「ママ、助けに行ってあげて」医療者の私は病院へ向かった シリア、被災地の助産師の24時間
2023年02月21日
シリア北西部アザーズの出身だ=2022年 © MSF
震災と内戦という二重の苦難の中にあるシリア北西部。国境なき医師団(MSF)で助産師として働くアイシャは、かつて砲撃で長男を失った。そしていま、残された子どもたちは震災で被災。母親として、子どもたちのそばにいたい。しかし、医療者として助けを求める人たちのもとへ行かなくては──。
「ママ、他の人を助けに行ってあげて!ここにいちゃだめ」。息子の言葉に後押しされて、混乱の医療現場へ向かったアイシャ。しかしそこで目にしたのは……。彼女がその経験を伝える。
シリア在住の助産師、アイシャからの報告
窓から子どもたちが投げ落とされた
あの日、午前4時17分に地震が起きたとき、私も家族も寝ていました。自宅は5階建ての建物の一室です。頭の上から建物の揺れを感じた瞬間は、何が起きたのか分かりませんでした。
10秒ほどして、これは地震だと気づいたのです。私は2歳の娘ラリーンを離さないでと夫に叫び、夫は娘を抱きしめました。他の2人の子どもは寝室にいたので、私は走って起こしに行きました。一家そろって通りへ出たもの、周囲の状況は分かりません。
すると、助けを求めるご近所さんの大声が響いてきたのです。彼女には2人子どもがいて、夫はいません。夫は彼女の息子を抱き上げ、私たちは彼女が外に出られるように手を貸しました。
上の階に住んでいる人は皆、窓から子どもたちを投げ落として、下で私たちが受け止めました。
周囲にはショッキングな光景が広がっていました。誰の顔も涙に血が混ざっています。一体何が起こっているのか、私たちは理解することができませんでした。
10秒ほどして、これは地震だと気づいたのです。私は2歳の娘ラリーンを離さないでと夫に叫び、夫は娘を抱きしめました。他の2人の子どもは寝室にいたので、私は走って起こしに行きました。一家そろって通りへ出たもの、周囲の状況は分かりません。
すると、助けを求めるご近所さんの大声が響いてきたのです。彼女には2人子どもがいて、夫はいません。夫は彼女の息子を抱き上げ、私たちは彼女が外に出られるように手を貸しました。
上の階に住んでいる人は皆、窓から子どもたちを投げ落として、下で私たちが受け止めました。
周囲にはショッキングな光景が広がっていました。誰の顔も涙に血が混ざっています。一体何が起こっているのか、私たちは理解することができませんでした。

私が助けに行かなければ
まだ建物の中に人がいるかもしれないし、頭の上に建物が崩れ落ちた人がいるかもしれない。彼らを助けなければ──。
私ははだしで駆け出しました。夫は私に「戻ってこい」と叫んでいました。「アイシャ、どこに行くんだ? 戻って来い!」
多くの人が助けを必要としているのに、じっとしていることなどできません。私は大声で返事しました。「がれきの下に人が閉じ込められているかもしれない。私は医療者だから、助けに行かないと!」
近所に崩れた建物がないか歩いて見て回り、帰ってきて子どもたちを抱き寄せました。明るくなるまで、雨の中、中庭で近所の人たちと一緒に過ごしました。誰もがおびえていました。
私ははだしで駆け出しました。夫は私に「戻ってこい」と叫んでいました。「アイシャ、どこに行くんだ? 戻って来い!」
多くの人が助けを必要としているのに、じっとしていることなどできません。私は大声で返事しました。「がれきの下に人が閉じ込められているかもしれない。私は医療者だから、助けに行かないと!」
近所に崩れた建物がないか歩いて見て回り、帰ってきて子どもたちを抱き寄せました。明るくなるまで、雨の中、中庭で近所の人たちと一緒に過ごしました。誰もがおびえていました。
子どもたちに励まされ病院へ
長男をアレッポの砲撃で亡くした私の頭にまず浮かんだのは、子どもを守ること。そして、安全な場所に連れて行かなければということでした。母親として、とにかく子どもたちのそばにいてやりたかったのです。
でも、子どもたちと長く一緒にいるわけにはいきませんでした。被災した人たちを助けに行く必要があるからです。いくつもの病院が医療チームの応援を求めていました。がれきの下から救出された人たちが続々と病院に到着し、病院は負傷者であふれているというのです。
息子は私にこう言いました。「ママ、他の人を助けに行ってあげて!ここにいちゃだめ」と。子どもたちに励まされ、彼らを置いて行く決心がつきました。
車に乗り込み、ボランティアとして向かった先は医療スタッフ不足が最も深刻だった病院です。救急病院に到着し、仕事に取りかかりました。
この地域のMSFチームと連絡を取り合い、どのような薬や手術・医療物資が必要かといった情報を伝えました。
でも、子どもたちと長く一緒にいるわけにはいきませんでした。被災した人たちを助けに行く必要があるからです。いくつもの病院が医療チームの応援を求めていました。がれきの下から救出された人たちが続々と病院に到着し、病院は負傷者であふれているというのです。
息子は私にこう言いました。「ママ、他の人を助けに行ってあげて!ここにいちゃだめ」と。子どもたちに励まされ、彼らを置いて行く決心がつきました。
車に乗り込み、ボランティアとして向かった先は医療スタッフ不足が最も深刻だった病院です。救急病院に到着し、仕事に取りかかりました。
この地域のMSFチームと連絡を取り合い、どのような薬や手術・医療物資が必要かといった情報を伝えました。

「安全に出産できる場所は不可欠」とアイシャは話す。© MSF
棺おけも遺体袋も足りない
午後1時24分に、今度はものすごい余震が来ました。病院の建物は金属パネルでできているので、いつ崩れてもおかしくありません。負傷者は必死になって病院から逃げ出しました。母親も子どもも、みんな命からがらです。出産間近の妊婦さんまで外に運び出されました。
病院には50人以上の負傷者が運ばれてきていたので、4つの手術室はすべてフル稼働となり、どの部屋も血だらけでした。外科医は骨を切る手術や腹腔鏡(ふくくうきょう)手術を行っていました。
器具が大幅に不足していたので、必要な手術をすべて行うことはできず、他の病院に患者を移送して手術を受けられるようにしていました。
遺体の数は膨大になり、棺おけや遺体袋も全く足りませんでした。女性も、子どもも、年配の方もいました……。
がれきに埋もれた少女の足を切断
ある男性は、妻と子ども、そして両親の遺体ががれきの下から運び出されるところを目にして、耐えられなくなり、ショック状態に陥りました。30分おきに、息子、父親、そして兄弟が病院へ連れてこられました。この男性は一度に13人以上の家族を失ったのです。同じような状態になった人は彼だけではありません。
私たちは、子どもたちの苦しみを少しでも和らげようとしました。病室の血や見るに堪えない光景から遠ざけるため、保育室に連れて行ったのです。できたことと言えばそれくらいしかありません。
真夜中、がれきの下に閉じ込められた少女の足を切断するために、整形外科医が呼び出されました。切断を行うには、医師と麻酔科医が必要です。午前4時、他の医療者とともに現地に向かい、少女の足を切断してがれきの下から救出しました。
女の子は泣きながらこう言ったのです。「足はもういい、助けて、足はいらない……とにかくここから出して。暗くて怖い!」と。
本当に恐ろしい光景で、この世の終わりのようだと誰もが口々に言っていました。

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