海外派遣スタッフ体験談

前回派遣の経験を活かしスムーズな活動を

小島 毬奈

ポジション
助産師
派遣国
レバノン
活動地域
ベッカー高原
派遣期間
2015年12月~2016年1月、2016年4月~2016年9月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回のイラク派遣から帰国して、しばらく日本のクリニックでアルバイトをしていました。日本に帰るたび、医療が発展しているように感じる一方で、過度な治療に疑問を感じることも多いです。MSFの活動では、限られた環境の中で最大の結果を出すこと、という挑戦があり、技術だけでなくいろんな意味で多くの人生経験ができるので、ひとつの活動を終えて少し経つと、また行きたいという思いを抱きます。

何度か活動参加を重ねたあと、何もかもが充実している環境に刺激が少ないと感じてしまうようになったのかもしれません。前回の活動中から、日本で数ヵ月働いたらまた次の活動に参加しようという気持ちがありました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

MSFからトレーニングの機会をもらい、ウガンダでチーム・マネジメントについて、オランダで性と生殖に関する健康に関するトレーニングに参加させてもらいました。どちらもフィールドでの活動にとても役立つものでした。

あとは、とことん日本食を食べました。日本のツヤツヤしたお米は、感動ものです。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

前回活動したイラクのドミーズ難民キャンプと同じような規模のプロジェクトで、対象も同じシリア人難民でした。さらに同じ中東地域だったので、前回の経験はすべてが役に立ちました。

今思い返せば本当に、前回のいろいろな反省が今回の活動に生きていると感じます。特に、マネジメント面やスタッフとの関わり方などはいつも難しいと感じますが、今回は比較的スムーズでした。前回覚えたアラビア語の産科用語はそのまま使えたので、とても良かったです。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
クリニックで赤ちゃんの様子をみる筆者 クリニックで赤ちゃんの様子をみる筆者

レバノンのベッカー高原のシリア国境近くにある、マジダルアンジャルという場所に産科病棟をオープンするというプロジェクトでした。開設に携わるのは初めてだったので不安はありましたが、現地に行くと産科の知識があるのは私だけで、結果、いろいろと翻弄(ほんろう)されましたが、なんとか開設することができました。

そのほか、ベッカー高原内に3つのクリニックと分娩施設を運営しており、その管理もしました。セキュリティーの都合上、遠隔操作でスーパーバイズする場所もあり、現状を把握するのがとても難しかったです。

一緒に仕事をしたスタッフと(筆者最後列) 一緒に仕事をしたスタッフと(筆者最後列)

現地スタッフは140人ですが、私が直接関わったのは40〜50人くらいでした。海外派遣スタッフは5~7人と小さいチームでした。

開設した産科では、現地助産師5人、看護師4人、看護師ヘルパー4人、清掃員4人でした。

開設した時には月に10~20件ほどの分娩数でしたが、徐々に増え、半年後には80件ほどの分娩数を扱っていました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
マネジメント業務ではデスクワークも多い マネジメント業務ではデスクワークも多い

朝8時30分にオフィスへ出勤し、9時30分には車で1時間ほどかけてクリニックに移動します。午後4時頃オフィスへ帰宅し、午後7時頃まではオフィスで仕事という感じでした。

現地スタッフのマネジメントをするポジションだったので、デスクワークも多く、必要に応じて搬送先の病院やクリニックを訪問したりしました。週に1度、早朝や夜中にクリニックを訪問して分娩の指導をする事もありました。

勤務外の時間は、車で観光地にチームで出かけたり、街に買い物に出かけたりしました。この街はキリスト教徒が多く住む街で、サラミやお酒、フランスのチーズが買えたりしました。

また、トランプやモノポリーをしたり、ネットを見ながらエクササイズをしたり、宿舎に手作りの卓球台があったので卓球が上達しました。

私にとっては、1人でいるのも大切な時間で、ウクレレの練習をしたり読書をしたりことも多かったです。

Q現地での住居環境についておしえてください。

オフィスの道を挟んで隣にあるアパートに住んでいました。6戸あるうちの3つをMSFが借りて、それぞれ2~3人ずつに分かれて住んでいました。

1人1部屋、お風呂とトイレは共通です。レバノンはインフラ状況がとても悪く、よく停電になり、ジェネレーターもうまいこと動かないこともよくありました。そんな時は、早めに就寝しました。基本的な生活に苦労はしなかったです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
クリニック訪問の様子 クリニック訪問の様子

お金の問題は印象的でした。レバノンでは医療がとてもビジネスライクであり、医者が患者から追加料金をとるのは当たり前、搬送先の病院も何かとお金を要求してくるなど、お金の問題は本当につきませんでした。

また、レバノンに限ったことではないですが、現地スタッフのモチベーションも大きな問題でした。法律上、現地スタッフとしてシリア人難民を雇うことは基本的に禁止です。そのため、現地スタッフのほとんどはレバノン人ですが、患者はシリア人です。シリア人とレバノン人の間には暗い歴史もあり、それらも関係しているのかと思います。

これもレバノンに限ったことではないですが、産科は生命の誕生というポジティブなイメージが強く、少しの間違いが大きな失敗と捉えられがちです。ヒエラルキーでは医師がトップであり、助産師の立場は低く、なにかと理解してもらうことに苦労しました。

日本は、出産予定は40週ですが、フランスの産科教育では41週が予定日となります。レバノンはフランス教育を受けている人が多いので41週が予定日なのですが、そもそも予定日の設定が正確でなかったり、最終月経を間違えていたりして、45週の人などもよくいました(遅くても42週までに産むのが通常です)。

特に助産師はアラビア語とフランス語しか話せないスタッフが多かったので、フランス語を勉強するいい機会でした。結果、フランス語で7割がたプロトコールが読めるようになりました。

普段は真面目な上司が金曜日の夜になると業務から開放され、踊りまくって、お腹が痛くなるほど笑うのは恒例行事でした。

Q今後の展望は?

しばらく、日本の臨床で働いてまた派遣活動に参加したいと思っています。もっとフランス語が話せるようになりたいので、ぼちぼち頑張ります。初回派遣に比べると、できることも増えてきたので、もう少し規模の大きいプロジェクトも少し考えています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

とにかく行ってみるのみです。後悔することはないと思います。日本人の仕事の質は世界的に見てもとても高いですし、誇りに思うべきだと思います。でも、そこは、謙虚な日本人。日本人に足りないのは、自信と度胸だと思います。思い切って参加すれば、確実にこの2つを大きく伸ばすことができると思います。

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