海外派遣スタッフ体験談
治安情勢が悪化するリビアで活動を統括
萩原 健
- ポジション
- 活動責任者
- 派遣国
- リビア
- 活動地域
- -
- 派遣期間
- 2014年4月~2014年10月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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活動参加の度、異なる環境に身をおいて、人道・医療援助活動の難しさと新しいことを学んでいます。前回の活動後、1ヵ月ほど経ってから今回の派遣を決めました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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1ヵ月ほど海外でアラビア語の向上に努めました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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紛争地域など治安が安定しない環境で、いかに人道・医療援助活動を続けるかは常に大きな課題です。必ずしも利害関係者のすべてが、はじめから諸手をあげて私たちの活動を受け入れるとは限りません。医師団の理念を固守しながらHumanitarian Corridor(人道的回廊)を確保するには、現地情勢の十分な理解と利害関係者との対話が必要不可欠です。
MSFの活動環境はプログラムにより異なり、交渉に定石はありませんが、異なる環境でのプログラム責任者としての経験の積み重ねは、交渉の幅を広げてくれているような気がします。
今回のリビアでの活動では、昨今の情勢に鑑み状況のアセスメントをする必要が多々ありました。時間、治安など多くの制約がある中で、限られた時間内にアセスメントを遂行し、現場の状況を把握するにあたって、過去の経験が役に立ちました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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MSFがリビア南部に立ち上げたプログラムの責任者として派遣された後、首都トリポリで統括活動責任者として従事しました。
MSFは2011年、いわゆる「アラブの春」に端を発した革命、混乱に際し緊急介入しましたが、その後も、不安定な政情、国内の医療体制が十分に回復していないとの見方で、起こりうる緊急事態を想定し、中長期的な介入を視野にいれ活動を継続してきました。
現在リビアは、暫定政府の下での統治移行の過程にあるものの、武装解除が進まず、民兵間にも重兵器がまん延している状態で、不安定な情勢にあります。特に2014年5月以降、東部および首都において治安情勢が急激に悪化しました。
ほかの人道援助団体の海外派遣スタッフが殺害されたり、7月には首都の国際空港や石油タンクが焼き払われたり、人道援助活動を行う上での最低限の安全を確保することも難しくなりました。
リビア国内にMSFのプログラムは2つ、紛争や暴力によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者を対象にした心理ケアプログラムと医療従事者に対するトレーニングを介した基礎医療センターのサポートをするプログラムでした。
また既存のプログラム以外に、リビアにおける医療及び人道的観点からニーズを継続的に調査すること、また緊急事態を想定した準備も主たる活動の1つでした。首都において民兵間の抗争が激化した7月以降、首都周辺の幾つかの病院に医療物資を送りサポートしました。
リビアには医療アクセスが十分に保障されていない人びとがいます。例えば、隣国から欧州へ向かう証明書類を持たない移民(非合法移住者とも呼ばれることがあります)の通過点となっています。
地中海経由で欧州に渡ろうと試みるも、航行中に船が難破・救助または拿捕(だほ)されリビアに戻され拘留される人びと。またさまざまな理由で市民権が付与されていない人びと。これらの人びとには十分な医療サービスを受ける機会が提供されていない可能性が考えられました。
2014年10月時点で国内避難民は約33万人(2011年以来避難民となっている約5万6000人に加え、2014年5月の紛争勃発から新たに生じた避難民約26万5000人)です。
また時を同じくして、5月以降、欧州に非合法ルートで到着する移民の数も急激に増え、その数は13万人、その半分に近い移民はいわゆる地中海ルート(チュニジアまたはリビア)を経由すると言われています。
移民はエリトリア、ソマリア、スーダン、エチオピア、シリア、パレスチナなど、多岐にわたる地域から、いわゆる密輸業者や仲介者を頼って生命の危険を冒しながら地中海を渡ります。海上で捕獲された移民は「プッシュバック作戦」という名の下に、リビアに戻され、拘置所に収容されますが、医療サービスは十分に提供されていません。
国内避難民、紛争被害者、証明書類を持たない移民、市民権を持たない人びとなど、医療サービスを必要としている多くの人びとが存在する一方で、民兵間の紛争により首都機能が完全に麻痺しており、いかにこれらの人びとに医療援助を提供するかは大きな課題でした。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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リビア国内にいる間は、基本的に1日の大半を内部・外部とのミーティングに費やします。5月以降は首都トリポリにおいて民兵間の抗争が悪化、国内情勢を絶えず追っていなければなりませんでした。治安が極めて不安定で常に予測不可能な状況にあったため、民兵間の抗争の合間をぬって活動を継続するといった状況でした。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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リビアは産油国でもあり、情勢が安定している限りにおいては、基本的に首都のインフラは機能しています。しかしながら、石油依存度が高いために、非常に脆弱であると言えます。首都の主要石油タンクが民兵間の抗争により焼き払われた後は、現場のスタッフは非常に苦労していました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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個人的な経験と印象では、戦時下の状況では、人と人との間の信頼関係を築くことが非常に難しくなります。コミュニティの中では疑心暗鬼がまん延し、うわさ話、謀略説がはびこり、「信頼」を再び醸成することは、長い時間と当事者間の強い意志と努力が必要とされます。
現地スタッフもそれぞれ異なるコミュニティの一員であり、信頼関係が崩れる危うさを秘めています。そのような状況下で「信頼」を基盤にチームをまとめていくことには苦労しました。
- Q今後の展望は?
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まずは休んで、それから考えます。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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人道的危機に直面している人たちは、世界のどこにでも存在するのかもしれません。どこで、何を、どのようにするのかは人それぞれ異なり、自分にあった環境で活動することが良いのではと思います。MSFの活動には多種多様な人がいて、いろいろな形態があり、いろいろな環境があります。一度経験をしてみることでその先が見えるかもしれません。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2013年10月~2014年3月
- 派遣国:シリア
- プログラム地域:-
- ポジション:副活動責任者
- 派遣期間:2013年4月~2013年8月
- 派遣国:エチオピア
- プログラム地域:アファール州テル地区
- ポジション:プログラム責任者
- 派遣期間:2012年7月~2013年2月
- 派遣国:イラク
- プログラム地域:ナジャフ
- ポジション:プログラム責任者
- 派遣期間:2012年4月~2012年7月
- 派遣国:シリア
- プログラム地域:-
- ポジション:プログラム責任者
- 派遣期間:2011年8月~2012年2月
- 派遣国:イエメン
- プログラム地域:アデン
- ポジション:プログラム責任者
- 派遣期間:2010年12月~2011年6月
- 派遣国:南スーダン
- プログラム地域:ラジャ
- ポジション:プログラム責任者
- 派遣期間:2009年11月~2010年9月
- 派遣国:インド
- プログラム地域:ジャールカンド州
- ポジション:ロジスティシャン
- 派遣期間:2009年10月
- 派遣国:インドネシア
- プログラム地域:ジャカルタ
- ポジション:ロジスティシャン
- 派遣期間:2009年1月~2009年9月
- 派遣国:イエメン
- プログラム地域:サダア州アル・タール
- ポジション:ロジスティシャン
- 派遣期間:2008年6月~2008年12月
- 派遣国:ケニア
- プログラム地域:ナイロビ
- ポジション:ロジスティシャン