとスタートラインが同じだったことはよかったと思います。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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前半は、パキスタンのペシャワールにあるMSFが設立し運営している女性の病院で、主に通常分娩から産科救急までを扱うプログラムでした。チームは、プログラム責任者、産科医、看護師長、病院マネジャー、新生児科医、新生児科看護師、人事を担当するアドミニストレーター、ロジスティシャンと私の8人でした。
現地スタッフも多く働いていて、産科医5人、看護師20人、受付4人、清掃員3人、ロジスティシャン10人など、MSFでは比較的規模の大きな病院でした。MSFで初となる新生児病棟も設立したばかりで、ペシャワール外の病院や難民キャンプからハイリスクの搬送を受けていました。
現地では、地元の伝統的出産介助者(医療免許は持っていないけれど、お産をとりあげるのに慣れた女性)が出産介助をします。陣痛促進剤の使い過ぎが習慣化している影響で、MSFのもとへ運ばれてくる妊婦さんのなかには、過強陣痛、新生児仮死、死産も多くありました。
MSFは現地スタッフの教育にも力を入れており、新生児蘇生や産科救急のトレーニング、症例検討会を行ったり、一緒に周産期救急(ALSO:Advanced Life Support Obstetrics)コースを受けたりもしました。
私は初回派遣の助産師だったので、流産処置の子宮内掻爬(そうは)や胎児エコー、逆子分娩など、日本では助産師が行う事はない処置を産科医から教わる事ができ、とても勉強になりました。またMSFには独自のプロトコルがあるので、初めて使う薬や処置の方法なども学ぶ機会になりました。
後半は、ハングーという村で働きました。外傷患者のためにMSFが地元の保健省と協力して医療を提供しているプログラムでした。構成は、プログラム責任者、医療チームリーダー、人事のアドミニストレーター、ロジスティシャン、助産師2人、救急医、麻酔科医、外科医の9人でした。
私が直接関わるのは、MSFが雇用している現地スタッフが多かったです。地元の保健省に雇われているスタッフも含めると、現地スタッフは50人くらいいたと思います。
私のここでの役割は、地元の保健省が運営している産科病棟(主に分娩のみ)で、ハイリスク・ケースの対応をすることでした。月に100件ほどの分娩がありますが、普通分娩は看護師が会陰縫合までできるので、常に病棟にいる訳ではなく、オンコールという形態でした。
ハングーの病院はMSFが運営しているわけではないため、自分たちの意見を通すのに時間を要したり、時に通らなかったり、いろいろ難しい事も多かったですが、地元の看護師と上手に協調して働くことは勉強になりました。
このプログラムには産科医がいないため、産科に関わる判断はすべて助産師にかかっています。帝王切開が必要な場合には外科医に執刀をお願いするのも助産師の仕事でした。ペシャワールのプログラムとは提携しているので、判断に困ったときにはペシャワールのプログラムの産科医に電話で相談したり、別の病院に搬送したりできたのは、とても心強かったです。
ペシャワールに比べて、ハングーでは異常分娩の率が高く、流産、逆子、双子、常位胎盤早期剥離、死産、なかでも妊娠高血圧症候群からの子癇(しかん)発作が多かったです。女性の立場がとても低いので、血縁にある男性の同伴でないと外にも出られず、手術を要する時には男性に同意書のサインを求めるのですが、手術という未知の世界への恐怖なのか、必要性が理解してもらえず、手術までに時間を要すことも多かったです。
文化と風潮とはいえ、私たちとはまったく違う社会に住んでいる民族の慣習は、部外者の私たちには理解するのが難しいと感じることがしばしばありました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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ペシャワールでのスケジュールは、朝は、7時50分に病院へ向けて車で移動し、8時からミーティングを行います。9時に病棟の回診を行い、新生児科医、産科医と空きベッド状況を考慮して治療方針を決めたりします。13時にランチを取り、17~18時に勤務終了となります。
治安上、外出ができなかったので、勤務外の時間や休日は家で過ごしていました。読書をしたり、ウクレレを弾いたりしていました。宿舎は庭も広く、卓球やバトミントンをしたり、みんなでテレビを見たりゲームをしたりしました。
また、チームメンバーの誕生日を祝ったり、各国の料理を作ったり、私はお寿司を作ったりして、チームメンバーとの時間を楽しみました。女性の多いチームだったのですが、私が圧倒されるほどみんなおしゃべりで、世界中どこも女性は本当によくしゃべるんだなあと学びました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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ペシャワールでは大きな庭付きの一軒家で、各自個室が与えられ、お湯の出るシャワー、エアコン、WiFiもあり、住宅環境は快適でした。ご飯もおいしかったです。ハングーでも個室で、快適に暮らせました。
時々お湯が出なかったり、停電もしょっちゅうありましたが、その際はジェネレーターが動くので、特に困った事はなかったです。しかし、門には常にガードマン、外に出て自由に歩き回ることができない、という状況はストレスに感じる事もありました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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3つ子の経膣分娩を経験した事。しかも3人とも元気でした!!男の子2人、女の子1人、お母さんも元気です。出産して数時間後、お母さんと3つ子たちは、満面の笑みを浮かべた義母と義姉に連れられて帰っていきました。パキスタンでは男の子の誕生は特にめでたい事なので、家族はとても誇らしげでした。
重傷のケースが運ばれてくる事も多く、日本では医師が判断する事も、自分で診断して処置したり、または搬送の判断をしなくてはならず、大きな責任を追わなくてはならなかったのですが、日本では絶対に経験できない事なので勉強になりました。
気の合わない人とも共同生活をしなくてはならない中で、いかにストレスに負けずに生活するか、いろいろな方法を学びました。日本にいると簡単な料理しかしないのですが、少し手の込んだ料理やケーキも作り、レパートリーが増えました。
プログラムでほかの日本人スタッフとも仕事をしましたが、世界に出て行っても、日本人の仕事の質の高さは素晴らしいです。海外派遣スタッフのチーム内でも、日本人は協調性や期限・時間を守るなど、簡単で当たり前なようですが、単純ではないようです。
- Q今後の展望は?
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日本での仕事とMSFの派遣とバランスを保って働いていきたいと思っています。MSFの内部研修でALSOのプロバイダーコースを取得させてもらったので、次はプロバイダーコースの教官になれるインストラクターコースをとりたいと思っています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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まさか、自分がMSFで働く日が来ると思っていませんでした。技術的にも英語力にも自信がなかったのですが、伝える熱意と気持ちが大切です。派遣先には刺激がいっぱいで、大変なことも多々、いや、かなりありますが、その分やりがいもあります。
また、いろいろな国のいろいろな職種のスタッフと働くことができるのは、自分自身の何よりの人生経験と学びになることは間違いありません。日本人は謙虚さを美徳とする反面、なかなか自信を持てないところが特徴ですが、世界で働く日本人の仕事の質は素晴らしいです。みなさんもぜひ自信を持って、迷っているならまず行動するのみです。